令和3年7月   改訂

第33番結願所  時打山 医王院観音堂

広島県福山市新市町宮内



 福山市の明王院を一番札所に尾道の浄土寺、西国寺、千光寺等々、備後一円の世に知られた名刹を巡っての最後の結願所が無住の小堂とは、だが寺歴を調べると、当然とか思われます。 新市町宮内の吉備津神社は一宮 (いっきゅうさん)と親しまれ備後一の神社として備後国の総鎮守です。古く神社であれば、必ず境内に別当寺(神宮寺)があって備後一の宮にもふさわしい別当寺があり、吉備津神社に伝わる江戸時代初期の絵図面によると、本殿の右端に「観音堂」の記載があり、本尊の如意輪観世音菩薩は、ここで祀られていたのでしょう。寺の格式としても、寺の規模からも備後西国三十三カ寺の結願所として十分の貫禄であったであろう。
 明治になり、神仏の分離により境内の寺は取壊され、本尊の如意輪観世音菩薩は近くのお堂を転々とし、現在の地である時打山薬師堂へ移ったのです。
 近くの南の小高い山には、かつて南北朝の争乱に挙兵し果てた桜山茲俊の居城(桜山城趾)があり国の史跡に指定されています。
(参考) 芦田川文庫 原田太朗著「備後西国三十三カ所」

坂道を登ったら 地蔵堂
本堂前からの水子地蔵と地蔵堂 本堂正面の景色
備後一の宮 境内が見えます 備後一の宮の門前町が眼下に見えます
備後一の宮前の道路からの入口 観音堂への入口 (坂道になります)
県道26号からの遠景 山道の入口にある石柱



 毎月第2日曜日午前9時より地元有志の方々により月例祭が行われています
新型コロナウイルス感染防止のために月例祭はお休みしています


「医王院観音堂」は、前記の説明に有るように江戸時代までは、備後一の宮(吉備津神社)境内にありました。今のお堂の場所には「時打山薬師堂」と呼ばれていたお堂があって、本尊「薬師如来」と併せて安置されており、昔からの名称である「医王院観音堂」と称しております。

備後西国三十三ケ所巡礼案内書に「中興寺 薬師堂・観音堂」と記されたものもありますが、近くにある「中興寺」とはいっさい関係はありません。また、麓にある「薬師堂(阿弥陀堂?)」は「中興寺」とは関係なく、観音像が安置されていたことはありません。

お納経を希望されるご参拝者の方は、入口近くの民家でおたづね下さい。



 JR福塩線新市駅から北へ延びる県道26号を1.5kmほど北上すると、右手に大きな石の橋が架かった池がある。道路脇には灯籠がありいかにも、神域に入った 気がする。池の所から左に進むと有名な「備後一の宮 吉備津神社」の大きな石の鳥居が見える、それをくぐると広いお宮の境内だ。ここらへ車は停めさせても らおう。(池の北側に神社の駐車場があるのでここへ止めて歩いても良い)先ほどの大きな石の鳥居まで戻り、昔風の家が建ち並ぶすぐ前の道を、右手南方向に200mほどで酒屋さんの角にに案内の石柱が立っている。ここを折れて60mほどで、左手に山に 向かう狭い道がある、「備後西国三十三番」の石柱が立っているので分かるだろう。急な山道を150mほど登り切った所へ無住のお堂がある。先ほどの池が眼下に 見える。

 せっかくだから「備後一の宮 吉備津神社」にも参拝させてもらおう、このホームページ「備後一の宮 吉備津神社」を見るとよくわかる。     ↓ クリックで移動

 


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