99年6月の学芸員日誌


水滴
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6月30日(水)曇のち雨

同人誌の原稿を書いたので転載する。

【 遠足日誌 】
五月十九日(水)雨
朝から年休を取って久しぶりに上京。
目的は東京都現代美術館へ「荒木経惟展」を見にいくためである。
それにしてもこのところ、東京へ行こうとすると雨が降る。迷惑だ。去年の十月なんか台風だったからな。
ま、いい。
赤レンガ東京駅のドーム下でその人は待っていてくださるそうだ。この人はわたしのネット系読み物の読者さまである。もちろん一面識もない。
が、現代美術館には何度も足を運んでおられるようで今回は案内役をかってでてくださったのである。妙にうれしい。喜びすぎは禁物だがね。
「女性で荒木さんの写真が好きという人は初めてですよ」とおっしゃるが、そんなものでしょうかねえ?
そういえば橋田寿賀子とかが、藤田朋子の騒動の時
「あんな人に写真とられたら、どんなことされるか、わかったものじゃないでしょう。そんなこともわからないでのこのこついていくなんて……」とか、まるで犯罪者が写真を撮るかのように言い捨ててもいたよな。
ま、一般的にはもっとキレイに(実物よりも)美しく写す写真家の方が人気があろうが、あのなまなましさこそをわたしは愛してやまないのであるよ。
そう、わざとやってんじゃないの? っていいたくなるほど不様に転がったトルソーのような裸体。
ボンレスハムのように縛り上げられた裸体。
ぶれたり、ぴんぼけだったりする裸体。
突然あらわれる恐竜やトカゲのおもちゃ。
唐突な街の風景。
解体され構築される都市の風景。
無垢に見える子ども。
恋人たち。
老人。
ずっと前から荒木さんの撮るものは変わらない。
「鑑賞のスピードが速いですね」と、言われるとすこし見方が雑かなあと反省もするが、アラーキー歴が長いわけだから、初めて見る人のようにいちいち驚いてはいられない。今まで見てきた展覧会のおさらいの意味もある。
今回の収穫は『センチメンタルな旅』オリジナル版の初公開に尽きるか。他には、昨夏の田村隆一の葬儀の写真に見入ってしまった。
わたしがあんまりじいーっと見ているので
「それは誰ですか?」
「詩人です。鎌倉に住んでいた、戦後荒地派の……」
「わたしは知りません」
「はあ、そうですか」
展示されているもののうち最近の作品は写真ではなく(変な言い方だな)大きな紙にコピーされたものが多い。協賛企業名を見る限りでは現時点でのデジタル出力およびカラーコピーの技術力の限界に挑戦したということなのだろうが、荒木さんはデジタル化をどう考えているのか、とても気になった。

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6月29日(火)雨

職場のパソコンの中にPCカードを差しっぱなしで帰宅してしまった。今日の日記もそのカードの中に入っていたのに、つまり更新とはいえない更新しかできなくなってしまいましたとさ。

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6月28日(月)晴ときどき曇

朝のFMラジオにて。hitomiの新曲かなんか知らんがこんな歌詞だった……。
疾走する哀しみがせつない……なんとかかんとか。

hitomiってことは作詞はTKか? 「かなしみがせつない」なんて「頭痛が痛い」って言ってないかい? 
それにしてもなんだか懐かしいよね。「疾走する哀しみ」だぜ。出典は小林秀雄よ。小林がモーツァルトの40番をこう評したのよ。
あああ。ここでこんなこと教養をひけらかして……って、そんなつもりはないんだけど。でもさ、最近の若いやつらがあんまり教養がないんで、腹が立つっていうのが、まずあるね。学校の成績じゃなくって、大事なのは教養と品位だと思うんだよ、最近。
自分ちのマンションの駐車場に散乱する吸い殻とか、空き缶、時としてコンビニ弁当の食べ散らかし。まったく教養と品位のない親がさんざん甘やかして育てましたってガキどもがたむろしてると、マンションの評価が低落するのがいやなんだよ。

てなわけで、学校におけるE田先生のようにだね、帰宅するとゴミ拾いをしている。これは気がついたおとながこまめにやらねばならん仕事だ。自分のマンションを守るためにな。

6月27日(日)雨

チャットにさそわれてたのに、爆睡してしまった。

ごめん、また今度な。

6月26日(土)曇のち雨

配達の途中で少し足をのばして碧南まで。
まだ、行ったことがなかった哲学たいけん村”無我苑”へ行く。
正式な茶会用の茶室、立礼の茶室(ふだんの客はここで茶を飲む)、勉強会などができる和室、庭(当たり前だ)、竹やぶ、鉄筋コンクリートの建物のほうに事務室や展示室、さらに瞑想室があり、入館料はただ。
瞑想室っていっても環境ビデオが常時ついていて、いかにもって感じの喜多郎とか宗次郎ふうのBGMが流れていて、で、先客が2人、静かに昼寝(起きてたかも?)をなさっていた。
正方形の部屋で真中にすりガラス越しに外光が落ちてくる部屋があり、メディチ家にあった瞑想の椅子を模したものが5脚。
もっと時間があれば、よかったんだがねえ。
村民登録はしましたが、むむむ。

どなたか、一緒にまた行って瞑想してみませんか?

6月25日(金)終日 雨

毎年恒例の学校行事、生活体験発表会っていうのをやったのさ。

もう来年からは『定時制高校生の主張』って名前かえよう! 
いや、県大会なんか、行きますとですね。もう、話し方とか、まるであのいやらしい「青年の主張」ばりばりで、聞いててこちらが気恥ずかしくなるようなのばっかりなんざんす。
そこいくと、うちの生徒さんなんか、自然でいいぞう。
とりつくろった主張なんか聞きたくない。
ふだん、目立たない、意外な人の意外な主張に耳をすませる時間がもてることが素晴らしい。I川くんが話しているとき、みんなとても静かに聞いていた。先生たちのつまんない話とは違うって思って聞いていた。
そういうのがすばらしい。

S田っちがいいこといってたな。今回S田っちはとてもいい人選(=いわゆる優等生はひっこめる作戦)でのぞんだ。普通なら出すはずのカードを「これは切り札だから来年まで温存……」といって、意外なメンバーをそろえた。これがよかった。
意外な人でも、意外とガンバって毎日、学校に来ようとしている。まあ、授業中、ふらふらしてることのほうが多かったりするが、それを100人の聴衆を前にマイクで自分の作文を読みあげるという作業をしようという気にさせるところまで持っていくのが担任にとっては苦痛でもあるが、大きな楽しみでもある。
そのやり取りの中で何かが確実に生まれていくのだ。それをやらないで逃げ続けてきた人がいるけれども、あなたはとても損をしてきたよ。ま、わしのことじゃないんで関係ない。

I川くんの声はまあ、予想通りだったが、みんな、K原氏やF中卿があんなに渋いいい声の持ち主だったとは知らなかったらしい。へっへっへ、である。

6月24日(木)終日 雨

ネットワーカーな生徒さんをまた2人GET!
おめでとう。だがしかし、なにがめでたいもんか! これから地獄にはまらないように自律しないといかんのよ。わっはっは。まあ、がんばってくれたまえ。

今日はもう寝る。

6月23日(水)曇のち雨

ただいまから、校長講演会がはじまりますです。どきどき。

早稲田の国文で演劇もやっていたという人である。まあ、生徒さんはほぼ満員。わがF中卿はひょっとこのお面、K原氏はその黄色い髪で、存在感は充分アピール。

校長は、彼の持つロマンチックな文学青年の部分を全面的に押し出して来た。
万葉集の大津皇子と石川郎女の相聞歌を読んで「うーん」とうなって絶句してしまう。こういう歌だ。わたしはこれらの歌を知らなかった。

あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに   大津皇子

吾を待つときみが濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを  石川郎女

「恋人を待ちつづけてすっかり山の夜露に濡れてしまったというその触感と、しずくのしたたりおちる聴覚的な感覚。これが日本的。
おとこは少しうらみがましく女を責める。この女のすごいところは一切弁解をしていない。そうして、むしろ男を包み込むかのように、あなたを濡らすしずくになれるものならなりたいという。うーん。こんな返事をもらったら男は気が狂っちゃうな。おい」

そのとおりです、学校長。

日本文学は暗闇から出発していると、ま、狭い島だからなあ。

6月22日(火)曇ときどき雨

五月闇汽罐車一台ゆくごとし  山口誓子

すごい人だなあ。山口誓子って人はさ。深い暗い闇の中を真っ黒の汽罐車がゆっくりと動く。黒煙をもくもくと吐き出す汽車のイメージ。なんか、すごい。これは、すごい。汽車の乗客の情念、人生の苦悩、旅の憂愁なんていうセンチメンタルなものじゃないな、これはよ。

仕事のはかがいかない。というのは昨日も書いた。じゃあ、かといってnet三昧ってわけでもない。課金情報を見たかぎりでは、先月の半分くらいしか、つないではいないんだよ。なんなんだ、いったい。

6月21日(月)晴

なぜだか反動でこころは苦しいのに顔だけへらへら笑ってしまう。
去年のほうが時間の余裕はなかったのに、仕事は倍こなしていた。なんだ、このざまは!

「この行事になんか意味があるの?」とH原氏にいわれた。
「意味ねえ……」即答できないわたし。
でも、なんか好きなんですよね、生活体験って。
終わったあとで「みんなよくやってるよ」って生徒さんをいとおしく感じられる行事っていうことで、答えになってますかい? だんな。

6月20日(日)曇のち晴

覚悟を決めて生きていこう。
生きている限り、どこかで誰かを知らないうちに傷つけていたりすることだってあるのだ。

ほんとうに、すまなかったと思っている。だが、わたしにも言い分がある。それはわたしの内部にあるもので、きみにいうものではない。
そうだよ、傷つけてやろうと思って、わざとしたことではないのだから。

6月19日(土)雨ときどき曇

なぜか、ドミー襲撃。

深夜時間帯は<破滅>のサイトに乱入。
現役の生徒さんでは、最初のweb持ちじゃん、しばよし! えらいぞ!

6月18日(金)曇のち雨 一時激しい雷雨

U田M弥子の墓参りに行く。友だちの葬式に出たことはあっても、友だちの墓に行くということ自体が初めてだ。
めざすお墓は墓地の入り口の近くにあり、丁寧に墓石の名前を見ていけば、新しく彫ったばかりの彼女の名前ですぐわかります。これを読まれた同期のかた、まあ、帰省の際にでも行ってあげてください。荒井山九品院です。

パンちゃんの映画の採点簿にもごぶさただ。
何か、書くか。さて、『菊次郎の夏』だが、はたしてこんなに狭い日本でロードムービーは成立するのか! って思っちゃったね。
安城コロナ(シネコン)で見たわけだが、マサオが母親の住所をメモする時、後ろのおばさんは「あら、豊橋……」って声に出していった。
そうだ、われわれにとっては豊橋はとっても近い地名だ。東京だってそんなに遠く感じない。はたして東京から豊橋まで、どうやって映画にするのだ? わたしを含めてかなりの客は「おいおい、大丈夫か? たけし」って思ったんじゃないか。

岸本加代子(『HANA−BI』より、うんといい)から渡された旅費は5万円。新幹線で2時間半で、もう豊橋なのに……。まあ、見ていない人もいるから書かないが、相当な回り道をしましたね、わざと。
そういうところがたけしの確信犯的なところだから、まあ、いいのか。
なまじ風景を知っているので、地理的な矛盾がわかってしまってしょうがないのは、つまらないことだな。
邦画のロードムービーで成功したのは『幸福の黄色いハンカチ』くらいじゃないか? などとも、ふと思いました。
ひとまず、今日はこのへんで。

6月17日(木)晴のち雨 暑

昨日はあれから、何人もの方から、それもとりわけ初めての方から<同一人物だ>の空メールをいただいた。

ありがとうございました。やっぱり、そうだったんですね。ふむふむ、名子役も「あの人は今……」のような物笑いのタネにされるより、こうして、なんていうのかな「シャア」っていったら、やっぱり少年の一つのあこがれでしょう? その声の人として生き続けるっていうのは、これはすばらしいことだと思うんだよ。
『路傍の石』『次郎物語』の池田秀一くん。TVの『船場』シリーズなんかでも丁稚の役とか、よくやってたよなあ。山田吾一演ずる先生と河原で語らう場面やら、もちろん鉄橋にぶらさがる最大の見せ場も覚えているけれども、よく考えたら声を覚えていないから、そもそもこの素朴な疑問が成立してしまった。
声が一緒なら、悩むこともなかったはずだ。もっとも名子役当時は変声期前でんがな。

声ねえ……、実はわたしは外見より声にひかれる。声って重要な要素だ。
森本レオなんか、いい例だと思う。声だけであそこまでいったんじゃないかい? 今ではCMの語りだけでも相当な収入だろう。むかし名古屋でしがない深夜放送DJやってたなんて、知ってる人しか知らないかも?

声優ネタに話をもどすと、どんちゃんから「なんでわたしに聞いてくれなかったんですかあ!」と抗議のメールをもらったりもしたけれど、世代によって声優の認識が違うでしょうが。
古谷徹が「星飛雄馬」で大山のぶ代は「オバQ」という世代じゃないとわかんないと思ったわけですよ、あたしはね。ごめんよ。

というわけで、F中卿からVIDEOを借りることになった。
「ガンダムを全部、見ようとすると相当な金が流れることになるんです」
「でも、毎週レンタル屋に行ってるし、まあお金ですむことなら……って、お金かけないと真剣に見ないじゃないですか?」とわたし。
「む、でも、それは間違ってます」
「はあ、じゃあ貸してください」
「でも、本当に見はじめたんですね」
「当たり前じゃないですか。見るっていったら見ないと、こればっかりは……」
「いや、口先だけの人ってのがこれまでにもいたから……」
「はあ、でも、やっぱねえ、アトムで大きくなったんだから」とわけわからんこといいつつ、ちょっと自慢げだったかもしれない。

数分後、少し雨粒のついたVideoを持ったF中卿が廊下に立っていた。

6月16日(水)晴わずかにおしめり 暑

安城コロナにて『菊次郎の夏』

F中卿にガンダムの鑑賞順位についての講義を受ける。
シャアの声優名のところにある「池田秀一」という名前が気になってしかたがない。これは、はたして「あの」池田秀一なのだろうか。
「あの」というからには、彼には伝説があるわけだが、名子役は必ずしも名俳優にはならないわけで、かの池田秀一も昭和30年代の邦画には欠くことの出来ない名子役であった。
代表作は『路傍の石』だ。だが、長じるにつれ池田秀一の地位はあやうくなる。身長が伸びなかったのだ。主役を張るには小柄すぎた。いつしか、彼には2時間スペシャルの犯人役くらいしか出番がなくなってしまったのだ。

だがもし、この声優「池田秀一」が「あの」池田秀一ならば、それはそれですばらしい第二の人生ではないか! 
このあたりのことは、同世代の人に聞かないとわからないだろうから、誰かご存知ないでしょうか?

名子役っていえばなあ、四方晴美だとか、宮脇康之とかいっぱいいたんだが、みんな、あれだからな。中嶋朋子などは幸福であろう。ううむ、中村光輝もかつての豊頬の美少年がそのままでぶい歌舞伎役者になってんだもん、勘弁してくれであった。
他には、志垣太郎ですね。役者にとって身長はそんなにも武器であったのか、と痛感せざるをえんね。 梨園の御曹司の面々には、まあこのまま美しくかっこよくあっていただきたい。

6月15日(火)曇ときどき小雨

もうじき佐野史郎第1回監督作品『カラオケ』が上映される。ただいまヘラルドシネプラザ3にて。

佐野史郎も北野武のような「構図の監督」なのか? 登場人物を横1線に並べてみたりとか。

最後の方の小道具に<わたしの1冊>ともいうべき寺山修司『さよならの城』(それもオリジナル。当時のまんまの新書館刊)がまさか登場するとはびっくりであった。包みの大きさから、ひょっとして……とは思いましたがね。いやあ、まさか、まさかです。

『戦争は知らない』はわたしははしだのりひこの方で覚えていたな。まったく昭和歌謡大全集というか、当時の歌はカラオケなんぞがなかったせいで、歌詞など全部覚えているのだ。みんな一緒か。

6月14日(月)晴

来週の水曜日の午後、校長の講演会がある。場所は校内の図書館だ。
演題は「日本文学にあらわれた発想の諸様式」という。あの校長のあの口調で文学論が語られるなんて今から楽しみだ。聞くところによると、全日30クラス+定時4クラスの中で唯一、2年3組の生徒諸君は校長から古典の授業を1時間、受けているというではないか! わたしも受けてみたいものだ。

6月13日(日)晴

どうも、テンションが下がっているために、いろいろミスをしてしかたがない。
免許をとって20年。初めてキーを中に入れてロックしてしまい、JAFを呼んだ。
ほかにも、あわや、事故か! ということもあったしな。接触をさけようとハンドルをきって、左の後輪を舗道の縁のコンクリートにもろにぶつけて、ホイールキャップがばりばりに割れ、ホイールもゆがんでしまった。
交換。交換だけですんでよかったが、本当にあぶなかった。

保育園に市政記念日の保育申込みを忘れないようにしないとな……。

日本TV『知ってるつもり』はBGMに映画音楽をよく使う。
自分の耳に記憶があって、考えなくてもわかるから、そう気付くわけだが、いつぞやは久石譲の『時雨の記』が使われていたんだったか? 『HANA−BI』や『ソナチネ』なんかも曲相からいくと使っていそうだ。
今日はルバング島から帰って来た小野田少尉を取りあげていたが、ナレーションの時のBGMに覚えがある。何だろう? 何だろう? と記憶をたどっていって、やっと思い出した。『戦場のメリークリスマス』の夜のシーンの曲だった。坂本龍一のこれは『avec piano』というサントラカセットまで持っていて繰りかえしよく聞いたものだ。

6月12日(土)晴

同窓会の総会を今年は学校でやってしまうという計画だ。
ま、新制高校卒のわしらなど、まだ同窓会全体からすれば、ひよこ同然であるから、いわれたことだけ(=ま、雑用というか、お茶くみだけどさ)さっさとやって、本番の前にはもう帰宅していた。

6月11日(金)晴

今朝も熱は下がりません。ま、笑うからいいんだが。

さすがに3日めの夜になれば、熱はおさまるが、明日の保育園はまず無理だな。

6月10日(木)晴

子どもが熱を出しているということは、母の個人的なことは何もできない、ということだ。
木曜日は授業がそこそこあって休めない。昼間はなにも考えず、ただ子どもと遊んですごす。風邪だからね、医者にも昨日行ったわけだしね、何もしないよ。
そうだ『ガンダム』でも見よう。

6月9日(水)晴

次男が発熱。

たまたま授業がないから年休とって帰る。その途中で学校へむかうどんちゃんとすれ違う。で、どんちゃんにすぐ電話して『夜空』(=生徒会の機関紙)のことを頼む。今年は順調に発行されているのであります。今回の特集は球技大会と生活体験発表会。けっこう多忙だよねー。

6月8日(火)晴

5年生の長女のクラスの母親お食事会。
こういうのは適当にごはん食べたら、さっさと退席。だってお仕事あるんですもの。

で、ちょこっと予習して英会話。
「はじめまして」や「こんにちは」のあいさつなどを、実はまだならっていなかったのだよ。
で、特訓だったのだよ。

6月7日(月)雨のち曇

ネットワーカーどんちゃん復活祭。

どんちゃん、おめでとう! あとはKANさん、あなたの番よ。

6月6日(日)晴

O田K慶の結婚披露宴、ときたもんだ。 普通は入っちゃいけないらしいお嫁さんの着付室にも入ってしまう。
同級生がりっぱになって働いているところに、立ちあうのは何だかとても、うれしい、いいことだ。

結婚式や披露宴に呼ばれて行くのは別にいいんだけど、どうしてみんなこう「披露宴」とかやりたがるというか、好きなんですかね。地味婚ができるのは別に芸能人だけの特権じゃない。あんなもん、やりたいって、なんで思うかね。

6月5日(土)晴

貸衣装屋であした着る着物を借り、お金を払う。
一気に所持金が減る。

6月4日(金)雨のち晴

現実逃避したいのはやまやまだが、スケジュール的に無理。

友だちがやってる美容院で髪を少し切る。話していたらわかったんだけど、なんたる偶然か! 花嫁さんの着付け担当がわが友人のS澤M子であるのだ。

6月3日(木)曇のち晴

現実逃避。

『RONIN』を見た。ううむ。
忠臣蔵のあらすじを洋画の中で説明されるとは思わんかったね。だけどさあ、浪人って殺し屋じゃないわよ。
カーチェイスとどんぱちだけで、あとはなんにもない。なんか最後まで本当の仕掛人がわからない。それが目的なんだろうけど、なんだかなあ。
デ・ニーロとジャン・レノの闇の男同士のこころの結び付きってのも薄っぺらだった。
あと、ロシア人プロスケーター役をカタリナ・ビットがやっているの。これはクレジットでやっとわかった次第。スケート選手なんてみどりちゃんとジャネット・リンしかわかりませんもん。3回転ジャンプができるなんて誰なんだろう? と思っていたのさ。
それから『トゥルーマンショー』に出てた女優だな、あれは。

6月2日(水)晴

2、3年はかないでいたスカートを実家から出して来た。ポケットのあたりががさがさする。なんかなあー、と思ったら千円札が2枚も出て来たよ。こういうイイこともあるのね。たまには。

6月1日(火)晴

久しぶりにファジーズガーデンに寄ってみた。最近あまり安城にはいかないのだ。
行ってびっくり、ご主人が入院してしまったから、6月は閉店するというのだ。
定期購読していた『本の雑誌』も「よその店で買ってくれていいから。いや、よそで買ってもらわないと困るわ」そんなああ。ひとまず、お大事に。偶然だとしても今日行かないでこのことを知らないままでいたら……と思うと、なんだか不思議。

『銀花』百十八号を買う。伊達得夫の特集を田中さんが書いているのだが、すばらしい出来だ。
だが、この号の他の記事「鉛筆の唄」(=タイトルちょっとだせえ)がよかったな。
鉛筆だけで夜の東京を描き続けている絵描きさんがいる。絵だけでも食っていける腕なのだが、無名時代のようにタクシードライバーをまたやりはじめたというのだ。
タクシーはさまざまな人生を乗せて夜の街を走り続ける。彼は客と向きあうことなく、客の人生の一部にかかわる。聞くともなく聞こえてくる会話を耳にする。別れ話をしている男女もいれば、女のスカートの中に手を入れている男もいる。旅行者。接待中の会社員。
鉛筆だけで描かれた夜の闇のやわらかい黒。
夜の街はかくもやさしく人々を包みこむ。

わたしも夜のほとりで働く女だ。
もう夜の学校以外に勤務したいとは思わない。この夜の学校で出会った人のことを思う。
涙が流れてきた。

さようなら。



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