チベット日記Ⅲ(東チベット)

 

2007.2.4(65日目)

「成都→マルカム」

成都AM6:00 必要のない荷物を預けて10日間お世話になっていたsim's cozyゲストハウスを立つ。バスターミナルで乗り込んだバスの中は、すでにチベタン色で染まっている。バスは満席で、自分の周りは僧侶。時折、彼は重低音の効いた念仏を唱えており、何かチベット再来が祝福されているようでうれしかった。今日の宿泊地はマルカム、今回目指す場所へはバスは直 行ではあるものの2日かかるため、他の客と一緒に宿に押し込められた。

 

2007.2.5(66日目)

「マルカム→セルタ→ラルンガル・ゴンパ」

 朝5時半バスの運転手のノックで皆が起き上がり出発。正午をだ いぶ回ったところでセルタという町に到着、すぐにラルンガル直行乗り合いバンに乗り込む。ラルンガルへの入り口にはポリスステーショ ンと車止めのバーがあり、外人観光客が侵入しないよう見張っている。運転手は、とても理解のある人で、座席下に潜り込むよう指示してくれて侵入成功。

ラルンガルゴンパ

目の前に広がる巨大なラルンガル僧坊群。ひときわ目立つ仏塔に登り全体を見渡していると、腰かけていた若い僧と目が会い、なぜだか互い微笑みあった後、横に座るよう手招された。彼の名前はガースナゴン、僧侶となるためにここラルンガルで勉強をしている二十歳の見習い僧だった。

外人が一人で訪れたことに驚いている様子で、「俺の家に来たら宿と飯の心配はない。」と熱心に誘ってくれた。願ってもない申し出に即決する。家は5メートル四方ぐらいの石を積み立てて作った僧坊で、必要最低限の物しかない。仏壇には政府から禁止されているはずのダライラマ14世の写真が堂々と飾ってある。しばらくすると、彼の先生、友達、僧侶が集まってきて指差し会話 帳の威力が爆発。チベタン料理を食いながらお互いの文化の違いに笑ったり、議論したりの楽しい夜になった。

2007.2.6(67日目)

「余裕の再侵入」

8時に起きて深呼吸したら、鼻の中が凍った。ガースナゴン曰く「寒いから、皆10時から起きる、もう少し寝ていなさい」。 10時に再び起きて、チベタン食の真髄「ツアンパ」を食べる。今日は、ガースナゴンの勧めで、一度ラルンガルを出て、変装用チベ タン衣装を購入するため、色達まで戻ることになった。ダウンジャケット姿ではラルンガルではコソコソとしなくてはいけないからだ。異様に長い袖のスー リーと呼ばれるチベタンコートを購入。これだけでカナリ自信が湧いてきて帰りの乗り合いバンでは隠れることもなく堂々とラルンガルの門をくぐる。

僧坊群

2007.2.7(68日目)

「天に召される民Ⅲ」

※親友となった僧侶な計らいで、遺族と一緒に鳥葬を見せてもらうことを許され、取り仕切っている方に撮影許可を頂きました。 中国語では天葬、英語では空葬 (Sky burial) などと呼ばれ、 2006年11月に撮影や報道を禁止する「鳥葬管理暫行規定」 がチベット自治区政府により公布されており、合法的に見ることはできない。

 死体にレンズを向けることに抵抗があるし、遺族の気持ちも読み取れないので撮影できることになるとは思っていなかったが、「チベット文化の記録として持ち帰ってほしい。」と僧侶にはっきりと言われました。暫行規定はチべタンの意思ではなく中国当局の策略の一つであると彼は言いたかったのだろう。

 

正午を回ったころ、丘の草原に100人ぐらいの尼さん達が集まっていた。これから何が起こるか知らなければ、ピクニックのように楽しげに見えることだろう。少し早く着きすぎたようで、ガースナゴンの知り合いのお爺さんと3人で日向ぼっこをする

老僧

PM3:00になると、どこからともなく巨大な鳥たちが集まってきて周囲の丘で群れている。そしてついに遺体ががライトバンやバイクで運ばれてきた。周りの雰囲気が 張り詰め、先ほどまで楽しげに話をしていた尼さん達が念仏の大合唱を始める。
運ばれてきた遺体は全部で7つ、箱から取り出され順に解体されていく。顔をターバンのようなもので隠し、手には大きな包丁を持った鳥葬師一人に よってこれからの儀式すべてが行われる。初めに遺体を袋から出して硬直をといた後、全体にわたって細かい切り傷を入れていく。ここで硬直の激しいものは手足が切 断される。次に首裏の辺りから脊髄に沿って深く切込みが尻まで入れられ、太もも→ふくらはぎ→足の裏にむかって筋が入れられ皮肉が はがされる。次におも むろに髪の毛を持ち頭を持ち上げたかと思うと額あたりから包丁を入れて頭皮を引っぺがすと、簡単にツルツルの頭蓋が出てきた。解体していく男の目には感情一つ見えないし、見守る遺族にすら何の感情も表れない。淡々と年が多い者順に解体され、乳児までが解体されていた。鳥達はあたりに広がる臭いに我慢できないのか、見ている我々の頭上ギ リギリを奇声を上げながら飛んでいる。

tibet Sky burial
次に興味深いことが行われた。7体はそれぞれ、遺族が求める体の一部(脇の下、股あたりから取られる謎の丸い物体だったり、頭蓋の天辺など)が取り出され、差し出されたお金と交換された。相場は50元ぐらい。淡々と行われていく中で唯一儀式めいた場面だった。 計7体の遺体の解体が終わり一列になれべれたところで、尼さんたちの念仏の声が一段と大きくなり・・・次の瞬間「アイヤー」という鳥葬師の一声で鳥達が我先に解体された遺体にに群がる。100羽ぐらいいるだろうか羽を広げると2mを超える鳥が肉を奪い合いながら暴れまわっている。
転生に対する強い思いを感じた時、究極の「得」の意味を理解し、美しいと感じた。

天葬

2007.2.8(69日目)

「文殊の知恵」

 起床は10時、今日はお坊さんたちの集会があるということでラルンガルの中心に位置するお寺に行ってきた。入ると数百人のお坊さんが高僧の話を聞いている 。建物の横では直径5メートル位の鍋に茶とお粥のような物が作られており、彼ら僧侶に配給されているようだ。

 建物に入ると、卒業式のように一人一人の名前が呼ばれ、高僧から何かを受け取る儀式をやっていた。一度にこれだけの僧侶が集まる姿は圧巻だが、一人一人をよく観察してみると、サングラスでチョイ悪坊主をきめていたり、携帯でメールのやり取りをしている者、MP3プレイヤーで音楽を聴いている者もいたりと、ギャップが面白い。

文殊の知恵
その後、尼寺の周りで尼さんの写真を撮ったりしながら一日を過ごす。僧坊に帰る途中で一人の僧侶の家に誘われて、そこの仏壇で読経タイムを過ごさせても らった。密教道具を駆使しての1時間ほどの念仏で、熱心で超低音の効いた念仏。しばし時を忘れて、お経に引き込まれていく。邪念が取り払われた様な感覚に なり、感謝の気持ちいっぱいで帰途に着く。今日までに多くの僧侶とコミュニケーションを取ったが、どうやら彼らの宗派はバラバラでサキャ派、ニンマ派、カ ギュ派などが入り混じっている。

2007.2.9(70日目)

「ラルンガル6日目」

今日の朝は普段より少々暖かく、一人朝早く目が覚める。どうやら雪が降っているようだ。雪のラルンガルを写真に収めるため、まだ暗い8時ごろから行動開始。 少々めんどくさくて民族衣装ではなくダウンジャケットで出かけてしまった。やはりお坊さんたちからの視線が急に鋭くなったように感じる。 高台の寺院に上がると、遊牧民風の集団がいた。そこに尼さんがやってきてはヤクの糞を大事に家に持って帰える。良い燃料になるそうだ 何一つ無駄のない生活か・・・。遊牧民
 馬にまたがったヤク追いがとても綺麗なチュバを着ていたので、頼んで少しの間写真を取らせてもらうこととした。 口から出す音と投げる石だけで30頭あまりのヤクを一人でまとめて大移動する。


しかし、しばらくすると変装していない今日に限って中国政府の車 2台 が上がってきて、必死にがけを滑り降りた。標高4050メートル、毎日食べるものといえば麺類かツァンパ、炒め物。コンセントはあるが電気は来ていない。暖房のない中-20℃近い気温。当然風呂もなく、文明シックが急に襲ってきた。そして、なにより、今日の逃走で急激にエネルギーが削がれてしまったようだ。明日この町を去 ることにしよう。

 

2007.2.10(71日目)

「セルタ→マルカム」

朝 9時、今日まで寝る場所を提供してくれたツァヌンナンギャ君(ガースナゴンの兄)と固い握手を交わしてラルンガルを去ることに。6日間という、当初の予 定より短い滞在だったが、悔やむことはまったくない。ラサでは見ることができなかった「リアルチベット」を見ることができた。お 坊さんや、尼さんに囲まれた状態での乗り合いバスを乗り継ぎ、ラルンガル→セルタ→マルカムの町へと向かう。久々に近代的なホテルに 泊まり、一週間ぶりの シャワーを浴びると、本当に真っ黒な汚れが出てきた。

2007.2.11(72日目)

「シムズゲストハウス」

朝 7時マルカムから成都行きのバスに乗り込む。チベタン色が徐々に消えて文明に近づいていくと、やはり少し寂しい気持ちになる。しかし、Sim's cozyゲストハウスに着くなり、「ただいま!」 と従業員から言われ、寂しさも吹き飛んだ。ゲストハウス内のバーで働いているチベタンの女の子に報告すると、ラルンガルにあっけなく入れたことと、天葬写真を撮ってきたことに 相当驚いている様子だった。

マニマニ