98年10月前半の学芸員日誌

お月見


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10月15日(木)曇のち雨

◎すべての人には名前がある

「すべての物には名前がある」ことを悟って、ヘレン・ケラーは《奇跡の人》になった。
すべての人にも名前がある。一人ひとりに固有の名前。名前を尊重しないで、人間の尊厳はない、とスピルバーグはいいたいのかな。
一人につき、たった一つの認識票をタダの名札として扱う彼らをとがめる視線の存在、同姓同名のライアンの存在。たとえ名前が一緒でも、彼は「プライベート・ライアン」ではなかった。
『シンドラーのリスト』は名前の集合体。名簿係の前で、自分の名前を告げる。自分の名前がたしかにリストに載っているという喜び。

老ライアンの毛穴のうぶ毛まで見えるほどの大アップのあと、ミラー大尉の震える手が映し出される。でもまだ、あたしらはトム・ハンクスがミラー大尉であることを知らない。
あの激しい戦闘シーンとライアン救出劇とを自分はどう結び付けて見たか?
<戦場の再現>は再現として独立し、あとの救出劇にはつながらなくていいという意見もあるが、それもあんまりなので結び付けてみただけなんだけど。
アパム以外の7人の戦いかたって見事だったと思いません? あたしなんかトム・ハンクスなかなかやるじゃんって感心しちゃいました。だってあんなに手が震えてたんで「こいつ、へっぽこ兵士の役なのかな?」って思ってたくらい、最初は。
でも、「銃剣をよこせ」ってハンクスがいって、先っちょにガムで鏡をつけて、敵兵の様子をうかがいながら、あの狙撃の名手に指示をだしてたとこなんか、かっこよかったでしょ?
ああした場面を見ながら、そのあとの彼らが戦場でどういう働きをするやつなのか、だんだんその兵士たちの個性をわかっていくために、あの場面はあったんです。
ミラー大尉=智将。長身の白人=狙撃の名手、祈りながら撃つ、狙った敵はのがさない。軍曹=名副将。口ひげの男。衛生兵。黒人。角刈りの金髪男。おっ、すごいじゃん。7人全部覚えてるぞ。これで名前まで言えたらもっとすごいが、残念ながら……である。
だけども、それは映画をみてから10日もたったので、忘れたのだ。映画館にいた時は覚えてたもん。彼らが大声で名前を呼びながら戦ってるのを聞いてちゃんと覚えたんだよ。
観客に兵士の名前を覚えさせ、それぞれの戦い方を知らしめる場面としても、あの戦場のシーンは重要だ。

旧日本軍の731部隊なんか、中国人を丸太よばわりしてたというじゃないか、なさけないというか、なんというか。そこには人間の尊厳なんて、はなっから存在してはいなかったってことだ。

◎老ライアン一家の戦後

最初と最後に老ライアンを先頭に、ライアンの妻、息子(むすめかもしれないけど)夫婦、孫たちが3人くらいいたかな。彼らは何のために画面に登場したか。救出部隊のおかげで、生きてアメリカに戻ってこれたライアン二等兵の戦後50年の過ごし方を表現するためであることはいうまでもない。
こういう家庭を築き、孫たちも世間に後ろ指さされるような育て方はしなかった。誰からも後ろ指さされない、よきアメリカの家庭。奥さんとライアンは『黄昏』の老夫婦のように寄り添う。息子たちも健全な家庭のようだし、孫たちもグレて親に心配かけたりしてなさそう。いわずもがなの説明で、いやらしい。どっちにしろ、この一家の場面は感動的だったり、印象的だったりはしない。でも、なければいいのにとも思わない、こういう説明が必要なのかもなあ、だめおしとして。
老ライアンがミラー大尉の墓に、こう語りかける。「きょうは家族も一緒です」そうか、いつもは一人で墓参りしてんのか。家族のほうから、ついていきたいと言ったような口ぶりだった。老ライアンも、もう年だ。戦争体験はこうして継承されていくべきだというのかな。いや、それではあまりにも文部省……。アメリカは何省?
孫むすめに一人ぐらい、すっげーあばずれっぽいのが混じってたりしたら、かえっておもしろいのにな、なんてことも思いましたが。
あああ、つまんない感想だな。つまんないのは、このシーンが説明のためのものだからだな。反対に、雨の市街戦のあとの少女や最後の銃撃戦の前に蓄音機のまわりで、アパムがシャンソンを訳して聞かせるところ。ああいうシーンは説明に堕してたりしないからいいんだな。

10月14日(水)曇のち雨

保育園の母の会主催、バザーで一日明け暮れる。
各家庭から供出された不要品や商売やってる人は自分とこの商品を委託で販売。9年もここの保育園に子どもを預けていて、バザーは実ははじめてなんだけど、お店屋さんごっこのノリで、楽しかったぞ。
今日の夕食はバザーで仕入れたおでんセットを鍋にいれただけだったしね。

10月13日(火)晴 夜は雨

◎へなちょこアパムの物語 その2

へなちょこで、臆病者で、ロマンチストで、正義漢のアパムは「降伏している敵兵をを撃つのは違法だ」と強く主張し、トム・ハンクスもしぶしぶそれを受け入れる。
 一命をひろったドイツ兵は(墓穴を掘らされながら、オーワタシ、アメリカ、ダイスキ、なんていうやつ)その後の廃墟での銃撃戦でよみがえり、アパムの仲間を刺し殺す。アパムは自分が腰抜けなばっかりに、銃弾を届けることができなくて殺された仲間のことを思って涙にくれるが、いかんせん本当に腰が抜けてしまって身動きできない。
なさけなくて、くやしくて、でも、怖くてこわくて、階段の途中でうずくまって、がたがたがたがた震えていることしかできない。敵が来る、敵が来る、階段を降りて来る。あああ、おれはきっと次の瞬間には殺される。撃たれる。死んでいる。怖い、こわい、怖い。
そんなアパムを、かのドイツ兵はみのがしてやる。これでおあいこだ。
そのおあいこの状態から一歩、進んで、アパムはついに銃を彼にむけてしまう。それも相手は両手をあげて降伏しているのにだ。アパムの絶望がどれだけ深いか、あのあと、アパムがどんなに自分を責めたか。それを思うと、とても哀しい。
戦争が人をかえてしまう。戦争は人を絶望させる。スピルバーグはちゃんと描いていると思うが、どうでしょうか? パンちゃん。
ですが、アパムはオマハ・ビーチの戦いには参戦していません。あの戦いがその後の彼らをどう変化させたかが描かれていないというのが、パンちゃんの意見でしたね。アパム以外の7人は映画を見たかぎりでは変化していないと、わたしも思う。すでに変化し終えていたのではないかな?
一番、変貌をとげ、一番、戦争はむなしいってことを観客に訴えたアパムは最初の戦闘シーンには出てこないのです。
やっぱり、あのシーンは<戦場の再現>そのものが目的だった。こんなにすごい映像を作り出すことができるんだぞっていう、スピルバーグのカツドウ屋の意地が撮った<絵もしくはカツドウ屋らしく写真>なんだ。わたしはそう思います。

余談ですが、わたしらが小学生くらいのころ、毎年、夏になると、東宝が戦争映画やってましたね。『山本五十六』や『日本海海戦』。まだ漢字だったころの日活も『戦争と人間』なんかを第三部くらいまで作って完結したはず。『二百三高地』なんかはもっとあとか……。
亡父はこのての日本の戦争映画を見るたびに「戦争なんてものは、あんなもんじゃあないんだ」って、その戦闘シーンがいかにちゃちで作り物っぽいか(だって戦艦なんかみんな怪獣映画みたいなプールに浮かべたおもちゃで撮ってるわけだし)、また日本映画に描かれる日本軍が陰湿すぎることなどをぶつぶつ言ってました。わたしはそれを聞いて育ったので、どんな映画なら「あんなもんじゃあな」くなるのか、見たかった。
さすがはハリウッド。従軍した人たちが「本当に、あのとおりだった」というような<絵もしくはカツドウ屋らしく写真>を撮るチカラがあるなんて。
ちなみに、世界史の教科書でノルマンディー上陸のところを見たら、映画そっくりの写真を発見して驚きました。遠くの沖の方にまで、いっぱい軍艦が浮かんでいる俯瞰の映像が一度だけ、出てきましたね。あれです。サンドイッチの直前だったかな。あの軍艦だって、ちっともおもちゃっぽくなかったし……。

余談その2。実は未見だった『シンドラーのリスト』を、この感想を書くにあたって借りて見ました。モノクロならば50年前の収容所を本物と寸分たがわぬところまで<絵もしくは写真>にできる。次は<色つきで戦場を再現>してやる。スピルバーグっつったってエンタテイナーですから、そういうヤマっ気もあったんだろうなあ、と思いまする。
    <おわり>

10月12日(月)晴

『プライベート・ライアン』を見てから、1週間。
映画館を出たらそれっきり、の映画と違って、ああでもない。こうでもないと思いはめぐる。パンちゃんの映画採点簿のほうもついに4ページめに突入。
以下、この採点簿に書きこむ予定の内容である。

★★★★☆
◎へなちょこアパムの物語

わたしがこの映画を見にいく前日に、不定期刊のハガキ通信を出している友人から感想が届いた。感想といっても、うまく考えがまとまらなかったらしく、もし自分があの場にいたら、どうしただろうという書きかたで……。「アパム伍長が一番自分に近い」とあったので、もう最初からあたしは、アパムは誰だ? どこにいる? と思いながら見ていった。
結果的にいって、これがよかった。へなちょこアパムがどういう経験をへて、最後にドイツ兵を撃つにいたるかを、ずっと追うことで、あたしの『……ライアン』鑑賞は成立していた。アパムの眼を借りてほとんどの行軍を経験していくと、とても物語がわかりやすくなって、あたしはとてもしあわせな観客だったと思う。
伍長といえば、のらくろだ。下っぱって感じだ。トム・ハンクスがドイツ語とフランス語ができるやつってことで、アパムに自分の部隊に配属だ、と告げる。アパムはうろたえて、しどろもどろになりながら
「自分は後方部隊の所属ばかりで、前線経験がありませんし……」という。実弾の飛んでくるような場所なんか、いやでいやでしかたないんだ。なんとかその任務からのがれたくてしょうがないが、ミラー大尉は相手にしない。
「いいから、荷物をまとめてついてこい」といわれたあとのあわてぶりも、さもありなんって感じでさ。重そうなタイプライター(通訳だから)をリュックに入れようとしてみたり、あっちこっちに、荷物をぶつけたあげくに、ドイツ軍の鉄かぶとをかぶってみたり……。おいおい、アパムよ。しっかりしてくれい。あたしはまるで応援団。
前に自分のホームぺージで『坊っちゃん』のうらなりみたいと書いたが、いつもうらなりを応援しながら『坊っちゃん』を読んだものさね。だめ男はかわいい。
さて、ついにアパムたち8人は、ライアン救出のための行軍を開始する。アパムは一番うしろを、ひょこひょことついていく。へなちょこで弱虫のくせに、随分おしゃべりな野郎で、兵士たちをつかまえては
「ねえ、きみの出身は?」なんて、寝ぼけたことを質問している。答えは
「撃たれたくなかったら、オレから離れろ!」質問された兵士はこころの中で(なんで、こんなやつがついてくるんだよう)って思ってんだな。
「そんなこと聞いてどうするんだ?」と誰かがいう。
アパムは自分は作家志望で戦時下の友情やこころの交流を書きたいんだ、みたいなことをぬかす。あたしは笑っちゃいそうだった。ここをどこだと思ってる? 生きるか死ぬかの戦場で、そんなもの、いったいどこにあるんだよ。おまえ、ほんとに青いよ。こりないアパムはハンクスに聞く。
「中隊長、ご出身は?」あたしの亡父はかつて陸上自衛隊の1尉で(大尉と同じ)中隊長をしてたので、部下7人で中隊かあ? などと思いながら、中隊長という響き(英語ではcaptain?って聞こえたが)を懐かしむ。
ミラー大尉は出身も経歴も明らかにしない。賞金がかかってるってんだ。
アパムにハンクスが「賞金が500ドルになったら教えよう。それをおまえと山分けだ」というところもいいな。
通信基地のところで、部隊がばらばらになりかけた時、ミラー大尉は突然
「賞金はいくらだ!」とみんなに聞く。そして自分が高校教師であったことを明かす。
まるで、浪花節的な展開だが、あたしはここが好きだ。なんか絶対に現実の戦場じゃあ、こういうシーンはないよなって思う。映画だからだよなって思う。だからいいんじゃないの、ってことなんだけど……。
      <つづく>

10月11日(日)晴

「かーちゃん、とーちゃんがうちの<真須美>とかっていっとるよ」
またか! と思う。あたしは亭主のこういういじめっこ体質がだいっ嫌い。憎しみを感じるぞ。
むかしからそうだ。むこうはあたしの短気で怒りっぽい性格を直してやるんだとかいって、鍛練のつもりだとかいってた。
前はこういうことをいわれるたびにカッカしてぶちきれたもんだが、あいつはこっちが怒るのを見てさらにバカにしたように笑う。
もう相手にしない。軽蔑するぜ。まったく人をバカにするにもほどがあるってんだ。

むかしの男からの頼まれもの。本の探偵だ。
あたしの専門分野にたよってこられると、もう何だってしてあげるって思うよね。
「今年の6月ごろの新刊で、中日新聞の一面の下欄の広告で見た。岩手、町長、減反」手がかりはこれだけ、版元も著者名もわからない。
最初は秋田の無明舎かな、と思って秋田に電話。違う。じゃあ地方小のホームページで探すが、ヒットしない。
つまりもっと大きな版元ってことだ。行きつけの本屋ファジーズガーデンでアラーキー文学全集先月分を買ったついでに日販の検索にかけてみる。
それらしいの、発見。
『希望のケルン 自治のなかに自治を求めた藤沢町の軌跡』ぎょうせい刊。町長はどうした? 減反も? ま、これは明日ぎょうせいに直接電話すりゃわかる。
男の住所あてに発送してもらおう。驚くかな。喜ぶだろうなって思うとわくわくする。そうしたら電話をちょうだいね。もうなんだってしてあげちゃう。

おまえももう少しあたしを尊敬したらどうなんだ>うちの亭主。

別の本屋(初めて入った店、感じよかった)で『シンドラーのリスト』新潮文庫。カレル・チャペックの犬の話、新潮文庫。雑誌「ペントハウス」荒木さんとたけしの対談めあて。

10月10日(土)曇ときどき晴

そういえば、昨日は美博の学芸員さん(本物ですってば、あたしは資格さえもってないニセモノですが)とも話すことができた。
岡崎市の職員として6人もいるんだって……。だから『アンダルシアの犬』のことをくわしく教えてくれた人はまた別にいるわけで、なんとかしてお近付きになりたいわん。
学芸員諸氏となかよくなるためにあたしはこう聞いてみた。
「友の会活動はやらないんですか?」
なんか、そのむかしの社会教育概論じゃなくって特殊講義で仕入れた用語だがね。
「いやあ、まだ準備中で、そこまではちょっと……」
準備中ってことは、いずれやるってことかいな。

借りてきた『シンドラーのリスト』を途中まで見る。
『プライベートライアン』のノルマンディー上陸の映像とそのあとのライアン救出作戦との関連がいろいろ論議されているが、あたしはあれ(=ノルマンディー再現)はスピルバーグのカツドウ屋の意地が撮らせたんじゃないかって気がするんだよね。詳細はまた、あとで。

10月9日(金)快晴

最高にいい天気。
市の保育園母の会連絡協議会主催の母の会々長研修会(なんじゃそりゃ)。ようするに市の施設見学なんだが、母の会の会長が出られないというので、かわりに行く。
それにしても、なんていい天気なんだ。眠くってねむくってたまんないや。9:20の集合から15:40の解散まで、リサイクルプラザ、美術博物館で展示をみてレストランで昼食、新設の老人介護支援センター、最後に八丁味噌。歴史と伝統の味噌蔵にはじめて入ったよ。
バスで移動する間、ひまだから携帯でメール送って遊ぶ。生徒のメル友も4人に増えた。

そういえば、こないだ一眠りして眼をさまし、たしかガソリンスタンドで夜勤のバイトをしてるときいた生徒にメール送ったら
「暇で、ひまで困っとるんだわ。来ない?」なんて返事のメールでいわれて、ガソリンもEに近かったので、行ってきたのだった。夜明け前の4時だった。コンビニでホットコーヒーを買ってさ。差し入れしたのさ。
たった5円で全角64文字も送れるんですよ。ひまつぶしになるよ。しかしなあ、こういう携帯の文字メールって、はやりだしたのは、まだ今年になってからじゃないか? それにしてもすごい普及率なんだわ=生徒諸君。
だから漢字の読み書きがあんまりできない子はあいかわらず、授業中に直接、電話に出たりするが、漢字で短文が作れる子なら、たあいない会話はとりあえずメールにしてスマートに行こうとしているような……ひいきめに見過ぎかも。
でもね、先生たちは文字が送れるなんて全然ご存知なくて、世代間ギャップがすごい。
でも、あれか、ポケベル時代からの数字暗号解読したり、ポケベル全盛期にはカナ17字でコミュニケーションとってたりという蓄積があるわけだからな。わしらの世代には完全に欠落した経験。
あたしもIDOユーザーを見つけると「番号教えて……」っていうんだけど「おまえなんかに教えられるかよ」っていわれたらおしまいだなって思うよ。

10月8日(木)快晴

うしろの黒板通信。第5号。なんか映画の話題が続く。「続き待ってまーす」なんて書かれると調子にのるよね。
で、『プライベートライアン』の感想をそろそろ書いてみよう。
あたしが見に行く前日にY田さんから、はがきが来て『……ライアン』の感想というか、印象を読んだ。Y田さんも感想はうまく書けないとの由。でも、もし自分があの場にいたならアパム伍長がもっとも自分に近い……、と。
アパム、アパム、どいつがアパムだ? そう思って見るから、アパムは主役級の意味をもってあたしに迫る。へなちょこアパム、弱虫アパム、役立たずのアパムが非情な戦場にあって、いかにして戦士になっていくか、それを見てもいい。
アパムは作家志望のへなちょこだった。戦場における友情についての本を書きたいという夢がある。でもそんなもの=戦時下の友情なんて存在するか! あきれたぜって顔で兵士たちがアパムを見る時、あたしも一緒に「あほか! おまえは」と思う。でも、なんだか一番だめなやつが一番かわいいのだよ。
『ディア・ハンター』のクリストファー・ウォーケンみたいな長身の白人で銃の腕が一番いいやつとか、ライアン救出部隊の8人はそれぞれ個性的。ま、そんなことは計算のうちだわな。
アパムは『坊っちゃん』のうらなりだ。もちろん坊っちゃんはトム・ハンクス(をいをい、うそだろ)。ノルマンディーで大活躍。その有能な上官であるトム・ハンクスは出身も経歴も一切が謎に包まれていた。そんなこと知らない無邪気なアパムは
「中隊長、ご出身は?」と聞く。
返事は「賞金が500ドルになったら、うちあけよう」
トム・ハンクスがついに過去を語りはじめる時、物語は大きく進展する。
戦時下の友情かどうかはわからんが、兵士たちのこころが通じあう(ような気がする)場面。戦死者から生き残った者へ次々に手渡されていく手紙。スピルバーグが何を訴えようとして、この映画をつくったか。本当のことはようわからんが、こういう小さいエピソードも手がかりになるはず。
件の<戦場の再現>も活動屋として、どうしても作り出したかったことの一つなんだろうけどな。

10月7日(水)雨

むかしの男は
むかしとおんなじやり方で
あたしを抱く
ああ
この背中のさらさらした感じ
忘れていた触覚がよみがえる
バンクーバーで女を買ったって
うつ病で死にかけたって
そうか、そういうことも、ああいうことも
いろんなことがあったんだね
むかしの男は今あらわれても
やっぱりむかしの男でしかなくて

次のシリーズはこれか。下書き。
ついに『うそつき日記』完結ってか! ほんとかよ。

10月6日(火)晴

『プライベートライアン』を見る。
リアルな戦争の再現。戦闘シーンなんてもんじゃなくて<戦場>を再現するために、どんな方法でやったんだろう? とまず不思議に思っちゃうんだな。
腹から飛び出た臓物、ちぎれた右腕、銃弾が貫通する身体。
銃声と同時に爆発する火薬をリモコンで制御したり、血糊をつくるゼリーなんか、そりゃあ、今じゃあ何だっていくらでもあるんだろうが、だが、しかしだ。
御園座とかでちゃんばらを見ていると、斬られた侍は、とっとっとっと腹を押さえる仕草をしながら舞台の袖に上手に消える。主役が見栄を切る場面では、死体はきれいに片付いている。そういう作り事のお約束だから安心して見ていられる。ちゃんばらはちゃんばらとして。
戦場ってあんななのかな、本当はもっとすごいんだろうな。ああ、でも、あれは作り物です。だって第二次大戦の戦場はモノクロのはず、カラーだなんて、ねえ。
内容についての感想なんて、整理しないとすぐにはいえない。まず採点簿のみなさんのご意見をどうぞ。

10月5日(月)快晴

もっと前に書こうと思っていて、書き忘れていた。そうだよ。キンモクセイはさすがだな。
彼岸すぎだというのに、こんな陽気が続いている。今年は気候がおかしいとみんながいう。でもちゃんと10月になれば、キンモクセイは匂う。
昨日あったM子さんに、もしそれをいえば「まだ、覚えているの?」と笑われただろう。
そうだよ、まだ覚えているよ。きっとずっと忘れないよ。S木さんのことはすでに過去のことではあるのだが、思い出すのは自由。こころのなかは自由。

鰯雲人に告ぐべきことならず  はたぶんわたしが知っている俳句のなかのベスト1だ。ものいえば唇寒し秋の風ってのを誰がよんだかしらんが、人にいうべきことじゃないことってあまりにも多いよな。
授業中にまたビデオ。楽してますな、奥さん。『HANAーBI』。あんまりぼかすかと人がなぐられ、ばんばんと人が殺されるのでN山さんがいやになって部屋を出ていってしまった。むむむ、映画の中の暴力には寛容になっている自分。いいのか、これで。

10月4日(日)快晴

朝から豊橋まで出張だあ。
定時制・通信制教育50周年記念/第38回愛知県定時制通信制生徒生活体験発表会。ふううーっ、長いぜ。これにうちのクラスのY佳ちゃんが出るというので、担任で生徒会顧問のみさきがついて行きましたとさ。
24人の発表者のうち、わたしくらいの世代の生徒の多いこと。そりゃあ、年配者の方が高得点がねらえるということもあるが、若者には語るものがなかったりもするしなあ。
だが、しかし、いかにも先生が指導しましたって感じの、まるで「青年の主張」のような、芝居がかった、いやみな抑揚をつけた、体験発表でございますそうろう口調は、いかがなものか? 聴衆役の生徒さんみたいに、げらげら声をあげて笑ったりはしないものの、聞いててうんざりしてしまう。やってる生徒さんは不自然だと思わないんだろうか?

豊橋にはM子さんがいるなあ、って思いついて突然でわるいが、電話で呼び出して昼の休憩時にお茶飲んだ。はあっ、昨日のうちに電話しとけってば>わし。
「最近って、できちゃった婚が多いって話したよねえ」
「したした」
「でもねえ、この頃のできちゃった婚するような女の子のおかあさんっていうのがさあ、わたしたちの母親とは違って、若いし、クルマにも乗れるし、孫ができても、なんでもやれちゃうんだよねえ」
「そうだよう、みんな、あたしらくらいの年で孫ができるんだよう。おろしたりしないで産みなさい。わたしが面倒みるからっていうんだから……」

10月3日(土)快晴

後ろの黒板通信。んんんー、進展あるよな、ないよな。
「給食いいなあ、食べたーい」とか「freeのところは何書いてもいいよ。今日の出来事とか、書いてみれば……」とか。
そうだ、高校の後輩で現役理学部生のA野くんにも、メール出しておこうっと。
まあ、なんでもありってことで、『City Of Angels』について書いてみました。でも、ホント誰が読むんだろう? 生徒が書いてると思うだろうか? まさか担任が率先して書いてるなんて思わないよねえ。いい大人がさ……。

10月2日(金)ひさしぶりの快晴

となりの小学校へ借りていた玉入れの道具をやっと返しにいく。夕方の校庭は部活なんぞをやっていてにぎやかだ。小さいうちから、ご苦労さんなこってす。小学校の部活って自由参加だけど、やる子は○で、やらない子(うちのムスメたちとか……)はやる気のない×な子ってみられてないか?

昨日の後ろの黒板通信のその後、書かれたメッセージはすべてきれいにぬぐいさられ、そのかわり、今まで黒板の中央に<全日/定時>の境界線が引かれていたのに、真ん中に<free>スペースが出現していた。がははー。
おまけによくよく見たら、今まであたしのきったない字で書いてあった時間割がきれいに書き直してあるじゃないか! わーい。
「じゃあ、とりあえず、ここで(定時のスペース)日記を連載しよう」
「ほんで、感想はここ(freeスペース)に書いてもらう、と……」
「メールアドレスも書いとけば……」っていったのは正成だったかなあ。
「まあ、ほんとに、いつまでたっても、わっかいつもりでおらっせるのん」と、またH田。
「気分はまんだ、女子高生だら?」
「ほだほだ、高校の制服着た写真見ます?」
「ほんなもん、見たくないわ。気持ち悪い」ちゃんちゃん。
H田が聞こえるか聞こえないかくらいの微妙な声でいった「ほいで、そういうことして、何になるわけ?」というセリフ、聞こえないふりをしていたが、ちゃんと聞こえていたのであった。

10月1日(木)またも雨 すごい蒸し暑さ

10月の壁紙に変えただけです。今日の出来事はまた夜に更新します。といいながら、あー、眠くってたまらず、更新さぼりましてごめんなさい。

教室へいったら、昼間の住民たる1年1組からのメッセージが後ろの黒板に書かれていた。
優勝カップと額入の賞状をかざっておいたからなんだけど。
「4年生のみなさん。優勝おめでとう。やったね! うちらは……。」
まあ、なんてかわいいことを書いてくれるんでしょうか?
「ねえねえ、誰か写真機もってなあい?」ここでついついカメラといわず<写真機>っていっちゃうんだな=わし。
「どうするだん?」
「記念に写しとくじゃん。だって、こんなこと書かれたのはじめてじゃん」
「いやあ、こういうものは、消えてしまうからこそ、はかなくていいんじゃあ?」とH田。
「ま、いっか」と、写真はあきらめたが、お礼のメッセージは書きましたさ。
さて、反応は……。



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