三浦家の源流を訪ねて
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「三浦家の源流を訪ねて」目次:
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三浦家一族について
平の為通(為道)が初めて三浦氏を名乗った。
為通が三浦の始祖と云われる。
三浦の姓は、地名から起こったもので、相模には後年になって、三浦の字と字改めた
「御浦」郡があり、三浦の主流はこの地から発祥したものである。
桓武平氏は相州発祥以来この地方に勢力をもった大族で古代から御浦郡の豪族は
御浦氏を名乗っていて、桓武平氏は御浦氏の後にこの地方に住んだといわれている。
系図にある氏名の中から特記すると、
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先祖は桓武天皇(西暦794、都を平安京に移した天皇)
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桓武天皇の子には平城(51代天皇)、嵯峨天皇(52代天皇)、淳和天皇(53代天皇)
がおり、先祖、葛原親王は賀陽親王、仲野親王らとともに桓武天皇の子である。
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先祖「良文」の兄弟の国香の子孫には七代に平清盛がある。
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先祖「良文」の兄弟の良将の子の「将門」は西暦939年に新皇を自称した平の将門がいる
(今昔物語)
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先祖「忠通(道)」の兄弟、忠頼の孫「忠常」が謀反を起こした(長元年間=西暦1028〜1036)(日本略記)(今昔物語)
この長元の乱は平家が乱を起こし源頼信が平定した結果、関東の平氏は勢力を失い代わって源氏
の威勢が上がってきた。
しかし坂東における武家の主流であることは確かで一族はまだ勢力を保持していた。
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平治物語には義澄に院宣受取の白羽が立ったと記され、関東八カ国にその名を知られた武士の
名門、その父義明も君のため命を捨てた武士として代表になったとその理由をあげている。
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源平盛衰記には、三浦義澄が富山重能の息子重忠と戦って勝利した、「桓武天皇の子孫で
高望王から数えて11代目の臣籍に下ってほどなく、三浦義明......」とあり、衣笠合戦で畠山、
金子氏と戦ったと記録されている。
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東鑑の治承4年(西暦1181)には、武蔵の国の畠山次郎重忠は平氏の重恩に報いるため
三浦一族を襲撃する計画を立てた。三浦一族は衣笠城に立てこもり、三浦 義澄、義連らが戦
ったが敗走する。その時、父義明は「われらは源氏累代の家来である。.......」として、皆を
逃がし、一人残って城郭で戦死した。と記載がある。
東鑑の各巻にはその他、義村、胤義、朝村、光村、家村、泰村、門尉、景連、時親、資村、
氏村、員村、盛時、頼盛、頼連、時連の名が見られる。
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胤義は承久の乱で京方の大将軍となったが敗北し西山木島で自害した。
その弟、友澄も 承久の乱で討死している。胤村の息子、義有たちは泰村で戦った時
自害した。
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承久記には、胤義の他に朝村、素村、泰村の名が見られる。
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梅松論には、貞通、義盛の名がある。
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太平記には、入通、氏明、義勝の名前がある。
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三浦一族は源家に尽くした功は大きなものがあったが、北条氏が執権をとってからは
かえって敬遠されるようになり、新田義宗、義興に従った。この時、 三浦一族大半が
倒された。義村だけが一門より離脱して三浦の祀を絶やさなかった。
また、弟の胤義も北条氏に味方したが挫折している。義村の子、泰村は寛治元年、時頼に
討たれ、この時、三浦一族は270人とともに法華堂にて自害することとなり、建保
(1213〜1218)の和田合戦と 寛治のこの騒動で一党はほとんど全滅した。
三浦氏が北条氏を怨んで、新田氏の軍に投じたということは確かである。
◆三浦平太郎為継は、源義家に従って奥州の役に赴いた。その子の義継は相模介
に任じられ、義継の子の義明は大介と称したが、 治承4年(1183年)に源氏が旗揚げすると一族
を率いて兵を挙げ、源氏の軍に合流したが、衣笠城で戦死した。
義明の子孫は源氏が鎌倉に幕府を開いてから名門としての扱いを受けたが、やがて一族の
人員が増え、全国に散らばって居を構えるようになった。
◆三浦義明は、右大将家(源頼朝)の時に裁判官にも任命され、その子義澄も引継き、
三浦氏相模の守神職として三浦郡を領有した。三浦の地名はこの領主からとったものである。
義明、義澄、義村と一族は大いに栄え、増えた人員が各地に散り、これを俗に三浦党といって
いる。しかし、建保元年(1213年)に三浦党の和田義盛以下がみな討死し、宝治元年
(1247年)には、義村の子、泰村一党も.みな討死した。
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三浦家の家紋は、抱き茗荷以外に17の家紋を使用しており、家紋からは先代をさかのぼること
はできない。
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NHK平家物語(人形劇)に三浦でてくる。
NHK吉宗(大河ドラマ)為隆(タカ)
三浦一族系図
*日本家系協会「三浦一族」(昭和47年発行)参考
桓武天皇〜三浦氏祖「為通」〜「義明」〜「朝胤」〜江戸、明治〜
武蔵国(東京、埼玉)、上総(千葉)、下総(千葉、茨木)、常陸(茨城)、
磐城(宮城、福島)、岩代(福島)、陸奥(青森)、出羽(秋田、山形)、越後(新潟)、
上野(群馬)、甲斐(山梨)、駿河(静岡)、三河(愛知)、尾張(愛知)、伊勢(三重)、
志摩(三重)、大和、河内、加賀、丹後、美作(岡山)、出雲、石見、備後、安芸、防長、
紀伊、讃岐、土佐、豊後、肥前などにも資料、記事がのこっている。
★三浦一族の出来事を日本の歴史と重ね合せました。
現代版「三浦さん日記」も企画中です。
*(1995.1.31/只作成)
★代々伝えていきたいし、おじいさんのおじいさん........とどんどん遡ると時間の流れや歴史みたいなのがスゴク身につまされますね。
お便りをお待ちしてます。
miupa@rivo.mediatti.net(☆MiW家のメールアドレスです)