III章

 ジールの言いつけどおりサラはクロノたちを罠にかけ、クロノたちはとらえられた。ひとけのないその場所へ、サラとジャキが急いだ様子でやってくる。サラは自らの罪の意識に耐えかね、クロノたちを助けにやってきたのだった。
「助ける必要なんてないのに……」
 ジャキは不服そうな表情をしている。
「ごめんなさい……」
 クロノたちの力を奪う牢代わりの装置を解除するサラのほほに涙が伝った。クロノたちは自由になると、サラに礼を言った。
「もう泣かないでよ、気にしてないから……」
 助けられたマールがサラをなぐさめた。
「ありがとう。でも、わたしたちには猶予はありません。なげきの山に幽閉されている、命の賢者ボッシュをあなたがたで助けていただきたいのです。彼の力があれば、ラヴォスの完全な復活を阻止できるかも知れません。おねがいします、わたしではなげきの山まで行くことはかないません……」
「もちろん行くよ! 助けられたお礼があるもん!」
 とマールは胸を張って答える。クロノとカエルもそろってうなずく。
「残念ですがそうさせるわけにはまいりませんな」
「予言者殿……」
 背後から声が聞こえ、まるで闇から現れたかのように、ヴェールをかぶった予言者がサラたちの前に現れた。やはり、彼はクロノたちの敵なのだ。
「ここで始末をつけようとも思うところだが、ここはサラ姫に免じて見逃してやろう。しかし、二度とこの国に足を踏み入れられないように、おまえたちが来たゲートへ案内してもらおうか」
「どうしてゲートのことを知ってるんだ!?」
「私は予言者だ。その程度のこと」
「ゲートの場所を教えるだなんてそんなこと、できるわけがないだろ!」
「ほう、それではまたその牢の中に入ってもらうしかないな」
 牢もラヴォスの力を借りたものだった。端から見るとホルマリン溶液の試験管のような牢だった。
「それもいやだと言うのなら、死んでもらうことになる」
 ヴェールで隠された予言者の慈悲のない瞳がぎらついたように見えた。
「サラ、こやつらを連行するのです」
 予言者の命令にサラは答えなかった。両方のたいせつの人のあいだで彼女の心は揺れていた。
 煮え切らないサラとクロノたちを見兼ねた予言者は、最終手段を取ることにした。予言者のたくましい腕が、サラの華奢な首にのびる。サラははっと息を飲んだ。サラの足が地面からわずかに浮き上がる。
「姉上!」
 予言者に首を絞められるかたちとなった姉を見て、ジャキが悲愴な声をあげる。
『こんな手段は取りたくありませんが、おゆるしを』
 という予言者のささやきがサラの耳もとに届く。
「サラ姫の命が惜しければゲートの場所まで案内するんだな」
「やめろ、姉上に手を出すなっ!」
 だれよりも先にジャキが立ち向かった。サラを超える魔力を持ち合わせるジャキの魔力はジール随一と言われる。ジャキの、サラからもらったアミュレットがパチパチ音を立て、今にもジャキの力が予言者に牙を剥きそうであった。しかし予言者は簡単にジャキをあしらう。予言者が手を振って印を組むと、ジャキは、奥へ吹き飛ばされてしまう。
「ジャキ!」
「おまえたちもああなりたくなければ私の言うことに従うがいい」
「……わかった、教えるよ」
 ついに観念したクロノが口を開いた。予言者がほくそ笑むのをサラは見た。

 一同は地へ降り、クロノたちの通って来たゲートは、クロノたちを通したあと予言者の命でサラによって封印された。サラの表情は硬い。
「ジャキは……だいじょうぶかしら……」
「手加減はしておきました。あとは宮殿のものが世話してくれることでしょう」
「どうしてわたしを人質に?」
 サラはそれがわからないわけではなかった。予言者の目的はラヴォスを倒すこと。そのためならばなんでもするだろう。しかし、予言者の口から直接理由を聞きたかったのだ。
「あの場では致し方がなかった。あのような手段を取らざるを得なかったのは申し訳ありません」
「やはりラヴォスを倒すためなら、あなたは手段を選ばないのですね」
「……そうでしょうな。こんな私をあなたはどう思われますか」
「あなたはそういう方だと思っておりました。ひとつの目的のためなら何を失ってもよい……。そういうところにわたしは強く惹かれたのですから」
 予言者の表情が変わったような気がした。
「サラ、あなたが私を非道と思うのは構いません。だが、これだけはわかっておいてほしいのです。私は、あなたを危険な目には合わせることはしないだろう」
 サラはそう言う予言者の気持ちをはかりかねていた。
「そう言っていただけるのは、うれしいのです……、予言者殿。でも、わたしは……」
 もどかしいこの身が張り裂けそうだった。予言者への想い。正気を失った母。母を狂わせた魔性の力。力を持ちすぎた幼い弟。やっとできたともだち。純朴すぎる地の民。冷たい仮面をかぶった光の民。亡くなった父。それらがサラの中でぐるぐると回り、サラを苦しめていた。
「わたしはもう……限界なの。もう魔神器を使うのはいやだし、あんな母上を見るのもいや。わたしはどうすればいいのかわからないわ。光の民はわたしが魔神器を動かしてラヴォスの力を得るのを期待している。でも、そんなことはしたくない。予言者殿……わたしはどうすればいいの……?」
 心のどこかに、『あんな人でない王国は亡びてしまえばいい』という気持ちがあった。だからサラは、国を亡ぼすかも知れない力を持つ魔神器を、今まで操り続けていたのかも知れない。だが、母が元に戻る日を信じていたということは真実だった。
「もはやジールはこの代で終わるだろう。女王は以前のような姿には戻らずに」
 淡々と予言者は語る。
「それも、予言?」
 予言者は首を横に振る。
「たがの外れた樽は戻らないように、心のたがが外れた女王はもう戻ることはないだろうという推測です」
 サラはうつむいた。予言者は続ける。
「ゆえに私は、心を決めた。私は、ジールを討つ決意をしたのです」
 その唐突な予言者の発言にサラが呆然とする。予言者はさらに言った。
「私の目的はラヴォスを倒すこと。しかし、ラヴォスを利用しようとする女王の存在は私にとって好ましくはない。そして、あなたのために、私はジールを討とうと計画しました」
「たしかに、それは理にかなっております。けれど……」
 サラにとって女王は実の母だ。どんなにラヴォスに心を奪われ、本来の自分を見失ってしまっても、それは変わることはない。やさしかった母を知っているから、今の母を討つのは本来の母の存在を否定することのような気がしていた。父が亡くなったときも、サラは母のそばにいて、だれよりも彼女の苦悩を知っていた。だからサラはジールが魔神器を使えと命じたときも逆らわず従って来た。母が大好きだったからだ。サラには母を憎もうとしても、完全に憎むことはできないでいた。そんなサラのことを人は「やさしい」というのだろうか。
「考えさせてください……今日は」
 うつむくサラを見つめる予言者の瞳があった。

 予言者はジール宮殿へ戻ったが、サラは地の民の洞窟で一晩を過ごすことにした。ジャキはどうしているのか、クロノたちはどうなったのか、光の民は、予言者は……。サラの心が休まるときはなかった。
 朝になり目覚めると、ダルトンが来ているという。サラはため息をついた。ダルトンは厄介の種を片端から植えるような性格をしていた。ダルトン自身が厄介ごとの元凶と言ってもいい。
 洞窟の一室の外に出ると、ダルトンが一悶着を起こしているところだった。どうやらダルトンが、鉢から植えかえたあの不思議な苗木を邪魔に思い踏みつけたようだ。苗は見る影もない。
「これはサラさまが下さったわしらの希望だったんだ! それをあんたはグシャグシャに踏みつけた!」
「そんなことはオレの知ったことかよ。大体、力も何もないてめえらに希望なんぞねえんだよ!」
 激昂したダルトンは怒りにまかせてさらに苗を踏みつけた。地の民の一同はダルトンに今にも襲いかかりそうな表情でねめつけている。それでもなおダルトンは余裕の表情で、現れたサラを見た。
「これはお姫さま。女王からの命ですぐにあなたを連れ出して来いとのことです。それにしても、地の民にこんな入れ知恵をしたのは姫さまでしょう? 困るんですよね。地の民が天上に攻め込んで来たらどうしてくれるんですかい、ったく」
「それは空想の話ではないでしょう。あなたはこんな生活を強いられている彼らのことを考えたことがあるの? そんな気持ちを思えば、ジールに攻めて来るのも当たり前の話だわ」
 サラらしからぬ、やや冷酷な声色でダルトンに言い放った。
「まあ、そうなったとしても、姫さま方は永遠の命とやらを手に入れてるんでしょうから、関係ないんでしょうな」
 ダルトンのその言葉はサラには痛烈な皮肉だった。サラはくちびるを噛んだ。
「長老さまが言ったように、この苗は地の民のみなさんの希望だったのです。あなたはそれを無にしました。それなりの報いをしていただかなければなりません」
「姫さま、ジールを出りゃああんたは単なる娘っ子だ。オレにそんなことを言う権限もないのさ。あんたはただジールにくっついてればいいだけだ。さあ、来な。あんたを連れてかなきゃオレが減給なんだ」
「話をそらさないで! あなたが踏んだ苗は珍しい苗だったのです。もしかしたら世界にいくつもないものかも知れなかった。その価値を考えなさい、ダルトン」
「ふん、そうかよ。金がほしいんだな、姫さまは」
 と言って金の入った袋を地面に放り投げた。サラは、黙ってそれを取り上げて中を確認し、袋をダルトンに突き付ける。
「ここではジールのお金は使えません。地の民のみなさんは金銭を使用していないからです。ですから、あなたには食糧、毛布などの調度品を、あの苗とつり合う、とみなさんがおっしゃるくらい負担していただきたいのです。わたしがジールで買ってくるとしても、このお金で購入できる物品ではまだ希望を失ったみなさんの気持ちとつり合わないでしょう」
「……この女!」
 業を煮やしたダルトンは力に訴えることにした。サラを炎の魔法が襲うが、彼女の魔力のほうがダルトンよりも上手だった。サラは、ジール女王をも超えると言われる魔力を解放し、ダルトンの魔法を氷の魔法で相殺した。地の民の子どもの叫ぶ悲鳴を聞き、サラはすこし力を弱めた。ダルトンはかなわぬと思ったのか、いったん引き上げた。
 地の民の子どもは見るも無惨な姿になった苗を見下ろしていた。その子どもと苗の姿を見たサラの心は痛むのだった。それこそ物品と変えられるものだったらどんなによかったことだろう。
「今度は、ふつうの苗を持って来ることにするわね。みんなでだいじに育ててちょうだい」
 そう言うと、子どもはすこしうれしそうな表情をした。

 宮殿に戻ると、案の定ジールに叱責を受けた。無断で宮殿を出、あげくの果てにはダルトンともめごとを起こすなど、もってのほかであった。それに加えて、ひんぱんに地の民の洞窟に出入りし、地の民にさまざまな贈り物をしていたことが女王の耳に入り、サラは完全にこの宮殿から出られぬようになってしまった。
 サラの胸にはさまざまなことが去来していたが、今最も彼女の心を支配していたのは予言者だった。予言者がジールを討つと言っていたこと。それはいつのことなのだろうか。今すぐ予言者に会って尋ねたい。
「姉上、具合が悪いの? だいじょうぶ? 医者のものを呼ぶ?」
 部屋のベッドに倒れこんでいるとジャキの声がした。
「ううん……。考えごとをしているだけ」
「姉上、近頃元気がないよ」
「うん……、それより、ジャキはもうだいじょうぶなの?」
「ボクは平気。それにしてもあの予言者のやつ、信じられないな。姉上にあんなことをするなんて!」
「あのときはしょうがなかったのよ。それにクロノたちを逃がそうとしたわたしは本来罪に問われておかしくないのだし」
「だからって、姉上はあんな目にあってまだあいつのこと信じる気なの? ダメだ! 正気になってよ、姉上!」
「わたしもどうしてだかわからない……」
 サラはぽつりとこぼした。

 魔神器のことで女王に謁見する予定が入っていたサラは、女王の間へ入ろうとした。扉の奥から予言者の声がしたのでのぞいてみると、ジールと予言者が何かを話していた。サラは聞き耳を立てる。
「サラは使えなくなって来ておる。おまえにほだされたのかの」
 母の声だった。
「いえ」
「地の民どもにうつつを抜かし、あげくの果てには色気づいて本来の役目である魔神器の調節を忘れおっているわ。魔神器を動かせなければあのような娘は用はない。とうに勘当しておる」
 ジールは少し考えて、
「サラが使えぬのなら、ジャキが代わりがきくかも知れんな」
 とほくそ笑んだ。サラは、それを聞いて愕然とするのだった。そこを女王の間を出た予言者に出くわす。
「聞いていましたか」
「ええ……」
「これでわかったでしょう。ジールはあなたを道具としてしか考えていない。私もあなたもジールの手駒のひとつ。これではジャキもおなじように利用されるだけです」
 ショックで口を利けないサラに、予言者はなおも言う。
「いずれあなたはジールによって始末されるでしょう、サラ。気持ちは決まりましたね」
「……ええ」
 サラはこらえきれない涙を落とした。地の民の苗とおなじように、サラの抱いていたかすかな希望も粉々に踏み潰されたのだった。

「ジャキ、来なさい」
 サラは『おやすみの間』にいたジャキの手を引き、宮殿から連れ出した。いつもとはちがうサラの様子にジャキは戸惑っているようだった。
「ど、どうしたの!?」
「あとで話すわ。今はついて来てほしいの」
 サラ、ジャキ、予言者はジールを下って雪深い地面へ降りた。雪を避けるため、一同はちいさな洞窟へ入る。予言者が魔法を利用して火をつけ、火は薪に燃え移った。
「どうして降りたりしたの? 姉上は何をしようとしてるの?」
 サラと予言者はジールを討つ計画を練っていた。単純ではあるが、ジールをサラがおびきよせ、そこを予言者が魔法で襲うという計画が取られた。あまりひとけのないところのほうがこちらにとって有利だ。ジャキは身の安全を考えて、地上にいてもらう。
「ジャキはわたしたちが来るまでここにいるのよ。すべてが終わったら、わたしが女王に即位して、魔神器も海底神殿も壊し、地の民も光の民も平等に住める世界を築くわ。また、父上の開発された力を使いましょう。ラヴォスには頼らずに」
 だがジャキの表情は暗い。
「心配しないで。きっとうまくいくから」
「そんなわけないよ! 黒い風が泣いているんだよ……姉上は、もう戻って来れないよ。戻って来れるわけがない! やめて!」
 ジャキは泣いてサラの袂をつかむ。サラはそんなジャキをあやすように抱きしめた。
「だいじょうぶだから。わたしはだいじょうぶだから……心配しないで」
 なぐさめるはずのサラもいつのまにか泣いていたことに、サラ自身実感していなかった。


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