12月1日水曜日

今日はアユタヤ観光に向かう。そのアユタヤは、バンコクの北方75kmに位置する。ちょっとした小旅行の距離。私達は自力で行く計画を練ってあった。まず電車かバスか。時間も料金もさほど変わらなかった。だから乗り降りの激しいバスにした。

まず、タクシーで新北バスターミナルへ向かうことから。しかし、ホテルのドアマンに市バスで行くことを反対され、タクシーに乗せられた(後日知ったが、タイのバス路線は恐ろしいほど複雑で、バス停にも止まらないそうだ。旅行者にはちょっと大変…)。

タクシーで20分位(?)移動。バスターミナルはかなり立派な建物だった。しかし、ここで迷った。人伝いに、何とか何とかアユタヤまでの切符を購入。ノンエアコンバスで16バーツだった。

…バス乗り場でも迷った。タイ語が全く読めないので、どの停留所に行けばいいのかが分からない。でもここはタイ!2人でウロウロして、困った顔を見せると誰かが助けてくれるのだよ。

その時助けてくれたのは、若いお兄さん。英語の話せる人を連れてきて、停留所まで案内してくれた。感激!!Mがお礼にと、チュッパチャップスをあげると手を胸で合わせ「コップン・クラブ(有難う)」と言ってくれた。私達も見よう見真似で手を合わせ「コップン・カ!」と叫ぶ。

バスの旅は、1時間30分。途中、いろんな人達が乗り降りした。道は真っ直ぐ平坦で、特に興味を引くものは無かった。しいて気になったのは、バスの窓に貼ってあったもの。1つはタイ語のカレンダー。

そしてもう1つは、「ろくでなしブルース」のステッカー。これはジャンプで以前連載していた、日本の漫画なのだ。ご丁寧に「ろくでなし」の所はタイ語で「ブルース」は英語になっていた。車掌に「これは有名ですか?」と聞くと笑って頷いた。日本の漫画だって知ってるのかな?

そのステッカーと、バスの切符

アユタヤに着くと、車掌がわざわざ「下りろ。」と言いに来た。分かってますって。
とりあえず、右も左も分からないので地図確認。あまりの暑さに滅入りそう。近くにあったお店で水を買う。

その時声を掛けてきたのが、気のいいおじさん。英語も苦手らしく、ノートを見せて来た。ノートには「この人は安心です。」「1日ガイドしてもらって楽しかった。」なんて書いてあった、胡散臭い…。が、決定。今思うと、ろくに交渉もせずトゥクトゥクに乗ってしまっていたんだよねぇ。

アユタヤのトゥクトゥクは、バンコクのそれとは違い、三輪自動車だった。暑いことに変わりはないが、音はまだ静か。道路も空いていて快適。

最初に連れて行かれたのはワット・ヤイ・チャイ・モンコン。言葉は通じないけど、相手もプロ、なんと目的地に着く前に日本語の説明付きの絵葉書を渡して来た。それはかなりボロボロになっていたが、ガイドの役目は十二分に果たしていた。すごい。かなり感心してしまった。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
セイロンへ留学していた僧のために、ウートン王が造らせたといわれる。遠くからも目立つ高さ72mの塔は、ナレスアン大王の建立。
境内には寝釈迦仏像もある。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの風景

入場料は20バーツだった。このワットでは沢山の日本人に会ったし、タイの子供達とも触れ合えた。タイの子供は、本当にかわいかった。

でも一緒に写真を撮ったら、チップを渡すのが流儀っぽかった。また子供の物売りは、自分が何をするべきか怖いほど熟知している様。心は大人?…私のなかでは嫌いなタイの一面だったりする。

次は定番、日本人街跡。歴史上かなり重要な場所とは知っていたけど、Mにとってはただのトイレ休憩。アユタヤにはトイレがほとんど無いって聞いていたから、本当ある意味重要な場所かもね。

日タイ友好100年記念の1990年に建てられた記念館に、日本から派遣されてるというオヤジがいた。こいつもかなり怪しげ。でもここでの生活の話と、ペットのわんちゃんの話を聞く限りでは、悪い人では無さそうだったけどね。

私はここでベンジャロン焼きを購入した。コーヒーカップとソーサー、チャイのセットなど。

ワット・パナン・チェンで見かけた風景。お線香作り?

そしてここからかなりハード。ワット・パナン・チェンでは19メートルもの金箔大仏像を拝んだし、30分50バーツで象にも乗った。これはMにとって、一大イベント!!私だって初めてじゃないのに、はしゃぎまくった。

象の上からは、アユタヤの遺跡が見渡せる。想像以上に高い。その乗り心地?なかなかいいよ。ゆっくりゆっくり、左右に揺れながら進む。私達と運転手(?)、3人も乗っているのに大丈夫なのかなぁ。

下りてから、ご褒美に餌のサトウキビを沢山あげた。鼻息は荒いし、鼻水がちょっと怖い…。象さんにも個性があったよ。お顔もみんな違うしね。

象さんに餌をあげるM

次は本格的に遺跡巡り。

ワット・プラ・スィ・サンペット
第1級の王室守護寺院でアユタヤ最大規模を誇ったが、1767年にビルマ軍によって破壊された。
現在は3基のセイロン式仏塔を残すのみ。歴代3人の王の遺骨を納める。

正面に居る観光客も、裏には殆どやって来ない。

ここで、かなり時間をとった。アユタヤ最大規模と言うだけあって、かなり広い。私達は観光客の雑踏をさけて3基の仏塔の裏にまわり、腰を下ろす。そしてそこで、偶然Gさんに再会した。彼とは、最初に立ち寄ったワットで挨拶していた。彼の方から、トゥクトゥクの相場を聞いてきたのだ。

「あれから何処をまわったの?」と聞かれ、簡単に話す。Gさんは「俺、ガイドブックも何もないから、何処に行ったかもわかんないや。」と笑った。そしてMに「タバコくれる?」と言い、タバコと交換にガムをくれた。

彼はタバコを吸いながら「1ヶ月かけてネパールをまわったんだ。で、今夜帰国する。それまで時間あったから。荷物はこれだけ。」とボロボロのウエストポーチを指さした。そんな彼も、観光客から逃れる様に塔の裏にいた。1枚だけ写真をとり、後日郵送した。

返事は無い。また旅に出てるのかな。貧乏でも、目的がはっきりしなくても、私も旅をしていたい。それは現実逃避の意味もある。だから私は、彼の素敵な人生に憧れつつも軽く軽蔑もしてしまう。ごめんなさい。

ワット・プラ・マハタート
1374年に仏舎利を納めるために建てられた寺。
この寺院もビルマ軍によって破壊。
木の根の間に埋め込まれてしまった仏像の頭や、頭部のない仏像が残されている。

目に焼き付けた?

私にとっては、何度足を運んでも心動かされる遺跡。ビルマ軍に攻められたのは数100年も昔のことなのに、とても生々しい。私にとってアユタヤは、タイを目指すきっかけのひとつだった。その中でもこの遺跡に対する思いは特別。

「これが、私が目に焼きつけたいって思った景色だよ。」
そう私が言うと、Mは泣きそうな顔をしていた。彼女にも何か伝わった様。

以前、「前世占い」なるものをしたことがあった。私の前世は、ビルマの貧しい職人だという。時代も14世紀頃。私だって「前世占い」を信じているわけじゃない。まわりの友達が中世ドイツの騎士だの、モンゴルの遊牧民だの言われる中、私だけビルマの貧乏人って何?って思ってた。

でも…何だかここに来ると、胸が苦しくなる。切なくなる。辛くなる。漠然と「後悔」の念に襲われる。私、ここに来たことあるのかな…??私は前世、ここで人を殺したのかもしれない。今出来ることは、祈るだけ。仏頭に手を合わせた。

遺跡を出ると、広場で「足版バレーボール」をする少年達を発見。竹で編んだボールを蹴り上げる姿は、まるで蹴鞠。タイではポピュラーなスポーツだそう。私がフィルムを換えてる隙に、その輪に入ったM。若いのう。

M、セパタクローにハマる。

次は、私のリクエストで向かったワット・ロカヤ・スタ。

ワット・ロカヤ・スタ
寺と言っても、本堂などの建物はなく、ガランとした草むらに寝釈迦仏像があるだけ。
1956年の復元で、白く美しい。高さ5m長さ28m。

やる気のなさそーなお釈迦様に祈る、Snow

20バーツと引き換えに、蓮の花とお線香。そして藁半紙にくるまれた金箔。夕日の中、一生懸命にお祈り。そして、仏陀に金箔を貼る。ところが、これが難しい。私の金箔は、半分風に飛んで行ってしまった。

ま、これもご愛嬌(笑)。舞ってしまった金箔を必死で追いかける私を、野良犬が迷惑そうに見ていた。

ワット・ラチャブラナが最終目的地。ここに着くと、もう暗くなっていた。この遺跡には悲しい歴史があり、私も興味深かった。でもやっぱり、見学するにはちょっと暗すぎた様ね。残念。数枚写真を撮って、帰ることにした。

バス停で清算しようと値段を聞く。ろくに交渉していなかったから、10000円までは払おうと思ってはいた。それでも相場より高いし、おじさんにはそれなりに感謝していたから。わがままも聞いて貰ったし、かなり待たせたし。

「20000」
20000バーツか。相場から行くと1時間200バーツ。8時間チャーターしても1600バーツ。日本円にして5000円にもならない。20000バーツは約60000円。聞き間違えかしら。

「20000円」
え?冷静に考える。あ、2人で20000円ね。それなら予想通り。ところが、
「ひとり20000円。」
#@◆△◎★×〜!!!!

4倍もぼったくるんかい。…呆れた。でも何言っても後の祭。完全にぼられましたよ。

私はキレたけど、Mは「それだけ楽しんだから払う」と切ない顔。その時は私もしぶしぶ払ったけど、今思うとMが正しかったのかも?確かに私達は楽しんだし、それなりにサービスを受けた。

きっとアユタヤでは、レベルの高いサービスだったんだろう。おじさんは相場以上のサービスをしたのだからと、ぼったくるつもりは無く、当たり前の金額を要求しただけかもしれない(?)。

おじさんはそんな私達を、乗るべきバスまで案内してくれた。発車寸前に飛び乗らされたそのバスは、やっぱりエアコンバスだった。

ホテルに帰ると、時計は8時をまわっていた。予定では「タイ舞踊鑑賞」だったが、当然始まっていてパス。とりあえずお腹が空いたので、腹ごしらえをすることに。よく考えたら、今日1日ほとんど何も口に入れてない。

タクシーで、コンシェルジェ(?)が予約してくれたレストラン「シーフード・マーケット」へ。場所はスクンヴィット通り。メニューには日本語表示と料理写真があるので注文しやすい。11時過ぎまで営業しているそう。

「とりあえずトムヤンクンでしょ。」

お約束のトムヤンクンとは別に3〜4皿注文。レストランは「マーケット」と言うだけあって、海鮮市場の趣。海鮮料理を注文すると、まず水槽(池須)から魚の種類、大きさ、料理法、全てを選ぶ。

ここでは、Mとの食べ物の好みが、全く合わなかった。普段辛いものが大好きな私がトムヤンクンを飲めなかったのだ。
…きっと朝からほとんど食べてないからだ〜!!

私は唯一辛くない「野菜の炒め物」を口に運んでいた。そこには苦手なパクチーも入ってなかったのでラッキーだった。

ディナーを済ますと、疲れがどっと出た。これはマッサージに行くっきゃない!!2時間マッサージを受け、ホテルへ。今日も長い一日だった。