中国日記
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2007.1.27(58日目) |
「電脳街」 |
風邪を引いていた一週間前のウルムチ。注意力が散漫になっていたせいでUSBコード、MP3プレイヤーの充電アダプタ等コード類をまとめて入れていた袋を紛失。そのせいでブログに写真をアップできなかったし、音楽を聴くこともできなかった。 そこで今日は「秋葉原」まで買出し来ました。久々に日本製品に囲まれて安堵感というかなんと言うか。これでしばらくUPしてなかった写真もブログに挙げら れるし、MP3プレイヤーでガンガン中国の音楽を集めることができます。(場所はチェンドゥ電気街) |
2007.1.28(59日目) |
「電脳街Ⅱ」 |
昨 日知り合った日本人カメラマンと、またもや秋葉原(電脳城)に行くことになった。昨日は目的が目的だけに、あまり周りの商品について目がいく事がなかった が、今日はいろいろとめぐってきた。メモリ類が安いとは聞いていたが、どうやら東京秋葉原で買うのとそんなに大差がないと思った。少し気になったのは MP3プレーヤーが60元ぐらいからあり、違法コピーDVD(パッケージの見栄えは正規品っぽい)が一枚5元で売られていたことくらいだろうか。日本の製 品はこちらでも一目おかれていて、一眼レフカメラ、ノートパソコンといったものが日本の現状価格の1~2割り増しぐらいの値段で売られていた。中国の平均 収入を考慮するとあり得ない値段だ。それでも売れているところを見ると、貧困格差がものすごいのだと思う。 今日は、そのカメラマンから最近発売されたニッコールVR70~300のレンズをお借りして自分のカメラに装着して動き回っていた。デジタル換算 450mmまで行けるということで帰ったら買うつもりでいたレンズで、機会だった。旅行でも何とか耐えられる重さと、手ぶれ補正の威力には驚いたが、少し 色が乗ってこない眠い絵しか撮れなかった。その後で借りた50ミリF1,4の方が感動的で、またマニアックな方向に流れてしまうのかなと。そのカメラマン も個性的な写真を撮る方で、夜は大変勉強になるレクチャーを受けました。 |
2007.1.29(60日目) |
「暴食」 |
成 都に来て、食事に関して美味しい物をたらふく食べている。中国では一品の皿が巨大で何人かで食いにいかないと種類が食べられない。成都に来てからというも の、日本人を見つけては食事に誘っているので、昨日からは4人体制で四川料理を堪能している。うまいうまい!からいからい!四川の名物料理を片っ端から 食っている感じだ。昨晩は火鍋を囲む。そう言えば、店員から薦められ出てきたものはキレイナ色をしたプリプリした物体。とりあえずみんな食い終わったとこ ろで何か聞いてみると豚の脳味噌だった。まあ、ご利益がありそうな感じだ。今日までに食って感動した品は「魚香茄子」「マーボ豆腐」「官爆鶏丁」である。 宿の情報ノートのおかげでハズレなくこなしてます。 |
2007.1.30(61日目) |
「遠足」 |
ゲ ストハウスのなんとも粋な計らいで、遠足に出かけてきた。10人ちょっとで、ほとんどがゲストハウスの従業員だ。ワゴン車で向かった先は100キロ以上は なれた場所にある古い町並みと古民家である。その町に着くと、日本の農村風景そのままのようで、懐かしさがこみ上げてくるような場所だった。 今日の一番の思い出は、古民家でお爺さんがキセルを吸っており、あまりにも気になる香りの葉っぱを吸っていたので、分けてもらえるよう交渉。10元ですご い束のタバコの葉を分けてもらった。彼もよほどうれしかったらしく、またほしいときはここに連絡してくれ、と電話番号を渡してくれた。 |
2007.2.1(62日目) |
「腹下る」 |
ここのところ、ゲストハウスの近場で毎日お祭りが行われており屋台が出ていろいろな地方の特産品が出ている。今日も日本人の友達と夕飯に食いに出かけたの だが、ずっと気になっていたゲテモノに手を出すことになった。彼は果敢にも手のひらサイズの蜘蛛、そして自分はヒトデを食うことに。以外に味は旨く、調子 に乗って全部食ってしまったのが間違いだった。1時間後、思いっきりモドし、後、夜中は下痢が続いた・・・ |
2007.2.2(63日目) |
「チベットの誘惑」 |
今日は成都にあるチベタンが沢山住むエリアに足を運んでみることに。一ヶ月前当たり前のように見ていたはずのチベタン衣装の人が歩いている。チベットから 出た後、ウイグル自治区で感じた「自分の肌に合わない」という感覚、チベットに対して「なつかしさ」がこみ上げる。もしかして、自分は前世で彼ら(チベタ ン)の中にいて幸せな後世を祈っていたのではないかと少なからず感じていたりする。よし!!今回の旅で二度めのチベット入りを実行に移します。 |
2007.2.3(64日目) |
「チベットの誘惑Ⅱ」 |
チ ベット再訪問を決めた時点で、具体的に向かう先に目星がついていた。東チベットで最大規模を誇るラルンガル・ゴンパである。外国人には解放されておらず、 隠れて潜入しなくてはいけない場所である。今回の旅中であった日本人が潜入成功したと最近メールをくれたので、自分も行ってみたかったのだ。今日のうちに バスのチケットを取り、後は体力温存のためゲストハウスにこもって映画を見たり、本を読んだり、猫とじゃれ合ったり・・・うーん楽しみだ |
2007.2.11(72日目) |
「生還」 |
朝 7時マルカムから成都行きのバスに乗り込む。チベタン色が徐々に消えて文明に近づいていくと、やはり少し寂しい気持ちになる。Sim's cozyゲストハウスに着くなり、「ただいま!」 と従業員から言われたときには、ふと涙腺が緩みそうになった。ゲストハウス内のバーで働いているチベタンの子に報告すると、天葬の写真を撮ってきたことに 相当驚いている様子で、改めてものすごい経験をしてきたんだと感じた。これまでのチベット旅行で疑問に思っていたチベット文化などの質問もできて、相当楽 しい夜になった。 |
2007.2.12(73日目) |
「思い出バックアップ」 |
こ れだけ長いたびになってくると、何よりも重要度を増してくるのが、旅の思い出である。極論パスポートでさえも再発行ができる。日記やカメラのデータは無く してしまったら代わりの効かない大切なものである。それでいて、実際、旅の途中で無くしてしまった人の話を結構聞くものである。そこで、今回の旅ではマメ すぎるほどのバックアップを心がけている。日記に関しては、書いたものをデジカメで一ページ一ページ撮り、ブログにもつけていて、3バックアップ体制。 それに対してデジカメデータは60Gストレージ一本とベストショットをSDカードに入れているだけ。少し心配なバックアップ体制なので、今日は成都の秋葉 原に行ってモバイルHDDを購入することになった。中国製で、かなり安く済ませることもできるが重要なデータを扱うことを考えると少し奮発して日本製の HDDを買うこととなり、結局東芝製120Gのハードディスクをリーダー込みで1000元で買ってきた。 |
2007.2.13(74日目) |
「旧正月に向けて」 |
今 日はゲストハウス主催の正月祭りだ。昼間は、ラルンガルに行っていて滞っていたブログなどの更新で時間をつぶし19時からのパーティースタート。ゲストハ ウス前に特設会場が設けられて食べ物が振舞われた。やはり、大人数で、しかも沢山の国からの旅行者で囲む中華料理は最高である。途中、自分がラルンガルで 買ってきた衣装を持ち込むと、バーで働いているチベタン子もチベタン衣装を持ってくる。チベタン音楽を流し、踊りだす人もいて、一気に会場はチベタンムー ド。結局深夜3時ごろまでワイワイ飲んでいた。 |
2007.2.14(75日目) |
「チベットを思う」 |
ここのゲストハウスにいると、チベットへ向かう人たちが中継点としてよく利用する。そんな中でいろいろとアドバイスを求められたりして、説明しているとまたチベットへ戻りたいと言う気持ちが頭をもたげてくる。しかしさすがに、3度目は無い。 いったい自分はチベットのどこに惹かれているのか考えてみる。宗教そのものと言うより、それに対して向かう彼らの姿勢であったり、最低限の物で生き、決し て現代文明を否定するわけでもないけど、自然と共存したいと願う彼らの考え方に惹かれているのだと思う |
2007.2.15(73日目) |
「軽量化」 |
今 日で、かなりの荷物とおさらばすることができた。途中で買ったお土産といっしょに、何かの拍子にまたチベットに向かわないように防寒具、寝袋もまとめて日 本に船便として送った。5kgぐらいで250元程度と思っていたよりも安く送ることができた。一ヵ月後くらいに届くと言うことだが、郵便局の人にハッキリ と「届かなくて困るものは入れないでください。」といわれてしまう。いったいどういうことなのかわからないが、とにかくそういうことなのだろう。
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2007.2.16(74日目) |
「トレッキング」 |
正 午から、もう一人日本人と向かった先はアウトドア用品店。LEDライトと手袋を買ってバスに乗り込む。一昨日何かの勢いで2人でエイメイシャン(我眉山) に上ろうと言うことになったのだ。バスがふもとに着いたのは夕方の5時ごろで、夜通し歩いて山頂を目指すと言う計画だ。チケット売り場を無事無料で通り、 歩いているとしつこいバイタクに乗るよう薦められる。とりあえずふもとの万年寺まで乗せてもらうことになる。どうやら、バイタクの一人は監視員も兼ねてい たようでチケットの購入を迫られるも、一人120元のところを二人で100元で見逃してもらうことに。結局歩き出したのは7時を回っており真っ暗な中山頂 を目指す。一時間もたたないうちに雨が本格的に降り出してきて体力が奪われていく。その時点で一晩中歩き続ける自身がなくなってきていたのだが、9時半ぐ らいになると雪に変わり限界が訪れ、途中のお寺に泊めてもらうことになった。よくよく考えてみると、一晩歩き続けると言うのに食べ物はクッキーとスニッ カーズしか持ってきておらず、あまりの無謀さに2人で大笑いして眠りについた。 |
2007.2.17(75日目) |
「我眉山」 |
昨 日の雪が薄っすらとかかる道を朝8時から歩き出す。思った以上に昨日の疲れが残っている。周りは、霧がかかっており、ほとんど景色を拝めることなく11時 ごろ金頂(山頂)に到着する。そして、とにかく巨大な山頂に作られた建造物に驚く。チベット色が色濃く入っており、それだけでも満足だ。疲れていたせい で、何を食ってもうまい。ちょうど自分たちが到着したころ一時的に霧が晴れて絶望的な状況でもなかったし、神様に感謝。すでに二人とも足が棒のようになっ ており、帰りはジェットコースターごとくバスで一気に駆け下り、成都に向かう。 |
2007.2.18(73日目) |
「再び居心地の良い宿へ」 |
昨 日は、中国の旧正月大晦日だった。疲れきった2人を暖かく迎えてくれたシムズゲストハウスでは、プチ餃子パーティーが行われており、疲れが一気に吹き飛ん だ。 本日は昼間から酒を飲みほかの日本人たちとグウタラすごす。次に自分がどこに向かうかある程度計画が立ってきた。 |
2007.2.19(74日目) |
「バンコク行きチケット」 |
す でに、中国滞在ビザ期間がリミットを迎える。これ以上中国を見て回ることも無いと、せっかく買ったリージャンまでのチケットを無駄にする形となったが、バ ンコクへと飛ぶ飛行機チケットを買ってきた。一人、また一人と旅仲間が宿を去っていき、一番の古株になってしまった。今日は特に仲良くしていた友を送り出 すためプチ送迎会。俺もそろそろ腰を上げるぞ |
2007.2.20~25(75日目) |
「三国志な毎日」 |
と にかく、暇さえあれば三国志を読んでいた。こんなところまで来ていったいなぜ日本のマンガを読んでいるのか、しかし、こんな場所で無いと、これだけの大作 を読みきることはできなかったであろう。大将格の身勝手な判断で多くの民や兵士が何万単位で死んでいく。有名な武将は神がかり的な描写で書かれすぎていて ワンパターン。しかし、とにかく全館読むことを自分に課した。途中へこたれそうになって、諸葛孔明の祠堂「武侯祠(ぶこうし)」へと足を運ぶ。少しでも三国志の時代への興味を持ったところで24日に読破する。 |
2008.1.21(1日目) |
「上海再び」 |
懲りもせず、フェリーにて上海上陸しました。
上海はあいにくの雨、降ってさえいなければ、南下するチケットを取りに行ってこんな町はおさらばしたかったのですが、失敗です明日は誕生日...一番嫌な 場所で過ごさなくてはいけないなんて我ながら可愛そうなヤツです。とりあえず、明日、昆明へのチケットをゲットして、ベトナムを目指したいと思います。 |
2008.1.23(74日目) |
「上海ー昆明」 |
今晩、寝台列車で昆明まで移動です。不覚にも上海に3日間の滞在をさせられてしまったが、いい具合に体調の管理ができて、いい充電時間になりました。結局、ほとんど宿からは出ず、旅のプランニングとビリヤードをして過ごしていた。 はじめは、無愛想だった宿の従業員。ビリヤードを通して、言葉は通じないけど少し一目置かれるようになってますw。手玉2クッション入れてから的玉を落と すショットが彼らにはかなりトリッキーに見えるようです。宿のオーナー相手に圧勝、勝ち逃げ 。旅行で役立つゲームは個人的にはビリヤードとチェスだと思 います。ほぼ、全世界の人が知っていて、それだけ言葉を必要としないから。 こんなわけの解らないスタートを切った旅ですが、やっとまた動き始めます。今回の旅は「トリップ」じゃなくて「ジャーニー」。 今晩の列車も16時間ぐらい乗っていなくてはいけないけど、その移動の時間も楽しみながら行きます。 |
2008.1.25(3日目) |
「ガイドブックの罠」 |
一 昨日の19時過ぎに乗った列車は昨日の朝8時に昆明には到着しませんでした。ガイドブックに15時間と書いてあったし、電光掲示板にも8:40着とかいて あったのに・・・。と!?なんと、2泊3日の移動で、本日の8時40分到着が正解。さすがに距離からして15時間はないよな ガイドブックを鵜呑みにし て、反省 |
ベトナム編へ |
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2008.1.23(74日目) |
2008.1.25(3日目) |
「ガイドブックの罠」 |
2008.1.23(74日目) |
「上海ー昆明」 |
2008.1.25(3日目) |
「ガイドブックの罠」 |