永遠の唄

第8話

 アイズから連絡が来たその翌日、予定通りに彼は到着しに電話をよこしたので、彼女は一刻でも早く彼に会いたくなり大急ぎで言われた場所へ向かっていった。
 …その後、彼がテレビで堂々と歩を呼んでいたことも知らずに。
 が指示されたリサイタル会場へ着くと、もうすでに彼はそこで待っていた。その変わらぬ姿を見て、は微笑む。彼も口元を緩めて口を開いた。

「久しぶりだな、
「ええ、久しぶりね。いつぶりかしら?」
「1年ほどだ」

 感情の変化が小さいだったが、いつにもまして表情を崩して微笑んでいた。心から喜んでいることを理解しているので、アイズもまた微笑んで返す。

「そうね、まだそれぐらいだったかも。でもずっと会ってなかった気がしちゃうな。…ねえ、リサイタルは今日だったよね。練習もかねて、アイズの演奏、聴かせて?」
「ああ、もちろんだ。お前も歌うか?」

 静かに笑って頷く。アイズは椅子に座ってピアノを弾き始めた。も目を閉じて、歌詞のないその曲をメロディーだけで歌う。
 ピアノのことはあまりよく分からないが、アイズの演奏はとても上手いと思う。綺麗に弾けるだけではなく、感情もしっかりこもっている演奏。ふと歩の演奏を思い出し、どちらのほうが上手いのだろうかと歌いながら笑った。
 そしてしばらく演奏を聴き歌っていると、アイズのマネージャーが部屋に入ってきた。アイズに何かを小声で呟く。

「……何?ナルミの弟が見つかったのか」
「え?」

 アイズの言葉には驚く。マネージャーは再び部屋を出ていった。

「見つかったって、まさか、ここへ呼ぶわけじゃあ…」
「もうすでに呼んである。じきに来るだろう」

 それがどうした、とアイズは訊き返す。

「どうした、って…。…まあいいか。アイズ、ブレード・チルドレンのこと、口に出さないでね?」
「わかったが…、なぜだ?」
「鳴海君とはよく一緒にいるの。今私がブレード・チルドレンだと知られたら…」

 の不安げな顔を見てアイズは彼女の気持ちを悟り、ふっと笑う。

「なるほどな。いいだろう、黙っててやる」
「…ありがとう」

 彼の言葉に、は安堵して苦笑する。彼がまた演奏を始めたので、も再び歌い始めた。



「っきゃー!!ア・イ・ズ・さっまー!!!」
「?」

 暫くしていきなり黄色い声が聞こえてきたので、は何だろうと歌うのを止めそちらを振り返る。後ろには目を輝かせた女性と、歩とひよのがいた。

「あのっ私っ大ファンなんですっ。握手してくださいっ。あとサインもっ」

 騒いでいた女性はアイズにそう頼んだ。彼が彼女と握手し渡された色紙にサインを書くと、彼女は色紙を抱き締め、あとでまた絶対観に来ると言って去っていった。

「…………」

 暫く沈黙が起こる。それを破るようにが口を開いた。

「…こんにちは」
「こんにちは、さん」
「ああ。…何であんたがここに?それに、今の歌声…」
「…謎の歌姫、“Iris”」
「っ!?」

 ひよのの発した言葉に、は目を丸くさせた。ひよのはいつも持っている彼女の手帳を見てそのまま話し続ける。

「全国的にも世界的にも大人気の謎の歌手ですね。顔どころか個人情報もまったく公開しなくて、分かることはその“Iris”という名前と確かな歌声のみ。それがそこにいるさんです。ファンには知られていないんですけど、アイズ・ラザフォードさんとは幼馴染みなんです。…すごいですよね、歌だけでここまで有名になれちゃうんですから」
「………」

 まさかそんな極秘のことまで知っていたなんて。確かにひよのの情報網は驚くほどのものだが、こんなことまで調べ出せるとは思わず、は開いた口が塞がらなかった。

「…ど、どうしてそんなことまで…」
「あら、企業秘密ですよ。さん、病弱なわけでもないし不真面目なわけでもないのによく休むなぁと思いまして」
「あ、あんたなぁ…」

 だけでなく歩やアイズも驚いていた。誰も知らないあの“Iris”の情報を知っていたのだから、当然だろう。

さん、今度サインくださいね」
「え、ええ…」
「…で」

 頭に手を添えながら歩はアイズを見て口を開く。たちも彼を見た。

「派手に呼びかけてくれたみたいだが、俺になんの用だ」
「派手、に…?」
「テレビのインタビューで呼んだそうですよ。ご存じありません?」

 の呟きにひよのが答える。彼女の答えに少しだけ顔を引きつらせて首を振った。急いで家を出すぎたなとは思った。
 アイズは歩の言葉に笑みを浮かべ、ピアノの方に手を差し出す。

「弾いてみせろ」
「…なんだって」
「弾いてみせろ。ピアノ界の神話、ナルミの血がどれほどのものか聴かせてみせろ」
「…………」

 暫く黙り、歩はふと笑って口を開いた。

「…残念だな。ピアノはとうにやめたよ」

 それは嘘だとは思った。アイズは彼の手を掴み上げる。

「嘘はよせ。お前の手はピアノに魅入られた手だ。今も練習に明け暮れる熱い手だ」

 歩は掴まれた手を振り払い、アイズに背を向ける。

「つきあってられるか」
「兄に敵わないと認めるのがそんなに怖いか?」

 歩は進もうとした足を止めた。

「お前は才能に恵まれている。だが自分でもわかっているのだろう、そいつはせいぜい兄のものまねだ。オリジナルには絶対に敵わない。お前は永遠に敗北者だよ」

 歩は無言で振り返り、アイズを睨む。暫く睨み合うように互いを見つめたあと、アイズはふと笑った。

「…………せっかくだ、リサイタルでも聴いていけ」

 アイズは二人に特別席のチケットを手渡す。彼らが背を向けて歩きだしたので、はその背中にこっそり手を振って、それを別れの挨拶にした。


2009.01.18