南京

上海・蘇州・無錫・南京の旅 その2

第3日 南京

 朝起きると外は初めての雨であった。太湖のほとりでも散策しようと思っていたので、ちょっと残念、しかし8時15分の出発までに雨は上がってしまった。バスはすぐに無錫の駅に向かう。我々が乗る軟座シートといわれる列車の乗客は専用の出入り口を使う。列車も最後尾に一両増結した。これから向かう、南京までは3時間ほどの旅である。

 自分の席を離れて、同行の人たちと話をしてみた。「江南の春」漢詩の世界を実感したくて参加されたKさん夫妻、俳句仲間と連れだって俳句作りに余念がないIさん、Tさんの二人連れ、奥さんの母親と二人旅のNさんとNさん、母と娘のKさんとSさんたちととりとめのない話をする。Kさんがイメージする江南の春とは杜甫による次の詩のことだろうか。

江碧鳥逾白 山青花欲然  江 碧にして鳥いよいよ白く 山 青くして花燃えんとす

今春看又過 何日是帰年  今春みすみす又過ぐ いずれの日かこれ帰年ならん

 しかし車窓は相変わらずの麦と菜の花である。点在する農家の建物はなかなか立派な家が多い。線路沿いや道路沿いにすんなりとのびた唐松に似た木が植えられている。人に聞いてもわからない。どこかで見たような気がするがよく思い出せない。後でわかったのだがこの木は中国名を水杉という。日本名は曙杉である。もっとわかりやすくいえば四川省で発見されて有名になった化石植物の「メタセコイヤ」といえばわかっていただけるだろう。日本ではこれだけ大量に植えられているところを見たことがないので思い出さなかったのである。

 列車はやがて大きな町に近づいた。南京である。ここの現地案内人は羅さんという。南京は金陵ともいわれ、大変古い歴史を持つ町である。春秋時代、紀元前473年呉を滅ぼした越の将軍が築城したのがはじめである。今でも市街を取り巻く磚(レンガ)造りの城壁を見ることが出来る。明の時代のものらしいが、石ではなく、レンガで城壁を作るというのはすごい。高さは10mもある。高いところは20mにも達するという。このレンガなにやら名前や記号のようなものがつけられている。煉瓦を焼いた工場や責任者の名前だという。不良品を納めたものは厳しく罰せられたのだという。

 李白の登金陵鳳凰台を思い出す。

鳳凰台上鳳凰遊 鳳去台空江自流   鳳凰台上 鳳凰遊ぶ 鳳去り台空しゅうして江自ずから流る

呉宮花草埋幽径 晋代衣冠成古丘  呉宮の花草は幽径を埋め 晋代の衣冠は古丘 と成る

三山半落晴天外 一水中分白鷺洲  三山半ば落つ晴天の外 一水中分す白鷺洲

総為浮雲能蔽日 長安不見使人愁  総て浮雲の能く日を蔽うが為に 長安見えず人 をして愁えしむ

 南京は1853年の農民反乱による太平天国の首都であり、1912年には、孫文による中華民国臨時政府が置かれたところである。1937年、日本軍による南京大虐殺の悲劇の起きた地でもある。案内人にはこのことを聞く気になれず、3000人の子供の男女と農機具や鍋釜を携え日本に向かった徐福のことを話した。もちろん彼はそのことをよく知っていて逆に日本人はその時の子供たちの子孫だという話を知っているかと聞いてきた。秦の始皇帝の時代だから全部がそうだとはいえないが、一部その人たちの子孫がいてもおかしくはないだろうと思う。事実、日本には徐福伝承が九州各地を始め、紀伊半島、山梨の富士吉田、秋田にいたるまで二十カ所以上にわたるのである。

 東華門飯店で昼食後、中山陵に向かう。中山とはいうまでもなく、革命の父、孫文の号、中山である。紫金山の中腹、8万平方キロという広大な陵に孫中山は眠っている。広く緩やかな花崗岩の白い石段を392段、登ったところに祭堂はあった。棺の上の天井には大きな晴天白日が描かれていた。民族、民生、民権いわゆる三民主義を掲げて戦った生涯である。石段の両側には大きなヒマラヤ杉が連なる。途中見事な紫木蓮が咲いていた。石段は上から見ると階段状には見えず、緩やかな傾斜の斜面のように見える。心憎い設計である。石段を下りるとレンギョウと黄梅の黄色が鮮やかであった。

   次に訪れたのは貧農から身を起こし、明の初代皇帝、洪武帝となった朱元璋がその妻と眠る明考陵であるが、当時の門や建物はほとんど現存しないという。陵には行かず、参道の石像を見る。陵に近いところは人間の像だが、離れると像や馬、駱駝といった動物の像が並んでいる。一つ置きに立像と座像がある。座像は交代要員だという。中華五千年の長い歴史の中で貧民から皇帝まで上り詰めたのは漢の高祖(劉邦)と朱元璋の二人だけである。

   次ぎにバスは行楽客でにぎわう玄武湖のほとりを通り、市街の北西にある長江大橋についた。1960年着工9年の歳月をかけて完成した全長約6700mの2層式の橋である。上は車道と歩道があり、下は複線の線路がある。エレベータで上まで上がり、全景を見た後、模型を展示してある部屋で説明を受けた。夕食は南京双門楼賓館でとり、食事の時間に記念にと思って鶏血石の印鑑を刻んでもらった。その後バスで程なく今宵の宿の南京古南都飯店についた。24階建ての近代的な高層ホテルである。姉妹都市となっている日本の名古屋市の協力を得て建てられたホテルで設備も良く、今回の旅行中、唯一蛇口の水が飲めるところであった。

先頭へ戻る