古城街道

ハイデルベルグ

    すれ違うのも困難と思われる狭い坂道をバスが登っていく。やがて10台もとまれば満杯の駐車場に着きました。満車のときは坂道を歩くかケーブルカーで上ってくるのだといいます。その先にあるのはハイデルベルグ城です。この城は13世紀のころ、ここを治めていた選帝侯プファルツ伯の居城です。その後、代々改築、増築を重ねて現在のようになりました。ルネッサンス、ゴシック、バロックなど各様式が入り混じっています。

  700年の長い間、戦いや破壊を経てきた城で今でも一部は廃墟のままです。廃墟は廃墟のまま保存するのでいつまでもこのままの姿だといいます。この城、日本の城のように壕を持っています。空壕だが水も入れられるといいます。城の中には入れませんでしたが地下のワインの大樽を見ることができました。22万リットル入るといいます。番人の人形と時計のびっくり箱の仕掛けが楽しい。

   城ではちょうど結婚式が行われていて花嫁、花婿のほかに民族衣装に着飾った参列者が集まってきました。城のテラスから見る市街の眺望はすばらしかった。またこのテラスの中央当たりに赤砂岩の上に人の靴跡があります。城の奥方の浮気相手が飛び降りた跡だといいます。それにしても石に跡が残るというのは面白い話です。

    お城の見学を終えてハイデルベルグの街を歩きました。折から街はお祭りで大学広場も出店がいっぱいです。

 学生牢はちょっとわかりにくいところに入り口があります。酔っ払ってけんかしたり、羽目をはずした学生を懲らしめるために入れたらしい。授業料の未納者もその対象だったといいます。しかし学生たちはその体験を楽しんでいた風もあります。壁はもちろん天井いっぱい落書きがありますが、でたらめな落書きではなく、自分を主張しているかのようで した。

  ネッカー河にかかるカールテオドール橋は石造りの立派な橋です。ハイデルベルグ城がよく見えます。橋のたもとには鏡を持ったマントヒヒの像と小さなねずみの像があります。ヒヒの像はサルの姿を見て笑う前に鏡に映った自分の姿を良く見ろと言うことらしい。ねずみの像は撫でるとどういうわけかまた来られるのだと言います。 私も再来を期して撫でてみたのですが・・・。

  市庁舎の前の広場に戻ると中世の衣装を着た人々が州の旗を持って音楽に合わせて行進していました。ハイデルベルグで最も古いといわれる騎士の家もこの広場に面しています。近くの免税店で買い物をしました。

  市内観光を終えて次の目的地ローテンブルグを目指して出発します。ネッカー河に沿って進むと対岸の山肌に赤い部分が現れました。赤砂岩です。このあたり赤砂岩がいくらでも取れるのだといいます。これが城や建物の材料として使われてきました。ここからローテンブルグまでは古城街道を行きます。

ハイデルベルクを出発してほどなくバスはネッカーシュタイナハを通過します。ここは四つの城の街です。城の名はシャーデック城跡、ヒンターブルク城跡、ミッテルブルク城、フォアデァブルク城といいます。ネッカー河の流域には城が多いのですが一ヶ所に四つの城があるのはここだけでしょう。

  40kmほど走ったところで大変美しい城が目に飛び込んできました。バーデン侯爵の私城、ツヴィンゲンブルグ城といいます。一般公開はされていません。カメラスポットということでバスを止めて写真に収めました。バスはしばらく走ってやがて小高い丘の上に広がる城壁を持った街、ローテンブルグに着きました。

ローテンブルグ

  古い中世の城塞都市、4〜5百年の家はざらで1000年以上も経つ古い家もあります。しかしどことなく新しい感じもします。それは第2次世界大戦の戦火により破壊され、その後世界の人々の寄付などによって復興した街であるからです。

 ザンクトヤコブ教会はゴシック様式の2本の塔を持つ教会です。キリストの血が収められているという「聖血祭壇」の彫刻は大変すばらしい。また17mというステンドグラスが美しい。残念ながらその音を聞くことはできませんでしたが5500本のパイプを持つオルガンがあります。

  

夕食後、街の中央にある市庁舎の前の広場で、からくり時計を見 ました。午後9時の時報がなると人形がゆっくりと動き出します。30年戦争の1631年、この地を占領したテリ−将軍が3.25リットルのワインを飲み干せば許すといったので前市長のブッシェーがワインを飲み干して街が助かったという故事にちなんだものです。決して派手さはありません。それでも終わると一斉に拍手がありました。

  街の中では多くの日本人観光客を見かけました。ガイドを片手に女子学生が跳び回っていました。今夜の宿は貴族の館を改造したというアイゼンフートという名前のヨーロッピアンスタイルのホテルです。この日は天蓋つきのベッドで寝ました。  

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