中国日記

2006.12.1(1日目)

「出航」

  大阪国際フェリーターミナルから「蘇州号」に乗って始まった今回の旅。往復で3万円という破格(雑魚寝部屋)で馬鹿らしいくらい快適だ。飛行機のそれとは 比べ物にならない。なんといっても広さがいい。風景を楽しむ余裕があり、2泊三日というスローペースさが海外へ行くという心の準備期間としては丁度いいの ではと。 初めて船の上から見た夕日はこれから始まろうとしている長旅がきっとすばらしいものになると、予感をさせてくれた。
 

2006.12.6(2日目

「第一関門」

昨日書いたことを撤回したい。

確かに昨日までは、船内では楽しげな声が行き交い、卓球のピンポンの音等、平和そのものだった。それに比べて今はどうだ?そこら中から聞こえる苦しげな声と嘔吐の音。
朝は、とてもよい目覚めだった。5時ごろから甲板で一人朝日が出るのを待っていた。結局雲が出てきて朝日自体は見れなかったが、十分充実した時間をすごせたと思う。
11時30分を過ぎたあたりから悪夢が始まった。みんなの口数が徐々に少なくなってきて、布団に入りだす。巨大な船特有の幅の広い揺れ。まともに歩けなく なってきた。自分も人並みに三半規管がおかしくなっていることに感心しながらも、体を横にしていた。
ふと、気がつくと、すでに夜7時だ。夕飯提供時間のアナウンスが流れている。勇気を振り絞って3回レストランまで足を伸ばしたが、吐き気が襲ってきて2回 は途中で引き返し、最後はレストランに到着したが、そのままレストラン内のソファーに倒れこんで動けなくなった。気が利くことに、昨日までなかった嘔吐物 受用の袋がそこらじゅうに引っ掛けてあるではないか。
チベットでもしものことがあればと、用意しておいた非常食の中からカロリーメートが早くも消えてしまったよ

船旅は最悪だ
2006.12.3(3日目)

「こんにちは上海」

昨 日からの揺れは朝になっても続いていた。こんな体にダメージを受けたのも、前回のネパールトレッキングで高山病になったとき以来だ。自分で好んで選んだ苦 しい道なのに、どうにもこうにも逃れることができない状況。「二度と船なんて乗るか」と一晩中、眠れず考えていた。しかし、今回でチョモランマトレッキン グを予定しているように、来年あたり海に帰ってくるんだと思う。
そして、15:00念願の下船。今ネットカフェに入ったのが21時ぐらいだが、まだユラユラフラフラ足元が揺れている妙な感覚だ。今日からお世話になる宿 は「船長青年酒店」という名前のところ。中国では東の海岸に沿って経済発展している都市が多く、上海では70元のドミトリーを探すのもやっとだった。5人 の相部屋で謎のヨーロピアン、韓国人と寝ることになる。夕食はシーフードたっぷりのお粥とシュウマイで18元。やはり中華料理はうまい。満足満足
 2006.12.4(4日目)

「上海での生活」

ドミトリーの朝は遅い。昨日の夜、旅の計画談義に白熱した二人の白人が大声で話し続けていて、消灯が12時を回っていた・・。9時ごろ起き、午前中は洗濯や道具の点検などに時間を費やした。
特に上海での計画を立てていなかったので、とりあえず上海の観光スポットとして名高い豫園(よえん)にいってきた。清の時代の中国式庭園らしく、写真で見 た感じ地味で、日本の神社の雰囲気に似ていた。入場料は30元と高かったが、それに見合っただけの感動があった。他にも日本人のツアーも来ていたので、さ りげなくガイドの声に耳を傾けたりしながら、2時間以上歩き回っていた。日本人のにぎやかな声、日本語で話しかけてくる物売り・・・いったいここはどこな のかと。
夜は自分の宿のある外灘地区あたりの夜景を撮りつつ、飯を食べに。今日は鶏を丸ごと蒸した料理で有名な店で食べることに。まったく簡単な英語すらわからな い店の人と、筆談+顔の表情で話していたら、頼んだはずのないラーメンと、ビールがついてきたのにはびっくり(日本人は頼むものだと思いこんでいるの か)。しかし、たったの28元でたらふく食ってきた。
2006.12.5(5日目

「カルチャー」

 今日の行動は、覚えたての地下鉄で移動し、とにかく歩き回っていた。取り立てて書くようなことはないので、これまでに思ったこと驚いたことについて書こうと思う。
まず、このブログを書いている場所「ワンバ」(インターネット喫茶)だ。一時間3元という破格でできるのがうれしい。しかし、ものすごく病んだ場所であ る。大きなビルの薄暗い1フロアに500台ぐらいのパソコンが並んでいて、男女問わず若者がモニターに釘付けになり、ネットゲームをしている。この状況を たとえるのにとてもいい例があった。まさしく日本の大型パチンコ店の様相だ。韓国、中国では大きな社会問題になっているとは聞いていたが、確かにこれはや ばい。書いている今でさえ、思うようにいかなかったのだろう、発狂して机をたたいてる馬鹿がいる。精神的によくないだろ、これは・・・。
次に交通事情を書こう。特に戸惑うのは、右折左折する車と歩行者の関係だ。日本ではいったん停止、歩行者優先が当たり前だが、上海では逆なようだ。警察の 車も横断者に対してクラクションを鳴らしながら突っ込んでいくところを見たから、法的にそうなのだろうか?。 ほかのアジア地域と比べて、日本車の普及率 は極めて少ない。全体の10分の1ぐらいだろうか。ワーゲンが市場では大きな顔している感じ、反日の影響だとおもう。ただ、その数少ない日本車は意外にも 高級で、レクサス460、クラウン系やZ33、新型インプレッサまで居て、成金野郎が大きな顔して乗っている感じ。
都会的に洗練されつつあるし、基本的に人も、姿形が似ていて、ファッションも派手さはないが似ている。感情表現を表す表情も同じだ。そういった中で、ふと した瞬間にとてつもないカルチャーショックを受けることが、今後あると思う。楽しんで受け入れられるレヴェルのものならいいのだが、知らずにあの世送りに されるのは簡便願いたい。



2006.12.6(6日目)

「西蔵チケット」

今日は、チベット旅行に向けての手続きに走り回っていた。昨日、同じ部屋のアメリカ人と話していると、どうやら上海から西蔵チベットのラサまで直行列車青蔵鉄道 )が10月から開通しているという情報を手に入れたので、早速上海駅に行くことに。しかし、駅のチケット売り場でさえ英語を話せる人が見当たらなく、しかも、どうやら外人には未だ売れないといっていた。
そこで、いざというときに助けてもらうことになっていた、日本語のできる中国人、羊さんに電話してみた。彼に一緒について来てもらい、すんなりと2日後の 青蔵鉄道チケットをゲット。しかし、チベット外国人入域許可書が無いと到着寸前で公安に検査されて戻される可能性が高いとのこと。来年からは廃止される制 度で、さほど厳しくなく、多くの日本人が無しでチベット旅行を成し遂げているが、送り返されたり、罰金を科せられたという話もないわけではない。法を犯し てまで安旅行にこだわる理由も無いし、何よりも安全に旅が進むことを願っているので、そのまま申請も行うため、許可書を専門に扱う旅行会社に出向く。なん と、申請には時間がかかり2日後の出発にはどうしても間に合わない・・・。しかも1000元(15000円ぐらい)。羊さんにも手伝ってもらっている手 前、迷っている暇は無く、払うことに。そして先ほど買ったチケットも日にちを変えるため払い戻しに(20%は手数料として没収)。ちなみに上海からのラサ までのチケットは列車軟臥席=1300元(一番VIPなやつ)と少し奮発していたから手数料が痛かった。
早くても金曜日の出発で、遅くても月曜日の出発になりそうだ。52時間もの列車の旅は、日本ですら寝台列車に乗ったことが無い自分にとって刺激的な経験になると思う。

さて、今日もインターネット喫茶の話題。ここでは、ネットゲームの合間に、休憩として映画や日本アニメなど見ている若者がいて、少し気になっていた。そこ で、パソコン内のアプリケーションやフォルダ等を漁ってみることにした。と・・・宝の山を発見した  業務用基本ソフト、ネット対戦用のゲームはパッと見70以上(ほとんどが市販MMO)、PC用市販ゲームが50近く、エミュレーターも各種、最新の映画、 韓国のドラマ、日本のアニメ、各国の音楽、PV等がフォルダごとに整理されていて、本気で数え切れないほどの違法データが中央のサーバにためられているよ うだ。たとえば、「名侦探柯南001-370」こんなフォルダがあって、実行してみるとちゃっかり370話ぶんの「○探偵コナン」が高画質で閲覧可能だ。 自分が思いつくアニメはほぼあるし、マニアックなやつまで、きりが無いほどあるようだ。日本の文化の威力を見たようでうれしいのだが、さすがコピー大国と いうか・・・呆れてしまう。500台近くあるパソコンのOSが正規ライセンスで動いているわけないよなー。  とりあえず今日は、膨大な中国の音楽ファイ ルにアクセスして、気に入ったやつがあったらMP3プレイヤーに失敬していこうかな





 2006.12.7(7日目)

「水族館」

今日は朝からあいにくの天気。霧に包まれ、時折雨のぱらつく魔都上海。おとなしく、室内でゆっくりとできる観光をしてきた。まず最初に行ったのは上海大自然野生昆虫館で ある。昆虫から両生類、哺乳類までいるのだが、基本的に普通の動物園では見ることのできないゲテモノ寄りの品揃えで、こういうものには目のない自分にとっ て不足のないものだった。時期的なものかもしれないが、昆虫というより亀やトカゲの類が充実していたようだ。ほぼ貸しきり状態で撮影していたが、1時間ぐ らいしたところで中国の修学旅行生がたくさん入ってきて、騒ぎ出したので退散することに。次に向かったのはアジアで一番大きな水族館、上海海洋水族館だ。 110元という、けして安くない入場料。日本の水族館に劣っているんじゃないかと心配していたが、なかなか凝った作りとなっていた。世界一長い海底観光ト ンネルを自動歩道に乗って海中散歩気分を味わえる。何よりも気に入ったのは、「アマゾン水中トンネル」だ。これはさすがたまげた。ピラルク、アロワナ、 ビックキャット、コロソマ等の巨大な成魚が広々としたトンネル式のアマゾンに見立てた水槽で優雅に泳いでる。これは、熱帯魚好きにはたまらない。自分でも 飼っていたことがある種類もいたが、ここまで巨大になるとは・・・。
                                  
                                 チベット編へ
2007.1.27(58日目)

「電脳街」

風邪を引いていた一週間前のウルムチ。注意力が散漫になっていたせいでUSBコード、MP3プレイヤーの充電アダプタ等コード類をまとめて入れていた袋を紛失。そのせいでブログに写真をアップできなかったし、音楽を聴くこともできなかった。
そこで今日は「秋葉原」まで買出し来ました。久々に日本製品に囲まれて安堵感というかなんと言うか。これでしばらくUPしてなかった写真もブログに挙げら れるし、MP3プレイヤーでガンガン中国の音楽を集めることができます。(場所はチェンドゥ電気街)
2007.1.28(59日目)

「電脳街Ⅱ」

昨 日知り合った日本人カメラマンと、またもや秋葉原(電脳城)に行くことになった。昨日は目的が目的だけに、あまり周りの商品について目がいく事がなかった が、今日はいろいろとめぐってきた。メモリ類が安いとは聞いていたが、どうやら東京秋葉原で買うのとそんなに大差がないと思った。少し気になったのは MP3プレーヤーが60元ぐらいからあり、違法コピーDVD(パッケージの見栄えは正規品っぽい)が一枚5元で売られていたことくらいだろうか。日本の製 品はこちらでも一目おかれていて、一眼レフカメラ、ノートパソコンといったものが日本の現状価格の1~2割り増しぐらいの値段で売られていた。中国の平均 収入を考慮するとあり得ない値段だ。それでも売れているところを見ると、貧困格差がものすごいのだと思う。
今日は、そのカメラマンから最近発売されたニッコールVR70~300のレンズをお借りして自分のカメラに装着して動き回っていた。デジタル換算 450mmまで行けるということで帰ったら買うつもりでいたレンズで、機会だった。旅行でも何とか耐えられる重さと、手ぶれ補正の威力には驚いたが、少し 色が乗ってこない眠い絵しか撮れなかった。その後で借りた50ミリF1,4の方が感動的で、またマニアックな方向に流れてしまうのかなと。そのカメラマン も個性的な写真を撮る方で、夜は大変勉強になるレクチャーを受けました。
2007.1.29(60日目)

「暴食」

成 都に来て、食事に関して美味しい物をたらふく食べている。中国では一品の皿が巨大で何人かで食いにいかないと種類が食べられない。成都に来てからというも の、日本人を見つけては食事に誘っているので、昨日からは4人体制で四川料理を堪能している。うまいうまい!からいからい!四川の名物料理を片っ端から 食っている感じだ。昨晩は火鍋を囲む。そう言えば、店員から薦められ出てきたものはキレイナ色をしたプリプリした物体。とりあえずみんな食い終わったとこ ろで何か聞いてみると豚の脳味噌だった。まあ、ご利益がありそうな感じだ。今日までに食って感動した品は「魚香茄子」「マーボ豆腐」「官爆鶏丁」である。 宿の情報ノートのおかげでハズレなくこなしてます。
2007.1.30(61日目)

「遠足」

ゲ ストハウスのなんとも粋な計らいで、遠足に出かけてきた。10人ちょっとで、ほとんどがゲストハウスの従業員だ。ワゴン車で向かった先は100キロ以上は なれた場所にある古い町並みと古民家である。その町に着くと、日本の農村風景そのままのようで、懐かしさがこみ上げてくるような場所だった。
今日の一番の思い出は、古民家でお爺さんがキセルを吸っており、あまりにも気になる香りの葉っぱを吸っていたので、分けてもらえるよう交渉。10元ですご い束のタバコの葉を分けてもらった。彼もよほどうれしかったらしく、またほしいときはここに連絡してくれ、と電話番号を渡してくれた。
2007.2.1(62日目)

「腹下る」

  ここのところ、ゲストハウスの近場で毎日お祭りが行われており屋台が出ていろいろな地方の特産品が出ている。今日も日本人の友達と夕飯に食いに出かけたの だが、ずっと気になっていたゲテモノに手を出すことになった。彼は果敢にも手のひらサイズの蜘蛛、そして自分はヒトデを食うことに。以外に味は旨く、調子 に乗って全部食ってしまったのが間違いだった。1時間後、思いっきりモドし、後、夜中は下痢が続いた・・・


2007.2.2(63日目)

「チベットの誘惑」

  今日は成都にあるチベタンが沢山住むエリアに足を運んでみることに。一ヶ月前当たり前のように見ていたはずのチベタン衣装の人が歩いている。チベットから 出た後、ウイグル自治区で感じた「自分の肌に合わない」という感覚、チベットに対して「なつかしさ」がこみ上げる。もしかして、自分は前世で彼ら(チベタ ン)の中にいて幸せな後世を祈っていたのではないかと少なからず感じていたりする。よし!!今回の旅で二度めのチベット入りを実行に移します。
2007.2.3(64日目)

「チベットの誘惑Ⅱ」

チ ベット再訪問を決めた時点で、具体的に向かう先に目星がついていた。東チベットで最大規模を誇るラルンガル・ゴンパである。外国人には解放されておらず、 隠れて潜入しなくてはいけない場所である。今回の旅中であった日本人が潜入成功したと最近メールをくれたので、自分も行ってみたかったのだ。今日のうちに バスのチケットを取り、後は体力温存のためゲストハウスにこもって映画を見たり、本を読んだり、猫とじゃれ合ったり・・・うーん楽しみだ
2007.2.11(72日目)

「生還」

朝 7時マルカムから成都行きのバスに乗り込む。チベタン色が徐々に消えて文明に近づいていくと、やはり少し寂しい気持ちになる。Sim's cozyゲストハウスに着くなり、「ただいま!」 と従業員から言われたときには、ふと涙腺が緩みそうになった。ゲストハウス内のバーで働いているチベタンの子に報告すると、天葬の写真を撮ってきたことに 相当驚いている様子で、改めてものすごい経験をしてきたんだと感じた。これまでのチベット旅行で疑問に思っていたチベット文化などの質問もできて、相当楽 しい夜になった。
2007.2.12(73日目)

「思い出バックアップ」

こ れだけ長いたびになってくると、何よりも重要度を増してくるのが、旅の思い出である。極論パスポートでさえも再発行ができる。日記やカメラのデータは無く してしまったら代わりの効かない大切なものである。それでいて、実際、旅の途中で無くしてしまった人の話を結構聞くものである。そこで、今回の旅ではマメ すぎるほどのバックアップを心がけている。日記に関しては、書いたものをデジカメで一ページ一ページ撮り、ブログにもつけていて、3バックアップ体制。
それに対してデジカメデータは60Gストレージ一本とベストショットをSDカードに入れているだけ。少し心配なバックアップ体制なので、今日は成都の秋葉 原に行ってモバイルHDDを購入することになった。中国製で、かなり安く済ませることもできるが重要なデータを扱うことを考えると少し奮発して日本製の HDDを買うこととなり、結局東芝製120Gのハードディスクをリーダー込みで1000元で買ってきた。
2007.2.13(74日目)

「旧正月に向けて」

今 日はゲストハウス主催の正月祭りだ。昼間は、ラルンガルに行っていて滞っていたブログなどの更新で時間をつぶし19時からのパーティースタート。ゲストハ ウス前に特設会場が設けられて食べ物が振舞われた。やはり、大人数で、しかも沢山の国からの旅行者で囲む中華料理は最高である。途中、自分がラルンガルで 買ってきた衣装を持ち込むと、バーで働いているチベタン子もチベタン衣装を持ってくる。チベタン音楽を流し、踊りだす人もいて、一気に会場はチベタンムー ド。結局深夜3時ごろまでワイワイ飲んでいた。
2007.2.14(75日目)

「チベットを思う」

ここのゲストハウスにいると、チベットへ向かう人たちが中継点としてよく利用する。そんな中でいろいろとアドバイスを求められたりして、説明しているとまたチベットへ戻りたいと言う気持ちが頭をもたげてくる。しかしさすがに、3度目は無い。
いったい自分はチベットのどこに惹かれているのか考えてみる。宗教そのものと言うより、それに対して向かう彼らの姿勢であったり、最低限の物で生き、決し て現代文明を否定するわけでもないけど、自然と共存したいと願う彼らの考え方に惹かれているのだと思う
2007.2.15(73日目)

「軽量化」

今 日で、かなりの荷物とおさらばすることができた。途中で買ったお土産といっしょに、何かの拍子にまたチベットに向かわないように防寒具、寝袋もまとめて日 本に船便として送った。5kgぐらいで250元程度と思っていたよりも安く送ることができた。一ヵ月後くらいに届くと言うことだが、郵便局の人にハッキリ と「届かなくて困るものは入れないでください。」といわれてしまう。いったいどういうことなのかわからないが、とにかくそういうことなのだろう。
2007.2.16(74日目)

「トレッキング」

正 午から、もう一人日本人と向かった先はアウトドア用品店。LEDライトと手袋を買ってバスに乗り込む。一昨日何かの勢いで2人でエイメイシャン(我眉山) に上ろうと言うことになったのだ。バスがふもとに着いたのは夕方の5時ごろで、夜通し歩いて山頂を目指すと言う計画だ。チケット売り場を無事無料で通り、 歩いているとしつこいバイタクに乗るよう薦められる。とりあえずふもとの万年寺まで乗せてもらうことになる。どうやら、バイタクの一人は監視員も兼ねてい たようでチケットの購入を迫られるも、一人120元のところを二人で100元で見逃してもらうことに。結局歩き出したのは7時を回っており真っ暗な中山頂 を目指す。一時間もたたないうちに雨が本格的に降り出してきて体力が奪われていく。その時点で一晩中歩き続ける自身がなくなってきていたのだが、9時半ぐ らいになると雪に変わり限界が訪れ、途中のお寺に泊めてもらうことになった。よくよく考えてみると、一晩歩き続けると言うのに食べ物はクッキーとスニッ カーズしか持ってきておらず、あまりの無謀さに2人で大笑いして眠りについた。
2007.2.17(75日目)

「我眉山」

昨 日の雪が薄っすらとかかる道を朝8時から歩き出す。思った以上に昨日の疲れが残っている。周りは、霧がかかっており、ほとんど景色を拝めることなく11時 ごろ金頂(山頂)に到着する。そして、とにかく巨大な山頂に作られた建造物に驚く。チベット色が色濃く入っており、それだけでも満足だ。疲れていたせい で、何を食ってもうまい。ちょうど自分たちが到着したころ一時的に霧が晴れて絶望的な状況でもなかったし、神様に感謝。すでに二人とも足が棒のようになっ ており、帰りはジェットコースターごとくバスで一気に駆け下り、成都に向かう。
2007.2.18(73日目)

「再び居心地の良い宿へ」

昨 日は、中国の旧正月大晦日だった。疲れきった2人を暖かく迎えてくれたシムズゲストハウスでは、プチ餃子パーティーが行われており、疲れが一気に吹き飛ん だ。 本日は昼間から酒を飲みほかの日本人たちとグウタラすごす。次に自分がどこに向かうかある程度計画が立ってきた。
2007.2.19(74日目)

「バンコク行きチケット」

す でに、中国滞在ビザ期間がリミットを迎える。これ以上中国を見て回ることも無いと、せっかく買ったリージャンまでのチケットを無駄にする形となったが、バ ンコクへと飛ぶ飛行機チケットを買ってきた。一人、また一人と旅仲間が宿を去っていき、一番の古株になってしまった。今日は特に仲良くしていた友を送り出 すためプチ送迎会。俺もそろそろ腰を上げるぞ
2007.2.20~25(75日目)

「三国志な毎日」

と にかく、暇さえあれば三国志を読んでいた。こんなところまで来ていったいなぜ日本のマンガを読んでいるのか、しかし、こんな場所で無いと、これだけの大作 を読みきることはできなかったであろう。大将格の身勝手な判断で多くの民や兵士が何万単位で死んでいく。有名な武将は神がかり的な描写で書かれすぎていて ワンパターン。しかし、とにかく全館読むことを自分に課した。途中へこたれそうになって、諸葛孔明の祠堂「武侯祠(ぶこうし)」へと足を運ぶ。少しでも三国志の時代への興味を持ったところで24日に読破する。


2008.1.21(1日目)

「上海再び」

懲りもせず、フェリーにて上海上陸しました。
上海はあいにくの雨、降ってさえいなければ、南下するチケットを取りに行ってこんな町はおさらばしたかったのですが、失敗です明日は誕生日...一番嫌な 場所で過ごさなくてはいけないなんて我ながら可愛そうなヤツです。とりあえず、明日、昆明へのチケットをゲットして、ベトナムを目指したいと思います。
2008.1.23(74日目)

「上海ー昆明」

今晩、寝台列車で昆明まで移動です。不覚にも上海に3日間の滞在をさせられてしまったが、いい具合に体調の管理ができて、いい充電時間になりました。結局、ほとんど宿からは出ず、旅のプランニングとビリヤードをして過ごしていた。
はじめは、無愛想だった宿の従業員。ビリヤードを通して、言葉は通じないけど少し一目置かれるようになってますw。手玉2クッション入れてから的玉を落と すショットが彼らにはかなりトリッキーに見えるようです。宿のオーナー相手に圧勝、勝ち逃げ 。旅行で役立つゲームは個人的にはビリヤードとチェスだと思 います。ほぼ、全世界の人が知っていて、それだけ言葉を必要としないから。 
こんなわけの解らないスタートを切った旅ですが、やっとまた動き始めます。今回の旅は「トリップ」じゃなくて「ジャーニー」。 今晩の列車も16時間ぐらい乗っていなくてはいけないけど、その移動の時間も楽しみながら行きます。 
2008.1.25(3日目)

「ガイドブックの罠」

一 昨日の19時過ぎに乗った列車は昨日の朝8時に昆明には到着しませんでした。ガイドブックに15時間と書いてあったし、電光掲示板にも8:40着とかいて あったのに・・・。と!?なんと、2泊3日の移動で、本日の8時40分到着が正解。さすがに距離からして15時間はないよな ガイドブックを鵜呑みにし て、反省 



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2008.1.23(74日目)
 
2008.1.25(3日目)
「ガイドブックの罠」
2008.1.23(74日目)
「上海ー昆明」
2008.1.25(3日目)
「ガイドブックの罠」