蘇州・無錫

上海・蘇州・無錫・南京の旅 その1

第1日 上海

 日が落ち暗くなりかけた成田空港を飛び立ったUA583は現地時間2010分ほぼ予定通りに上海空港に着陸した。空港は人であふれ大変な混雑である。団体専用といわれた2番ゲートがわからずぐずぐずしている間に列の最後尾に並ぶ羽目になってしまった。団体ビザを持っている自分としては少々焦り気味である。入国審査官はのんびりゆったりした感じで仕事をしている。郷に入ったら郷に従えと思ってみたが他の人たちはそうはいかない。そのうちに1番ゲートが開いて団体はこちらに来いというので並び直す。やれやれであるが2番ゲートに並んだ団体から抗議を受ける。2番ゲートには個人の人も並んでいた。 やっとの思いで全員の入国審査を受け終わったのは9時半になってしまった。なんでビザを持たされることになったのか少々恨めしくなってきた。それでも現地案内人の秦さん、楊さんに会えたときはほっとした。バスに乗って近くのホテルの食堂で遅い夜食をとる。30分ほどで再びバスに乗り込み、一路蘇州に向かう。1時間半ほど走って本日の宿、蘇州飯店についたのは12時を少し回っていた。部屋に入ってまた問題発生、頼んでおいた補助ベットがないのである。フロントへ行って見るがあいにく日本語が分かる人がいない。秦さんの部屋を聞き出して頼む。ボーイさんが補助ベットを持ってきてくれて一件落着した。後でわかったことだが部屋割りを間違えたらしい。風呂に入って床についたのは1時半を過ぎていた。

第2日 蘇州・無錫

 6時半のモーニングコール、7時15分に朝食をとり、8時10分いよいよ観光の旅が始まる。おびただしい自転車と自動車の群を眺めながら、まずは虎丘に向かう。諸葛菜(花大根)の咲く林を抜けて坂道を上り詰めると少し傾いた八角七層の煉瓦造りの塔がある。10世紀中頃の創建と伝えられる雲岩寺塔である。現在の塔は清の時代の再建であるがやや傾いている。東洋のピサの斜塔と呼ばれ蘇州のシンボルである。虎丘には呉王闔閭(こうりょ)の墓がある。墓の傍らに「虎丘剣池」と大きく刻んだ岩がある。子の夫差が3000本の剣を副葬したという。「臥薪嘗胆」の語源となった故事の舞台となったところである。ちょうど遠足らしい小学生の一行に出会う。子供は屈託がなく、どこでも元気である。一人っ子政策のため大切にされているらしく、身なりもきれいだし、頬紅を付けた子供もいた。

 次は寒山寺に向かう。唐の張継による「楓橋夜泊」の詩で有名なところである。

月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠  月落ち烏啼いて霜天に満つ 江楓漁火愁眠に対す

姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船  姑蘇城外寒山寺 夜半の鐘声客船に到る

 私の部屋には以前からこの漢詩の拓本が壁に飾ってあるが本物と対面できた。寒山寺ははじめ妙利普明塔院と呼ばれていたが、唐の時代寒山・拾得が住持してから寒山寺と呼ばれるようになった。除夜の鐘が日本に放送されたこともある。この鐘日本から送られたものと聞いて衝いてみた。蘇州は運河の町、水の都である。運河がいたるところで目に付く。重要な通運の手段として使われてきたことがわかる。商業の物資だけでなく、太湖石を都に運ぶのも大きな目的だったらしい。

 次ぎに向かったのは拙政園である。蘇州は庭園の町でもある。他にも滄浪亭、獅子林、留園など有名な庭園がある。拙政園は唐の詩人陸亀蒙の邸宅だったといわれるところである。回遊式庭園でどことなく日本の庭園にも似ている。ただ中国のどこの庭園でもよく見かける、ごつごつとして穴のあいている太湖石の石組みは日本ではなじみがない。園内は梅の花が終わり、花海棠や桜が盛りであった。しかしガイドの楊さんは全部梅だという。蘇州は楠・プラタナス(鈴懸け)の街路樹がたくさん植えられている。夏の暑さを木陰で凌ぐ生活の知恵であろう。しかし今は暑くなく、寒くなくちょうど良い季節である。絲綢博物館で両面刺繍の置物を買い、金芙蓉飯荘で昼食をとる。

 現地案内人の楊さんとはここでお別れ、蘇州観光を終えて列車にて無錫に向かう。2階建て列車、周恩来号である。一階に座ったのだが2階も空いているというので上がってみた。思ったより天井も高く快適であった。中国の列車は電化されていない。また線路は広軌であるので車高を高くしても大丈夫なのだ。車掌が売りにくるお茶は2元であった。約40分の列車の旅であったが車窓には一面の菜の花と麦の畑が広がる。無錫駅到着は午後の1時30分頃であった。ここでの現地案内人は崔さんという。 バスにて太湖に向かう。高速艇にて湖上遊覧する。琵琶湖の3.3倍という広さの大きな湖である。広い割には全体に浅い湖で漁業も盛んである。核を入れずに作る淡水真珠も有名である。湖畔に桜の花が一面に咲いているところがある。亀頭渚公園だという。

 しばしの湖上遊覧を終えてバスは錫山と恵山二つの山の間にある錫恵公園に着いた。錫山はかってその名の通り、錫がとれたところである。錫は青銅を作るための重要な原料である。青銅器の中でも鼎は権威のシンボルであった。「鼎の軽重を問う」という故事成句になっているほどである。そのために争いが絶えなかったのである。漢の時代、錫を掘り尽くして、もう錫はないことを知らせるために町の名を無錫としたのだという。

 公園の中には「天下大二泉」という名泉がある。また寄暢園はなかなか凝った造りの庭園であった。私の趣味の盆栽も置いてあった。夕食は友誼海鮮楽城でとって今夜の宿は湖賓飯店である。湖賓飯店は無錫郊外の太湖の近くにあった。部屋の窓から太湖を望むことが出来た。   

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