ある日の朝、父と向かい合わせになって朝食を食べていた時だった。
Pi-子父:Pi-子、おまえ中国語やってるんだったら中国へ留学してみないか?
すべてはPi-子父の実に無責任なこの一言から始まった。
当時、私は某短大の英語科の学生で専攻は当然英語で、第2外国語として中国を選択していただけだった。
しかも、中国語の先生は最後に出席をとるので途中からこそっと入ったりしていて、90分の授業だったけど45分以上
授業受けたこと殆どなかったんじゃないかな、って感じで・・・お父さんはこんなこと知らないから、ま、この話は置いておこう。
Pi-子:は?何で?
Pi-子父:今日の新聞の広告に「中国への留学生募集」って載ってるんだけど、どうだ?これからは中国の時代だぞ
Pi-子父、Pi-子に新聞の広告を見せながら言った。
この時は「21世紀」なんてまだ先だよって思ったけど「未知な国」への好奇心だけはあった。
正直、中国にも中国語にも興味は"0(ゼロ)"。
映画が好き、アメリカ大好き少女で
「ブルース・ブラザーズ(映画の方ね)」「インディ・ジョーンズ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ニューヨーク東8番街の奇跡」「グレムリン」
渋いところで「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」「ゴッドモーニング・ベトナム」ホラー映画も忘れちゃいけない「13日の金曜日」「エルム街の悪夢」
・・・などなど、見る映画はみんなアメリカ。
なのに前年に実際にアメリカへも行ってみたら知識でお腹いっぱいになっていからか、あまり感動はなく、アメリカ好きな人たちの中にいると
「アメリカだけが外国じゃないゾ」なんて反発してみたりもしていた。
「未知の国」も悪くないじゃん!・・・と思ったけど
Pi-子:・・・でも、テストがあるんだ、それじゃあ、たぶん落ちるな
Pi-子父:そう言わずに受けるだけ受けてみろよ
と、父に言われ、落ちてもいいや、という気分で願書を出し、当日試験会場へ行ってみると
・・・これはビックリ!
100人ぐらい募集のところ、会場にはその半分以下50人もいないんですけど!?
考えてみれば、時は1990年の春、天安門事件(1989年)が起きてから1年後。
そんな政治的に不安定な時に
留学するヤツなんかいね〜よっ!!!ってことだったのかしら。
試験は一般常識と面接。中国語は自信のある人だけ試験を受けるというもので会場内はいたって和やかだった。
面接の順番を待っている間、配られたパンフレットを見ていた。
派遣される学校は5校あり、5校の写真と簡単な紹介が載っていた。
大連に2校、山西省・太原に1校、河南省・鄭州に1校、開封に1校・・・か。
大連は・・・まぁ、だいたいどの辺りか知っているし、開封も地名ぐらいは聞いたことあるけど、太原、鄭州!?どこですか?
前に座っていた女の子1:私、去年旅行で鄭州へ行ってきたんですけど、よかったですよ。
前に座っていた女の子2:そうなんですか・・・
2人とも中文系の大学生らしく、中国語の試験を受けていた人だ。
あ、面接、次は私の番だ。
面接官:中国へ留学を希望された動機を聞かせてください。
「お父さんが新聞読んでて、記事を見つけて、おもしろそうだったから」・・・なんて本当のことを言えるはずもなく
Pi-子:はい、私は英語科の学生ですが、英語圏の国のみならず、いろいろな国へ行って見聞を広めたいと思っています。
すいません、ウソです。
Pi-子:また、映画が大好きでチャン・イーモウ監督の「紅いコーリャン」と最近では「菊豆」を見ました。
映画の景色がすばらしかったのを覚えています。昔の話なので今の中国とは違うと思いますが、その辺りを自分の目で見てきたいとも思います。
「紅いコーリャン」は授業で見たんだけど、半分寝てたから大草原の景色しか覚えてないし、「菊豆」は本当のこというと見てなくて、
あらすじを知ってるだけなんだよね〜・・・つっこまれたらどうしよう。
面接官:なるほど、そうですか。
特につっこみも入らず、面接は終わった。
そして、ヤバいぞ、このままじゃ受かる(←?)と思っていたら・・・結果はやはり
合格。
さて、どうしよう。
英語科の生徒が中国に留学するってのも「なぜ?」だし、あれだけさぼりまくっていた中国語の授業、中国語の先生に「留学しま〜す」という報告もし難い (^_^;
しかし、辞退する理由も思いつかず、ずるずる時間が経っていったら・・・なんか留学することになっていた。
しずる:聞いたよー、Pi-子、留学するんだって!?どこ行くの、アメリカ?
Pi-子:ううん、違うよ。
しずる:じゃあ、イギリス?
Pi-子:違う。
しずる:オーストラリア?
Pi-子:英語圏じゃないよ。
しずる:・・・どこよ?ヨーロッパ?
Pi-子:いや、中国。
しずる:へー、中国か。北京とか?
Pi-子:そんな都会じゃなくて・・・
しずる:じゃあ・・・上海。
Pi-子:いや・・・鄭州ってとこ。
しずる:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どこ?
しずる:でも、Pi-子だわぁ、そんなマニアックなところに1年も行くなんてぇ!
マニアックとかいう問題なんだろうか?(ま、しずるは宇宙人だからね)
鄭州を選んだ理由はパンフレットを見て「共産党がどーの」「政府がこーの」と堅苦しいことが書いていなかったのと、
どうせだったらとことん
知らない所へ行ってみよう!ということからだった。
前に座っていた女の子も鄭州いいって言ってたし、たぶんいい所なんだろう。
こうして私の約1年に渡る中国留学が決定したのです。
今考えてみれば、これが私の人生の分岐点であり、「世界征服」の原点となったのですが。
この場を借りて、留学費用と休学中にかかった費用を出してくれたPi-子両親に感謝。m(_ _)m
でも、本当に中国へ行きたかったのは
お父さんだよね。
(Pi-子)