10月1日は"国慶節"といい、中華人民共和国の建国記念日であります。
1949年、故毛沢東が北京の天安門の上から共和国成立を宣言した日なんですね。
で、この日を前後して約1週間が大型連休となります。もちろん学校も・・・
(食堂にて)
旬(ジュン)ちゃん:私と浩子は国慶節のお休み利用して海南島へ行って来るんだ。
荻田さん:わしは飛行機でウルムチまで行くで。
おねえたま:みんな旅行へ行くんですね。Pi-ちゃんは国慶節のお休みどうするの?
Pi-子:え・・・何も考えてない。
おねえたま:そしたら一緒に呼和浩特(フフホト)へ行かない?
Pi-子:呼和浩特?・・・どこ、そこ?何があるの?
最初に書いた通り、中国に対して興味0(ゼロ)、北京と上海ぐらいならなんとなく分かるけど、それ以外の地名言われてどこにあって
どんなところなのかはさっぱり、さっぱり。
それに旅行なんて全然興味ないし。重い荷物持ったり、列車探したり、道に迷ったり・・・めんどくさいだけじゃん!
おねえたま:内蒙古だから中国にいながらモンゴルの気分が味わえて面白そうだよ。
Pi-子:宿舎に残っててもつまんないから行こうかな〜(めんどくさそうだけど)
おねえたま:じゃあ、さっそく切符の手配とかしなきゃ。Pi-ちゃんも旅行の準備しておくんだよっ
そう言い残すとおねえたまは風と共に去りぬ・・・っていうか、おそらく旅行社へ向かったのだろう。
じゃ、私も旅行の準備と・・・
準備って何するの?
旬(ジュン)ちゃん:Pi-ちゃん、旅行用のカバンとか持ってるの?
Pi-子:いや、スーツケースだけ。
旬ちゃん:じゃ、カバン・・・それよりもリュックのが楽だからリュック買ってきな。
Pi-子:うん、分かった。リュックだね。
その後、私は百貨店へ行きリュックを買ってきたのだが・・・
(出発当日)
おねえたま:準備できた?
Pi-子:うん、もう行く?
おねえたま:早めに行っておいた方がいいかな〜って思って・・・え、そのリュック買ったんだ。
Pi-子の購入したリュックは背中のポケットの部分に大きく
"Beijing(北京)"と書いてある物。
日本の
ナウいヤングならおよそ選ばないだろうな、という一品。
Pi-子:どうせだったら日本でありえない方が面白いじゃん。それに、それ持ってれば日本人だと思われなさそうだし。
おねえたま:う〜ん、それにしてもパンパンだね。そんなに何を持っていくの?
Pi-子:何を持ってけばいいのかよく分からなかったから「地球の○○方」の「旅の準備(持ち物)」というページを見て
書かれていた物を入れただけだよ。
おねえたま:え、全部?
旅行前日、何を持っていけばいいのか分からなかったPi-子はおねえたまから借りた本に書いてあった物をかたっぱしからカバンに詰めたのでありました。
(こんな頃もありました。旅行の回数を重ねる毎に持ち物はどんどん減っていくのです。)
おねえたま:ムダな物もありそうだけど・・・ま、行こうか。
Pi-子:うん。
と、返事をしながら"Beijing(北京)"リュックを・・・
めりめり、びりぃ!・・・どすん!!
背負うなり両肩のヒモが破れ、荷物はそのまま落下した。
新品のリュックのひもが破れるなんて・・・
日本じゃありえない・・・だけどここは
中国。
我ながら昔TVで見たドリフのギャグみたい・・・・・
出発前からかなり
ブルーになるPi-子。
Pi-子:わ〜ん、もうイヤだ〜!もう旅行やめる〜 (ToT)
おねえたま:宿舎も出ないうちに何言ってんの!さ、行くよ!!
こうしておねえたまにひきずられるように、リュックを胸に抱えながら出発したのだった。
今考えてみると、これが世界征服の第一歩だったのかもしれない。
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列車の二等寝台(硬臥) |
鄭州から北京まで約8時間。北京で乗り換えて、北京から呼和浩特まで約12時間かけてようやく到着。
合計20時間は列車の中にいたことになるが、中国を旅行する分には決して長い距離とはいえないということを後で知ることになる。
北京からは夜行列車に乗ったので、呼和浩特へ到着したのは朝の6時10分だった。
Pi-子:やっぱり鄭州より寒いね。
おねえたま:本当、息が白いよ。
ちなみにこの時、マイナス0℃でした。
Pi-子:私持ってきたコート着よう。
おねえたま:私も。Pi-ちゃん、リュックは大丈夫?
出発直前に壊れたリュック・・・しかし、ばっちり「ソーイングセット」を持ってきた私(なんせ本の荷物リストにあった荷物を全部持って来たから)
トータル20時間も乗っていた列車の中で縫いましたよ。
Pi-子:うん、大丈夫・・・だと思う。
ゆっくりと貴重品を扱うが如くリュックを背負ってみる・・・うん、大丈夫!
呼和浩特駅を出て歩き出すとワンタン屋が目に入った。
う〜ん、寒い中で白い湯気が食欲を誘う。
スープ好きのおねえたまの目もやはりワンタン屋にそそがれているようだが・・・
Pi-子:どうする、食べてく?
おねえたま:う〜ん、でも今日泊まるホテルが決まってからにしよう。
あ、まだホテル決まってなかったんだ。(←そんなことも知らなかった)
旅行初心者、中国初心者、中国語初心者のPi-子はひたすらおねえたまについていくのみ。
この日の宿泊は駅から近い「呼和浩特賓館」に決定した。(検索にひっかからなかったので今ではもうないかも)
Pi-子:さて、ホテルも決まったし(Pi-子は何もしてないが)
おねえたま、今日の予定は?
おねえたま:今日は市内の散策と買い物、それから草原ツアーの申し込み、かな。でもその前に朝食にしよう!!
さすが「食は命!」のおねえたま(今考えるとねじきと通じるものがあるよね)
しかしそれに異論はなく、さっそくホテル内の食堂へ。
おねえたま:・・・と、・・・と、それから海鮮スープと卵スープを1つずつお願いします。
Pi-子:寒い時にはスープだね。
朝見たワンタン屋の影響だったか、単におねえたまがスープ好きだったからか忘れたが、スープは1人1つずつオーダー・・・のはずだったが・・・
服務員はスープを2つずつ持ってきた。
Pi-子:あれ?海鮮スープと卵スープを1つずつだったよね?
おねえたま:うん、そうだよ。きっとオーダーミスだよ。・・・すみません、私たちがオーダーしたのは1つずつだったのですが・・・
服務員の小姐:そんなこと言われたって取り消しはできません!
服務員はぴしゃりと言い放つとさっさと奥へひっこんでしまった。
おねえたま:あ、ちょっと!・・・腹立つな〜、向こうのミスなのに取り消せないだって!?(ー_ーメ)
Pi-子:本当、こうなったら腹いせに全部食べてやる!( ̄△ ̄#)
2人にしては多めに料理を頼んでいたのでお腹いっぱいになりながらもスープは完食する。
おねえたま:さ、スープは完食したし、そろそろ行こうか。・・・会計お願いしま〜す!
やってきたのは先ほどの服務員。そして一言・・・
服務員の小姐:なんだ、全部食べちゃったんじゃない
「服務」と辞書でひくと("小学館の中日辞典"使用)「奉仕する、勤める、サービスする」とあるけれど、
全然サービスしてないじゃん!
かなりムカついたが、中国でこんなことに腹を立てていても仕方ない。
怒りを胸に抱きつつ(?)レンタル自転車で呼和浩特の街へGO!
呼和浩特(フフホト)とはモンゴル語で「青い城」という意味で、青い屋根のチベット寺院を象徴していている。
1947年、中国建国に先立ち内蒙古自治区に指定された。
"内蒙古自治区"などと言うとモンゴル族しか住んでいないように思われるが、実際にはモンゴル他、漢族、満州族、朝鮮族・・・などの
多種多様な民族が住んでいる。
中国北部の辺境地域に位置し、北はモンゴル、ロシアと境を接している。
内蒙古自治区の区都である呼和浩特は、1990年当時でもそこそこの地方都市で、現在はもっと発展してるんだろうな〜と思われる。
呼和浩特市内には普通にお店があり、住宅地があり、どこにでもある中国の地方都市という感じだけれど、街の看板にモンゴル文字が
併記されているものもあり、それだけが唯一ここはモンゴルなんだな、と実感できるところ。
最初に目指すは・・・どこだろう?
Pi-子:おねえたま、どこへ行くの?
おねえたま:内蒙古飯店。ホテルの中にCITSが入ってて、そこでの申し込みができるだって。
CITSとは"中国国際旅行社"のことで、国営の旅行社。
外国人向けのツアーを開催したり、列車の切符やホテルの手配をしてくれたりもする便利なところ。
ただし、ばっちり手数料を取られるので割高になります。
Pi-子:草原ツアーって・・・何するの?
おねえたま:ガイドブックによるとパオ(モンゴル式テント。というか住居?)
に泊まって、ラクダに乗ったり、民族舞踊見たり・・・みたい。ここまで来たら、やっぱりパオに泊まりたいじゃん。
う〜ん、よく分からないからやっぱりおまかせ!
内蒙古飯店のCITSで翌日の草原ツアーの申し込みをした後はレンタル自転車で観光地めぐり。
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王昭君の墓「青塚」 |
王昭君の墓
楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる王昭君の墓。
王昭君は幼少のころから賢く美しかったので漢の元帝(紀元前75年〜紀元前33年)の時に後宮に入るが、膨大な数の宮女の中で皇帝と接するチャンスはなく
ただいたずらに時が過ぎていた。
その頃、長年敵対していた匈奴(現在のモンゴル)の王・呼韓邪単于(こかんやぜんう)が漢に和睦の申し出を行い、さらに関係を強化する為に
皇帝の子女を娶りたいと申し出てきた。
しかし当時蛮族だと思われていた匈奴に地へ嫁ぎたいと思う者はおらず、元帝自身、子女を嫁がせる気はなかったのだろう。
結局、何千人もいる後宮の中から匈奴にやってもよいような醜い女を選び、それで事を済ませようと考えたのである。
元帝は寵愛の相手を選ぶのに、宮女の描かれた肖像画を見て決めていたという。
宮女たちは絵師にワイロを贈り、実際よりもかなり美しく描いてもらったのだが、王昭君だけはワイロを贈らなかったので醜女に描かれいた。
そして、その絵を見た元帝はこの醜女なら匈奴の王妃にやってもよしと考えたのだ。
妻を娶った呼韓邪単于は匈奴へ帰国することになり、最後の挨拶のために元帝に謁見した。
その時、呼韓邪単于の横に立つ妻・王昭君を初めて見た元帝はあまりの美しさに驚き、後悔するが後の祭り。
もはや引き止めることもできず、やむなく見送るしかなかったという。
彼女が匈奴に嫁いだおかげで、60年もの間、漢と匈奴はずっと平和を保ち続けた。
王昭君の死後、農民、牧民たちはみな衣服に土をつめて葬式に参列し、その土を積み重ねたのが現在の王昭君の墓になったという言い伝えがある。
秋になると、墓の周りの草木はみな枯れてしまうが、王昭君の墓の上の草だけは枯れることがなく、濃い緑の草木が茂っていることから
別名「青塚」と呼ばれている。
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五塔寺(金剛座舎利宝塔) |
五塔寺(金剛座舎利宝塔)
王昭君の墓へ行った後、続いて訪れたの五塔寺。
呼和浩特市旧市街の東南部に位する五塔寺は、清の雍正年間(1772-1735)に建設されたもので、寺院の上に5つの塔がついてそびえている
ことから「五塔寺」、寺の外壁には1560もの仏像が彫られていることから「千仏塔」とも言われている。
が、しかし、どちらもこの寺の正式名称ではなく、正しくは「金剛座舎利宝塔」モンゴル語名は「塔奔・斯普日嗄」という。
本来「慈灯寺」という寺院の一部にすぎなかったのだが、火災等により他は焼失、この塔だけが残ったのだとか。
塔の裏には国内で発見された唯一のモンゴル文字で書かれた天文図「蒙古天文図石刻」が残されている。
天球の円面に北天極を円心として赤経上の位置を示す経線、円心から順に天北極圏・夏至圏・天赤道圏・冬至圏・天南極圏を示す5つの同心円、
約270の星座、星の数は1550以上彫られており、この天文図は天文学の重要な資料であり、貴重な文化財でもある。
また、ダライラマ3世の時代に「釈迦の小指の骨」がこの塔に持ち込まれ、今でも五塔寺の地下宮殿に眠っているというたという伝説も残っている。
階段で上にあがれるようだが、入場料をとられると聞いてやめた。
Pi-子:ふわぁ〜、なんだか眠くなってきちゃった。昨日から夜行列車に揺られっぱなしだったし、今日はよく
自転車に乗ったからねぇ。ちょっと早いけどホテルに帰る?
おねえたま:その前にちょっと毛糸屋さんに寄っていい?
毛糸屋さん?・・・ああ、そういえば編み物も好きなんだっけ。
それから何件か毛糸屋をはしごし、おねえたまは目的の毛糸を見つけたようだった。
しかし、眠い・・・明日は草原ツアー。
今日はホテルに帰ってゆっくりやすもう。
(Pi-子)
本日のお宿: 呼和浩特賓館(閉館・・・かも)