最御崎寺近辺地図
JR御免駅から バス室戸岬・甲浦行き 約2時間
東板本下車 約20分
最御崎寺境内 配置図
室戸岬
修行していた下記洞窟から、空、海を眺め感動し、「空海」と命名されたとのことです。
御厨人窟(みくろど):弘法大師が苦行・錬行等をしていたとき、寝起きをしていた洞窟
神明窟、弘法大師が「求聞持法の修行をし、悟りを開いた洞窟。
右のアイコン(写真) クリックしてください。
biglobeウェブリアルバム(室戸岬:修行の地写真)へリンクします。
第24番最御崎寺:仁王門
第24番最御崎寺 本 堂
御本尊 納 経
山 号 | 室戸山 |
院 号 | 明星院 |
寺 号 | 最御崎寺 |
本 尊 | 虚空蔵菩薩 |
開 基 | 弘法大師 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
住 所 〒781−7101 高知県室戸市室戸岬町4058−1
電 話 (0887)−23−0024
御真言 のうぼう あきやしゃ きゃらばや まりぼう そわか
御詠歌 明星の 出でぬる 方の東寺 暗き迷いは などかあらまし
最御崎寺 略縁起等(抜粋) |
室戸岬は、弘法大師19歳のとき、岬を訪れ、苦しい修業、練行を重ね悟りを開いた 地である。 室戸岬には、洞窟が二つあり、左側に、大師が住まいとした「御厨人窟(みくろど)、 右側に修業されたという「明神窟」がある。 弘法大師は、明神窟に篭り、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修業された。 厳しい修業が続いたある夜、虚空蔵菩薩の仮現である明星が大師の口の中に入った。 大師は、ここが仏法の最適地であると感得したと言われる。 大同2年(807)唐から帰国した大師は、再びこの地を訪れ、嵯峨天皇の勅願により、 本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本堂を建立した。 室戸岬での修業時、洞窟より視界に入る広々とした水平線、美しく荒々しい海そして 空を眺め大師は、空海と名乗るようになったと言われている。 この寺は、歴代天皇の勅願所として榮え、江戸時代初期には土佐藩主山内忠義公 の援助もあり、最勝上人が入山、再興堂宇を建立し、七堂伽藍を有していた。 隆盛をきわめていたが、明治時代の廃仏毀釈運動で荒廃した。(神仏分離令公布後 起こった仏教排斥運動) 大正3年に復興し、現在に至っている。 |
右のアイコン(写真) をクリックしてください。
biglobeウェブリアルバム(最御崎寺写真集)へリンクします。
第23番薬王寺へ
第25番津照寺へ
四国霊場(総括)