2008.1.26
「金持ち気分」中 国の昆明からバスに揺られ、徒歩でベトナム国境を超える。バスから風景を眺めていると、霜をかぶった白菜→菜の花畑→麦→ サトウキビ→バナナと作物が徐々 に変わっていく。道は、片3車線の高速道路→ワインディングロード→九十九折峠→未舗装道路といった具合。最終的には隣の 席の中国人が嘔吐して大変なこと に・・・。陸路で長い時間をかけて移動するとは、実に楽しいことです。 |
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2008.1.27
「トレッキング」朝の9時より通称カットカットトレッキングというのに出かける。往復道のり3時間程度のトレッキングだ。ベトナム人への不信感もあり、ガイドは雇わずに単独行動。当初は不安を感じていたが、ほかのガイドをつけたトレッカーが幾人かとすれ違い、道に迷うようなことはなかった。天候は、相変わらずで、霧によって視界が20メートル程度、道はところどころぬかるんでいた。しかし、装備にヌカリなく、泥対策をしていたので、ほかの白人トレッカーが泥だらけになりながら歩いているのを尻目にずんずんと足は進む。途中、少数民族の村があり、覗いてみたり、そんな感じのトレッキング。よい運動になった。疲れたので、夕食は奮発して500円ぐらいの豪華なものを食べた |
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2008.1.28
「即席ホームステー」今 日は濃霧に加え、雨も降っている。朝7時からバスでラオカイに向かう。ラオカイでは何もすることがないので、即ハノイ行きの列車に乗り込む。12時間に及 ぶ移動なのに、列車では残念ながら通路側の席。ほとんど寝てすごすつもりだった。しかし、あと3時間ぐらいになったところだろうか、物売りからもち米の団 子みたいなものを買う。金を払うと、隣のベトナム人が、「お前払いすぎだぜ、やつは嘘をついてるんだ」と注意してくれた。それをきっかけにいろいろとつた ない英語でのコミュニケーションが始まった。ハノイに到着するころには、ジョーダんを言い合ったり、お互いの国のクールな言葉を教えあったりするなど、相 当打ち解ける。自然の流れというか、持ち前のずうずうしさで、彼の家に即席ホームステイすることになった。ハノイに着いたのは9時ごろだったのだが、そこ からさらに4時間バスを乗り継ぎ、家についた。 |
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2008.1.29
「即席ホームステー2」朝 食はベトナムで一般的な伝統料理を食べる。朝になってこの家の大きさにびっくりする。相当な金持ちらしく、洋風のつくりで、玄関を入るとホテルのエントラ ンスのようなつくりになっており、3階の各階の天井はものすごく高くて開放感がある。招待してくれたレヴィはほかにも何人か若者を誘って、一緒に町へと繰 り出す。普通にデパートで携帯電話の品定めをしてみたり、ファッションに気をつかってみたりと、思っていたよりも近代的なベトナムにびっくり。昼食は彼の 父親が招待してくれるということで職場へと向かう。彼の父は警察官であり、さらに大きなホテルを経営している実業家でもあるらしい。従業員など10名以上 で食卓を囲む。昼間からたくさん酒を飲みすばらしいひと時を過ごさせてもらった。 |
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2008.1.30
「ハノイへ」7時半に起きて、ハノイへと向かうことに。バスチケットからその後ハノイでのタクシーの心配まで、ラヴィは本当にクレバーでカインドネスあふれる青年だ。またいつか会えることを願っている。 |
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2008.1.31
「ホーチミンと対面」昨 日から泊まっている宿は、「地球の歩き方」にも載っている日本人がよく泊まる場所。一日3ドルという激安ドミトリーだ。なにやら調べれば調べるほど、この 時期のハノイはすることが無いということに気づかされる。とりあえず今日はホーチミンの遺体が保管されている場所。厳重な監視とセキュリティーチェックの 厳しさで、神聖なものを見に行くような気分にさせられる。そして、例のものは、特別な保存方法で、いつ動き出してもおかしくないような状態で横たわってい て不思議な感じだった |
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2008.2.1
「雨」昨 日の時点で、ガイドブックを頼りにいろいろと計画を立てていたものの、あいにくの天候でおじゃん。宿のカウンターで聞いてみるとこの時期はほとんどこのよ うな天気らしい。期待していたアオザイ姿の女性も皆無だし、バイク地獄のこの町はあまり長い滞在には向かないと思い出した。 |
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2008.3.2
「歴史の重み」本 日見に行ったのは、「軍事博物館」もう少し本格的にベトナム戦争について勉強してから臨めばよかったのかもしれないが、基本的には大満足。庭には実際に使 用されていた戦車、戦闘機、弾道ミサイル、ヘリと巨大な展示物が並び、施設内のパネル展示も生々しく戦争の怖さを伝えてくれた。そして、何よりも感慨深 かったのが、アフリカとフランス軍の撃墜された戦闘機残骸モニュメント。白人たちが自らの利権争いの場所として、ベトナムに乗り込み多数の尊い命を奪っ た。そしてまた、彼らも彼らなりの信念を持って、そして国で待つ家族を思いベトナムの地に散っていった。 現在でもアメリカを負かしたことを最高の誇り として語り継ぐベトナム人。そして、懲りずに他国で銃を振り回す超大国アメリカ。モニュメントの前で考えさせられることは多かった。 |
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2008.3.3
「ハロン湾クルーズ」朝、 迎えに来たバスに乗り込む。ガイドは聞き取りづらい英語な上に挙動変なやつで、相当心配なツアーの出発となる。自分が申し込んだのは1泊2日でカットバ島 に上陸するタイプのツアー。湾に到着すると、ジャンク船に乗り込む。これが、カリブの海賊風のいかした船で海上の桂林といわれる巨大な岩がニョキニョキ立 つ海に乗り出す。さすがは世界遺産!金に物を言わせて何でもかんでも遺産登録しようとする日本のものとは規模が違う。途中で巨大な洞窟を巡ったりとツアー としても内容が濃い。 |
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2008.3.4
「ハロン湾クルーズ2」昨 日、船から下りて向かったホテルは、だまされているのかと思うぐらいの豪華なホテル。久々のフカフカベットに感動で、10時間以上眠る。特にホテル周辺に は見るものもなく外出もほとんどしなかった。今日はほとんど帰るだけのクルーズ ほとんど期待していなかっただけに、昨日のクルーズで満腹。 31ドルの ツアーでした。 |
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2008.3.5
「大移動」本 日夕方5時からビエンチャンに向けて移動を控えているので、ほとんど日中は活動をせず宿で時間をつぶす。17時になり、バスの中で食らうためのパンを大量 に仕入れる。これが、フランスの植民地下にあっただけあり、以外にもうまい。バイクタクシー→乗り合いバン→自称VIPバスに乗り換 えラオスに向かう。ラ オスに運ぶ物資が載っていたり、地元民が公共バスのように乗り込んでは降り・・・まあ、聞いていたとおりあまり心地のよい移動ではない。ただ、乗客の90 パーセントが欧米人で、荷物の心配など無く、その点はよかったか。 |