初めての旅行 〜北京〜



頤和園


草原ツアーから呼和浩特(フフホト)市内に戻ってきたのは翌日の午後だった。

Pi-子:草原ツアー、けっこう楽しかった〜!
宮崎さん:私は今晩の夜行列車で北京へ帰るけど、2人はどうするの?
おねえたま:今日は呼和浩特にもう一泊して、明日北京に向かうつもりです。
宮崎さん:もし宿が決まってなかったら、北京大学に来なさいよ。

中国の殆どの大学や専門学校には"招待所"と呼ばれる宿泊所がある。
本来は学校の関係者や政府機関の人が訪れた際に備えているものだが、空きがあれば一般の旅行者(留学生とは限らず)も泊まれる。

中国では外国人の宿泊場所の管理は厳しく、外国人が泊まれる宿は限られている為、観光地ではなくビジネスでも人が来ないような 地方では宿泊施設が"招待所"しかなかったりもする。
高級ホテルのような立派な招待所もあれば、ドミトリー(大部屋)のような粗末な招待所もあり、学校の財力に左右されるのだろうか?
値段はやはりグレードによって高かったり、安かったり、それぞれ。

ちなみに中国のホテルはいろんな呼び方をしますが、それは宿泊施設のランクを示しているのです。

(安い!)
旅社・旅館・招待所
トイレ・シャワーはなし(または共同)だったりしますが、格安。
しかしながら外国人は泊まれないことも少なくない。
このクラスの"招待所"は上で紹介した学校など公の場所でなく、民間の「ゲストハウス」みたいなものです。
(普通)
旅館・飯店・酒店
トイレ・シャワーは共同。
中国人、華僑の人たちが泊まったりします。外国人は泊まれたり、ダメだったりで要確認
(宿泊時は中国人なら「身分証」、外国人ならパスポートの提示を求められるのでごまかすのはあきらめましょう)
(普通〜超高級)
賓館・大飯店・大酒店
言わずもがな高級宿泊施設。外貨獲得の為、外国人ウェルカム!
但し、一口に飯店・大飯店といっても庶民的〜超高級までは様々。
現在では外資ホテルも多くあり、1ツ星〜5ツ星にランク分けされているそうです。

宮崎さんと別れ、私とおねえたまは内蒙古飯店へ一泊し、その翌日は・・・何したんだっけ?
主要観光地はすでに回ってしまったし、レンタル自転車で街の中うろうろしていたような気がする。

Pi-子:おねえたまは何で呼和浩特に来ようと思ったわけ?草原ツアーに参加したかったの?
おねえたま:ううん、毛糸が欲しかったの!
Pi-子:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

毛糸なんて鄭州でも買えるじゃんっ!!!

・・・と思ったが、心優しき私は口にしなかった。


その日の夜行列車で北京に向かった

おねえたま:Pi-ちゃん、北京は始めてなんだっけ?
Pi-子:中国へ来たのも留学が初めてなんだから来たことないよ。
おねえたま:私も旅行で訪れた程度だけど。どこか行きたいところある?
Pi-子:う〜ん、とりあえず有名な天安門広場を見てみたいかな。


こうして、まずは天安門広場へ向かった。

天安門広場は天安門より道路を挟んで南側に広がる巨大な広場で、その広さ、何と40万uだとか!?
ちなみに天安門とは巨大な毛沢東の写真が飾られている、TVの中継なんかでよく出てくる有名な場所。
(この章の最初に一度言いましたが)1949年10月1日、毛沢東は天安門の壇上から中華人民共和国の成立を宣言したのです。

Pi-子:わ〜、天安門広場って本当にデカいんだ〜!
おねえたま:足元の敷石に2人が立つすると50万人の人を収容できるらしいよ。

50万人!?・・・それはすごいな、さすがは中国!
でも、中国には13〜14億の人間がいるんだからたいした数じゃないのかな?

天安門広場の周りには「人民英雄記念碑」「毛主席記念堂(毛沢東のミイラが安置されている!?)」「人民大会堂」「中国国家博物館(旧・中国歴史博物館、中国革命博物館)」 など共産党がらみの施設が集まっており・・・そこまで権力を誇示しなくても・・・って感じ。

余談ですが、1989年6月4日、民主化を要求して、天安門広場に集まった学生・市民に対し、人民解放軍が発砲し、大弾圧を加えた血なまぐさい大事件 「天安門事件」はこの広場で起こったことからその名前で呼ばれています。

天安門をくぐって、散歩がてら歩いていくと、ある門の前に切符売り場が・・・ここはどこ?
おねえたま:ここから先は"故宮"だよ。今は博物館として公開されてる。
Pi-子:"故宮"って"紫禁城"のことでしょ、天安門と紫禁城ってこんな近くにあったんだ!?
おねえたま:・・・っていうか、天安門って紫禁城の正門のことなんだよ。

あ、そうなんだ。(^_^; ←無知

Pi-子:あれ?紫禁城の中に入らないの?
おねえたま:えっ、だって故宮ってめちゃめちゃ広いんだよ。行くんだったら朝一で行かないと全部見きれないからもったいないよ。

え、そうなんだ。(^_^;A ←無知再び

おねえたま:それより、そろそろお昼にしようよ。Pi-ちゃん、何か食べたいものある?
Pi-子:ん〜、北京に来たんだからやっぱり"北京ダック"が食べたい!!
おねえたま:・・・Pi-ちゃん、"北京ダック"ってアヒルをまるまる1羽潰すんだよ!だから2人じゃ食べきれないよっ!

げ、そうなんだ。/(^_^; ←やっぱり無知

Pi-子:そ・・・そうだよね、忘れてた。(←知ったかぶり)じゃあ、あそこにあるケンタッキーへ行ってみよう!
おねえたま:え〜、北京まで来てケンタッキーフライドチキン!?
Pi-子:いいじゃん、鄭州にはないんだし、話のタネに中国のファーストフード行ってみようよ!
おねえたま:ん・・・ま、いいけどね。


肯徳基家郷鶏(ケンタッキーフライドチキン)
87年、天安門広場の南側にオープンしたケンタッキー(肯徳基)は意外にもマクドナルド(麦当労)に先駆けて中国に誕生した「洋快餐(外国のファーストフード店)」第一号店。
現在では、ケンタッキーは1,000店、少し遅れて進出してきたマクドナルドは500店を中国全土に展開しており、今後もどんどん進店を増やしていく予定とか。

ケンタッキーへ行ってみると入り口にはおなじみのケンタおじさん(本名:カーネルサンダース)が微笑ながら我々を迎え入れてくれた。
中も店のデザインは日本のそれとあまり大差はなく、ほんのちょっぴりノスタルジー。

(この当時は)まだ物珍しさがあり、中国の物価から考えれば、割高だったにも関わらず、超満員! しかも、みんな並ばないし・・・(-_-;

が、しかし、1つだけぽっかりと空いたカウンターが・・・
そのカウンター、実は「兌換券専用窓口」だったのです。

この時、まだ中国には「兌換券」という制度があり、外貨である日本円とか米ドルを人民元に両替する時は一般の中国人が使う「人民元」 と違う「兌換券」という紙幣を渡されたのです。
「兌換券」→「人民元」に両替はできても、逆に「人民元」→「兌換券」もしくは外貨へ両替することが出来ず、結果的に私たち外国人が 両替した中国のお金は中国国内で消費するだけで、出国時にはもともと両替した金額以上持ち出すことはできなくなり、中国国内に 外貨が蓄積される・・・ということになります。

そんなわけで「兌換券」を持っているのは外国人、もしくは外国へ行った事がある者、または「同胞」と呼ばれる香港人、台湾人。
上記のような人たちが行くお店には「兌換券」の専用窓口が作られていたのです。

その他にも兌換券しか使えない、輸入品を中心とする贅沢品を置いてある「友誼商店」、やはり兌換券の支払いしか受け付けない高級ホテルなんかもあったりして、 「庶民のあこがれ兌換券」という感じだったようですが、だんだん価値が下がっていき、政府は94年に兌換券の発行を停止したのです。
(廃止の理由はそれだけではないかも?経済の詳しいことはよく分かりません、すんません)

話はもどってケンタの兌換券専用窓口。
ここだけは混雑が見られず、これって外貨獲得という理由以外に中国人に気後れしてカウンターまでたどり着けない外国人に配慮されたのかも、 と好意的に解釈することにした。

普通に飲物(やっぱりペプシ)、ポテト、サンドのセットをオーダーし、2階席につく。
店内もカウンター同様、違和感はないのだが・・・いや、一つだけあった。
隣に背広を来たおっさん4人が机の真ん中に山盛りのフライドチキンを積み上げて「どうぞ、お召し上がりください」なんてやっていたこと。

Pi-子:あれって、やっぱり接待かな?
おねえたま:たぶんね〜。中国の物価を考えればファーストフードって高いんだと思うよ。まだ物珍しいしね。

日本じゃありえないな、ケンタッキー接待

この後は王府井をぶらつき、お茶しつつ、お買い物。
お店の数、規模ともに「都会だ〜」と感動しきり。

夕方には北京大学へ向かい、宮崎さんと再会。
翌日は頤和園へ行くことにした。



翌朝、我々はさっそく頤和園へ向かった。

宮崎さん:誘っておいてこう言うのもなんだけど、北京大学って中心からかなり離れて不便でしょ。
・・・確かに。おねえたまとバスを探すのに一苦労しました。(^_^;

宮崎さん:でも頤和園へ行く時だけは近くて便利よ。歩いて行けるから。
今はちょうど大学を出て頤和園へ向かう途中・・・でも、なぜだろう、足取りが重い・・・
おねえたま:Pi-ちゃん、どうしたの?
Pi-子:ん〜、なんだろ、今ひとつ調子悪い。旅行の疲れが出てきたのかな?

もしくは食べすぎか?

宮崎さん:気分悪かったら休んでる?私の部屋使っていいから。
Pi-子:休むほどじゃないから、大丈夫ですよ。

とか何とか言っている間に頤和園に到着した。

頤和園は、1750年に夏の離宮として15年の歳月をかけて造営されたが、1860年のアヘン戦争で英仏連合軍によって焼き払われた。
その後、1886年にこの地を好んだ西太后によって再建がなされた。
しかしながら、その費用は海軍費を流用したものだと言われており、そのせいで清は日清戦争に負けた、というのは有名な話。

広大な人造湖、昆明湖 (こんなモデルポーズをとってしま
ったのは周囲の中国人に影響されたのと若気の至りです)
 昆明湖の畔に巡らされた全長約750mに及ぶ長廊
 そこで一休み&ぐったりPi-子(左端)


宮崎さん:お昼は大学の近くで北京ダックを食べようかと思ったんだけど・・・Pi-子さん、大丈夫?無理なら・・・
Pi-子:えっ、北京ダック!?大丈夫、もうすっかりよくなりました!!

とは言いつつ、実は気分が悪かったのだが、北京ダックが食べてみたいが為に人を欺き、自分の体を騙すことに・・・
宮崎さんとそのお友達と共に北京ダックのお店へ向かった。

北京ダックは明朝時代にすでに高級料理として存在していましたが、「宮廷料理」に出世したのは清朝になってから。
皇帝をはじめ、多くの宮廷人に愛され、先ほどの頤和園を再建した西太后も北京ダックを特に好んだのだそうです。

北京ダックに使われるアヒルは普通のアヒルではなく、「北京填鴨」を使います。
これはアヒルの種類ではなく、「填」とは「詰め込む」ことで、強制的に栄養のいい飼料を与え飼育された、北京ダック専用のアヒルを使っているということです。

作り方はかなり手間をかけており、高いのもちょっと納得?
@ 熱湯につけてアヒルの毛を取り除くと、内臓も抜き、きれいに洗う。
A その後は専用の道具で上から吊るし、熱湯と水アメを塗り、皮を乾燥させる。
B よく乾燥した皮をかまどの火でじっくり炙ったら出来上がり。

待つこと数分・・・ついに北京ダックは我々の目の前に姿を現した。
Pi-子:あっ、北京ダックだ!!

小姐(ウェイトレス)が横で北京ダックの皮をきれいに切りさばいていく。
このアヒルの皮を独特のたれ、ねぎと一緒に薄餅に包んで食べる。
「さすがはあの超グルメ、西太后も好んだ料理、これは絶品!!」
・・・と言いたいところだったんだけど、体調不良のせいか、残念ながらあまり美味には感じられず・・・機会があればリベンジしたい。

宮崎さん:じゃあ、2人とも気をつけてね〜( ^_^)/~~~
Pi-子:は〜い、ありがとうございました!!((( ^o^)/(( ^o^)/~~


宮崎さんとはここで別れたが、列車の時間までにはまだまだ時間があり・・・
おねえたま:Pi-ちゃん、大丈夫そうだったら、北京動物園言ってみる?この近くだし。
Pi-子:あ〜、どうしようかな・・・せっかくだからパンダは見たいかな。


「近くにあるから」という理由だけで北京動物園に入園。
園内をほっつき歩くが、目的のパンダは発見できず!?
しかし、園内案内図を見てパンダは園内の「パンダ館」に拉致・監禁されていることを知る。

おねえたま:パンダ館は入園券とは別で2元だって。どうする?
Pi-子:なんか、ぼったくられている気はするけど、パンダ見に来たんだし入ろう。

ちなみに入園券は1元、パンダ館の値段は2元で・・・入園券の値段より高いじゃんっ!

2元を払って「パンダ館」へ入るが・・・
Pi-子:パンダ・・・全然動かないじゃん。あれ、剥製ってことないよね?
おねえたま:いや、ここまで来て剥製はないでしょう?お昼寝タイム・・・とか?

(注:パンダは夜行性です)

動かないパンダに不満を感じつつ、北京動物園を出た我々。
特に目的も無く、のんべんだらり、まったりと時間を過ごし・・・やる気もやる事もないから少し早いけど北京駅へ行こうかな、と思った時だった。
おねえたま:夕飯に日本食を食べてから、北京駅へ行こう!
Pi-子:夕飯?なんか北京ダック食べたの遅かったからあんまりお腹減ってないじゃん。
おねえたま:でも鄭州には日本料理屋さんないんだから、今度はいつ食べられるか分からないんだよ!!

まぁ、確かに・・・

おねえたま:私、駅の近くで日本料理店知ってるから、そこへ行こう!!!
別に和食派じゃないけど、久しぶりに日本料理を食べたいな〜というのもあって・・・おねえたまの知っているという日本料理屋へ行くことにした。

服務員:いらっしゃいませ(日本語&お辞儀)
おおっ、久々の日本式のアプローチ!!
やっぱり気持ちいいなぁ、こうゆうの。

ここで、おねえたまは「うなぎ丼」を私は「いくら丼」をオーダー。
日本で食べるよりもやっぱり割高だって、人造いくらだって、それでもいいもんだよな〜
自覚はあまりないが、やっぱり日本人だったんだな〜・・・と思いつつ、店を後にし、列車に乗り込んだ。

Pi-子:旅行は楽しいけれど、やっぱり帰る時ってちょっとほっとするね。
おねえたま:うん、「もう旅行が終わっちゃう」ってがっかり感もあるけど、帰れるって安心感もあるよ。
Pi-子:はぁ、それにしても・・・まだお腹いっぱいで苦しい・・・
おねえたま:え、そんなに食べた?
Pi-子:量っていうか、北京ダック食べて、それほど時間空けてないのに立て続けに食べたせいかな?
おねえたま:私はそれほど苦しくないよ。気持ち悪いのは大丈夫?
Pi-子:うん、もうそっちは大丈夫・・・あ〜、苦しいからもう寝よ。
おねえたま:ゆっくり休んで。おやすみ〜



列車は鄭州に向かって走る・・・

気持ち悪いっ!!

あまりの気持ち悪さに目覚める。
なんだろう、この気持ち悪さ?
モンゴルの羊?・・・でも、気持ち悪くなってきたのは今日の朝からだし。
北京に着いてからは、そこそこのレストランへ行ってるから衛生的な問題じゃないと思うけど?

寝台の上で考えているうちに、状態はどんどん悪化していき・・・

Pi-子:もう、ダメだ・・・

それから先は寝台→トイレ→寝台→トイレの往復。
いっそのことずっとトイレにいたいぐらいだったが、この時代、トイレはまだ下に流れ落ちていくだけだったので、列車が駅に停車する度、 車掌に(←女性が多いのだが、とんでもなく横暴)強制的に叩き出され、時には先客ありだったりして、何度も危機的状況になりながら、 なんとか鄭州へ帰ったのであります。

それにしても昼食で食べた北京ダックが、夜食べたいくら丼が全部体の外に・・・

ああっ、もったいないっ!!(T_T)

(Pi-子)