IV章

 サラと予言者はジャキを残し、そしらぬふりをしてジール宮殿に戻った。サラは、予言者と打ち合わせた末に計画を実行することにした。
 呼び出すには、今は人のいない海底神殿が好都合だった。今日は建設作業は休みなのを確認している。そしてジール女王の予定のない時間帯も把握していた。
「母上、海底神殿に見ていただきたいものがあるのを見つけました。ぜひいらしてほしいのです」
「見てほしいものとはなんじゃ」
「ラヴォス神の石です。このペンダントに近いものを感じるのです。以前神殿に行ったときに見つけました」
「ふむ。ラヴォス神のな。しかしそう珍しくもあるまい」
「魔神器の原料である赤い石はそう多くは発掘できませんが、わたしが見つけた石は、量産できるほどの数がありました。あれを使えば、ジールはさらに安定した国になるでしょう。例えば、その石を薪代わりにもできますし、しかもそのともしびは絶えることがありません。ラヴォス神の炎の力は永遠に続くようです」
「ふむ、では見てみようかの」
「はい。では今日の午後、お待ちしております」
 サラは踵を返し、女王の間を後にした。サラは、心苦しいものを感じたがあえてそれを噛みつぶした。

 サラと予言者は女王がいない間に海底神殿へ入り、準備を整えていた。海底神殿は八割方完成していた。あとは魔神器の祭壇を移すのみといったところだ。この建築様式はサラの父が健在だったころに利用していた太陽神殿のそれと酷似している。太陽神殿では太陽の光をエネルギー源として開発していた。
「クロノたちはどうしたかしら……」
 ぽつりとサラがつぶやく。
「あなたは連中とは懇意だったようですな」
「ええ。マールはわたしとおなじペンダントを持っていました。彼らが未来から来たというのなら、もしかしたら、彼女のペンダントは本当にわたしのものが後生に伝わったものなのかも知れないですね」
「連中はしぶとい。やつらのことを案ずるのは時間の無駄というものです」
「きっと、彼らはボッシュを助けてくれることでしょう」
 話していると、ジールが来たらしく、予言者がとっさに闇の中に消えた。
「早いな、サラ。して、石とやらはどこじゃ」
「はい、こちらです」
 ジールはひとりだった。しかし安心はできない。もちろんラヴォスの石などというのはでたらめだった。歩いているうちに予言者が隙をぬってジールを討つ予定になっている。サラは他愛のない話をして時間を稼いだ。
 そのとき、上空から炎がジールめがけて襲って来た。しかしジールは待ち構えていたように防いでみせる。炎はあとかたもなく消えた。
「愚かなやつらよ。おまえらの計画など筒抜けじゃ。そもそもジャキを連れて来なんだ予言者はクロに決まっておるわ。サラは予言者の犬じゃしの」
 となりのサラに冷たい瞳を向ける。ジールが合図をするとどこからか何十人の兵が現れ、サラを拘束した。
「予言者よ。聞こえておるじゃろう。サラの命が惜しくばおとなしく出て来るがいい」
「予言者殿! 早く、早く女王を!」
 叫んで抵抗するサラの顔を兵士のひとりが殴打した。ジール王国ではジャキに次いで魔力の強い彼女とはいえ、力を発現させるには時間が必要だ。力を使えぬ彼女は普通の少女と変わらない。じんわりと痛みが広がった。
「我が娘といえど手加減はせぬぞ。わらわとて自分の命のほうが惜しいからな。おまえの愛するこのサラの顔が目も当てられぬようになる前に、出てまいったほうがいいぞ、予言者よ」
 突如、予言者の術と思しき暗黒の穴が空間に開く。兵士のほとんどは絶叫とともにその中に吸い込まれていった。その隙に現れた予言者はサラを拘束していた兵士を討ち、彼女を奪還した。だがそれでもジールは余裕の笑みを絶やさない。
「海底神殿に呼び出したのは誤りだったな。わらわはここでラヴォス神の力を借りることができる」
 全身からラヴォス・エネルギーを取りこんだジールは、目に見えない糸のようなものでサラと予言者の動きを拘束した。緩慢に痛みが襲って来る。
「サラ! おまえが魔神器を動かすことができなければ、おまえをこの場で殺していたのだぞ。おまえは魔神器のために利用しているも同然。二度とわらわに歯向かうでない。次は本当に命はないと思え」
 情けのないジールの言葉に、サラは、ただうなずくしかなかった。
 もう終わりだ、という絶望感がサラの中にこみ上げるのだった。

──

「姉上……?」
 風雪吹き荒れる地にひとりいたジャキは、人影を見た。姉が戻って来たのかと思い顔を出すと、突然拉致されるかのように体を引きずられた。
「ジャキさま! こんなところにおいででしたか。さあ、宮殿へ戻りましょう」
 ジャキを探しに来た捜索隊の面々のようだった。ジャキは、彼らにサラの安否を尋ねたが、答えはない。ジャキは強い魔力を持ちながらそれを押し込めた厄介者として宮殿のものに厄介視されていた。天上では力こそが権力の象徴のため、力を嫌うジャキは王族でありながらも好ましく思われていない。また、自分が力を封じたせいで姉が魔神器の操作でつらい思いをしていることも悪循環となっていた。力のせいで姉や母が苦しみ、力を封じたが、逆にその力を封じたせいで、姉をさらに苦しめる結果になるのがジャキはいやだった。
 ジャキは、サラの無事を心から祈った。黒い風の泣き声が、ジャキの耳をつんざく。

 宮殿へ戻ると、予言者は投獄され、サラは自由を奪われたという。サラは常に監視され、ジールの命令無しでは『おやすみの間』から出ることすらゆるされていなかった。そして彼女の美しい顔にはところどころ痛々しいあざがあり、紫に腫れ上がっていた。ジャキは、そんな姉を見ると泣きそうになってしまう。
「ボクにもっと力があれば、姉上にこんな思いをさせなくて済んだんだよ。ボクが、あいつを倒していれば……」
「だめよ……あなたまで力を持つ必要はないわ。力のせいで戦が起きたり、憎んだりして……。あなたが王になっても、どうか力におぼれるようにはならないで」
「でも、姉上にこんなことするやつはゆるせない! あいつだろ、ジールがやったんだろ!」
「ジャキ……」
「ボクがあいつに復讐してやる。この手で!」
「待ちなさい、ジャキ!」
 サラの静止も聞かずにジャキは部屋を飛び出した。

 女王の間に乗り込んだジャキの姿を見て、ジールは笑みを浮かべた。
「どうして姉上にあんなことをしたんだ!」
「サラはわらわを殺そうとしたのだぞ。生かしているだけましではないか」
「あんたの子どもじゃないか! 姉上の感じている苦しみ、あんたはわかってるのか!?」
「知ったことではないわ。サラは使えぬ。そこでおまえに魔神器を動かしてほしいのじゃ」
「いやだね」
「ふむ。おまえが魔神器を動かすというのなら、サラの謹慎を解いてもよいと思うのだが。もちろん断れば、サラは変わらぬまま、軟禁状態だがな」
 ジャキは黙ってしまった。また姉を人質にする気か、とくちびるを噛んだ。
 結局のところジャキがサラの代わりに魔神器を使うということになった。サラは反対したが、サラのことを案じた結果だった。
「ボクは男だから姉上を守るんだ」
 とジャキは強がってみせる。
 しかし、力だけならサラ以上だが、ジャキは力や感情を制御する術を知らない。ジャキはその点でまだまだ姉に遠く及ばないのだった。

 魔神器の前に立つのはジャキに取っては初めてのことだった。三賢者のうちのふたり、時の賢者ハッシュと理の賢者ガッシュをはじめとする多くのものたちが見守る中、ジャキは魔神器に触れる。しかしジャキが想像していたよりも魔神器の力はすさまじく、少し気を抜いたら命ごと力を吸い取られてしまいそうな、そんな恐ろしい装置だった。毎日サラはこんなことをしていたのか、とジャキは改めて姉の労苦を思い知った。
「さあ、ジャキ、やってみせるのじゃ」
 ジールが合図する。ジャキは呼吸を整え、手を魔神器にかざした。魔神器に流れるラヴォスの力がジャキの体に伝わってくるのを感じた。ラヴォスの力は熱く、体の中が焼けつくようであった。これを制御しなきゃ、とジャキは考えるが、思うように力をコントロールすることができなかった。熱の力がジャキのちいさな体の中を所せましと駆けめぐっていく。
「まだこんなものでは制御できんぞ」
 ジールはジャキに発破をかけた。だが、ジャキの能力では暴れ馬のようなラヴォスのエネルギーを制御できない。魔神器にジャキの力が吸われていく。長き眠りについていたラヴォスは力を欲していた。ジャキの若いあくなきエネルギーを吸い取ったその強大な力によって、ラヴォスは海底神殿の完成を前にして活性化してしまった。轟音があたりに鳴り響く。
「なんじゃ!?」
「ラヴォスが復活すると言うのか……!」
 理の賢者ガッシュがつぶやき、皆のあいだに緊張が走った。その後すぐに宮殿を中心に地震が起き、立っていられない程に揺れが大きくなって来る。
 魔神器は激しく火花を放ち、海底に眠るラヴォスを活性化させた。ジャキは恐怖のあまり震え出す。
「海底神殿はまだ完成しておらぬというに……!」
 ジールは舌打ちした。
「ジャキ! ここでラヴォス神を復活させるわけにはいかん。ラヴォス神を鎮めよ!」
 だがジャキはジールの言うことなど耳に入っていない様子だった。うわごとのように姉を呼んでいる。
「姉上……姉上……!」
 パニックに陥ったジャキは使い物にならないと判断したジールは自ら魔神器の前に立った。海底神殿はラヴォスの力を最大限に引き出す構造になっていた。海底神殿でラヴォス・エネルギーを全て引き出さなければ、ジールの求める永遠の命は得られない。
 魔神器のエネルギーは暴走していた。ジールはあるだけの魔力を発現させて魔神器から流れでるラヴォス・エネルギーを止めようとしたが、サラやジャキに劣るジールの力では魔神器への効果はさほどない。
「皆のもの、魔力の壁を作れ! すれば王国への被害は少ない!」
 時の賢者ハッシュの声で従者たちも加わるが、ラヴォスの力は、まだ不完全とはいえかなりのものだった。一部のものは強大な魔力に倒れていく。
 もはやなすすべもないジャキは心の中で必死に姉を呼んでいた。

「サラさま!」
『おやすみの間』に現れた人物はなつかしい命の賢者ボッシュだった。いつかクロノたちに彼を助けてくれと頼んだが、クロノたちがやってくれたのか、とサラはうれしくなった。
「ああ、なつかしい、ボッシュ……。このエネルギー、まさか、ラヴォスが……?」
「そのようです。もはや一刻の猶予もなりません。魔神器の祭壇へ向かいましょう!」
『おやすみの間』を出ると、地震と吹き荒れるラヴォス・エネルギーにより、宮殿はパニック状態だった。そのためだれもサラが抜け出したことに気づいていない。サラは、とらえられていた予言者のことを思い出した。今なら混乱に乗じて彼を助けられるかも知れない。
「ボッシュ、わたしはある人を助けにいきますので、先に向かっていて」
 予言者を助けることを選んだのは、王女として無責任かも知れなかった。しかし、サラはひとりの女として彼を見捨てるわけにはいかなかった。
 牢獄へつくと、クロノたちがかつて捕まったそれとおなじような牢に予言者は入れられていた。彼の象徴でもあったヴェールはない。サラは急いで牢から予言者を開放し、事情を説明した。
「急いでください! ジャキが、この国が亡びるかも知れないの!」
 予言者の目的はラヴォスを倒すことだということは知っていたが、サラは予言者にこういう言い方しかできなかった。予言者は無言でうなずいた。
 ボッシュに合流する前に、サラは全身を深く覆うヴェールのない予言者の、腰のアミュレットに気がついた。それは、以前サラがジャキにあげたものとおなじものであった。サラは一瞬ある考えが浮かんだが、ボッシュと合流し、それは隅に追いやられた。改めて三人は女王の間へ急ぐ。ラヴォスのエネルギーは近づくたびに強くなっていった。
「ボッシュ、あなたを助けたのはクロノという赤い髪の少年たちではありませんでしたか?」
 魔神器の祭壇へ向かう途中にサラはボッシュに尋ねた。
「左様です。彼らには宮殿の外に待機してもらっています。何かがあればすぐに駆けつけてくれるでしょう。それに、彼らはガッシュの作ったタイムマシンでここまでやってきたのですよ」
「まあ……。それは、心強い」
 サラはクロノたちが無事で一安心した。しかし、いくつかある心配ごとがひとつ消えただけのことだった。
 魔神器の置かれてある祭壇を通ると、強風のようなラヴォス・エネルギーが場を満たしていた。気を抜くと飛ばされそうな力である。サラは足を踏んばって近づき、ジャキの名を呼ぶ。するとジャキは振り返ってうれしそうな顔をした。
「姉上……」
 しかしサラが抑えきれないほどラヴォスの力は高まりつつあった。魔神器ごしではない、ラヴォスそのものの力がそこにはあった。サラは長い間魔神器を調節してきたが、生のラヴォスの力を肌で感じ、ラヴォスに対して揺るぎない恐怖を抱きその身を震わせるのだった。ラヴォスの力がここまで恐ろしいものだとは。
 そのとき、海底から一条の光が伸びる。その光は天と地の大陸を焼き尽くす恐怖の光だった。


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