V章

 海底からのラヴォスの攻撃を受け、ジールの都市のひとつエンハーサがある大陸は崩壊した。その影響で地上にも被害を受けた箇所があった。
 大きなエネルギーをひとつ吐き出したことでラヴォスはとりあえず鎮まったが、魔神器のある祭壇には、ラヴォスの強大な力の影響で次元が歪み、無数のタイムゲートが発生していた。
「ジャキ!」
 ジャキに向かおうとするサラの腕を予言者が引いた。
「危険だ、あなたもゲートに巻き込まれる!」
「だってジャキが!」
「私が助けに行きましょう!」
 ボッシュがジャキを助けに走ったが、あと一歩というところでゲートが彼を飲み込んだ。そしておなじ三賢者のハッシュとガッシュも同様に飲み込まれてしまう。残りのジールの従者たちはラヴォスの力に打ち負けたり、無数に開くゲートに飲まれるなどして、女王の間にいるのはジール女王とサラ、ジャキ、予言者のみとなった。
「ジャキ、こっちへきなさい、早く!」
 サラの叫びに呼応して、ジャキは立ち上がってサラの元へ走った。ジャキは必死に姉を呼ぶが、追い付かずついにタイムゲートに飲まれてしまった。ジャキの姿はもうどこにも見当たらなかった。
「ジャキ……? ジャキはどこ? どこに行ったの……?」
 サラは呆然として床に膝をついた。
「ジャキはタイムゲートに飲まれて別の時代へ行ったのです」
「そんな……」
「サラ、お気をたしかに持ってください。ジャキはきっとどこかの時代で生き延びていることでしょう」
「そんな、そんなことあの子ができるわけがないわ! たったひとりで暮らして行くだなんて……ジャキ!」
 予言者が暴れるサラの体を強く支えた。それでもサラは鎮まることはない。
「わたしはひとりになってしまった。母上も父上もわたしを置いて行く。わたしはもう、この胸を引き裂かれそう──」
 予言者は、これ以上自分をいじめ抜くサラの姿を見たくはなかった。美しい彼女の顔には明朗さがない。
「三賢者もジャキもいなくなった。こうなれば、サラ! おまえに再び魔神器を動かしてもらう。これは命令じゃ。逆らうことはゆるさん」
 女王が物陰から現れた。なんとか難を逃れたようだった。サラの代わりに予言者が答える。
「女王、サラはもはや力を操れる精神状態ではない。今の彼女ではまた魔神器を暴走させる結果になるだろう」
「では、おまえは如何ように考えておるのじゃ」
「魔神器を動かすのはこの私にまかせていただきたい」
 サラははっと予言者を見た。
「はっ! 笑止。おまえはわらわを殺そうとした男。そんな男に魔神器を動かせなどと言えるものか。サラのことは構わぬ。おまえを盾に取ればサラも魔神器を動かさざるを得ん」
「わかりました、女王陛下……。わたしが魔神器を動かします。だからもう、おやめください……」
 そう答えるサラの姿は瑠璃の細工のようにはかなかった。予言者の心は、長い間忘れていた痛みを再び感じるのだった。

──

 そして幾日かが過ぎ、海底神殿はついに竣工のときを迎えた。魔神器は海底神殿に移され、サラとジールをはじめとする王国の高位のものたちが魔神器を囲むように見上げていた。サラの唯一の心の支えである予言者はサラの哀願でなんとか同行を許可された。ただし数人の見張りつきである。
「とうとうわれらがラヴォス神の復活のときが来た。われらは永遠の命を得、ラヴォス神とともに世界を統べる超人類となるのじゃ!」
 高だかと女王が宣言すると、従者たちも歓声をあげる。その中でサラはひとり、うつろな表情を浮かべていた。予言者は、サラの袂を引く。サラに話があるのだと言う。魔神器のエネルギーを最大限に引き出す前に、よろこびの宴が執り行われていたので、皆はサラと予言者がいなくなったことに気がつかなかった。ジールはあるいは気づいていたのかも知れなかったが。
「あなたにずっと隠していた私の名前……今がそれをあなたに言うとき」
 サラの深い海のような瞳が予言者を見つめていた。
「私はジャキ。ジャキ・ジール。あなたの弟。それが私の名だ」
 そう彼が言い終わると、サラは特に意外そうな表情を浮かべてはいなかった。
「やっぱり……」
 怪訝に思う予言者こと、魔王の腰のアミュレットを指さした。それはかつてジャキだったときにサラからもらったおまもりだった。
「それはわたしがジャキのために作ったこの世でひとつのもの。それを見たときに、もしかしたらと思ったの。……ジャキ、会えて、うれしいわ」
「姉上……」
 サラは目に涙をためて魔王の胸に抱きついた。
「あなたが他人だと思っていたときは、わたしはあなたを慕っていたわ。でも、あのおまもりを見たときから、ひょっとしたらあなたが未来から来たジャキなんじゃないかと思うようになったの」
「ずっと言いたくても言えなかった。あなたにだけは俺のことは言えないと思っていた。しかし、この時代のジャキがいなくなった今なら、あるいはと」
「でも、あのときわたしの前から消えたちいさなジャキが、今はわたしよりずっと大きくなっているなんて、不思議な気分ね」
 サラは背伸びをしたが、魔王の背丈には遠く及ばない。
「あのときはちいさかったのに。もうジャキは死んだものだとあきらめていたわ。あなたは覚えていないでしょうけれど、亡くなった父上にそっくりだわ。父上は、りりしいお顔をしていらしたのよ」
 その笑顔から光輝く筋が伝った。魔王は、彼女のそんな顔は見たくない。
「俺はあのとき未来の時代に転移してから、ずっとあなたのことを気にかけていた。あなたはいったいどうなってしまったのか……。ラヴォスを倒せばすべてが元に戻るとは思わなかったが、俺は、ずっと戻りたかったのかも知れない……この時代に」
「わたしがあなたを一番はじめに見つけられて、そしてあなたと会えて、今ではよかったと思えるわ。ジャキ、わたしのおまもりを、ずっと持っていてくれてありがとう。そのおまもりは、役に立った?」
「そうだな……魔王として命の危機に瀕したときも、俺を救ってくれたのはこのおまもりだった。姉上に感謝しなければ」
「ありがとう、ジャキ」

 そして、ラヴォスの完全なる復活のときがきた。サラは魔神器の前に立ち、今向かっているであろうクロノたちのことを思った。だがクロノたちでもラヴォスを止められるかどうかはわからない。
 ラヴォスが復活すれば、ジール王国は無事では済まないだろう。ジール王国はおろか、地上も被害を受ける。地の民も、光の民も、皆おなじ骸となる。そんなことに手を貸さなければならない自らの力を呪った。
「さあ、サラ、やるのじゃ。ラヴォス神によって永遠の命を得られるのだ。おまえも超人類として君臨できるのだぞ」
「──わたしには……」
 サラはためらった。
「サラ! わらわに逆らうと言うのか!」
「わたしにはできません! 母上、どうか目をお覚ましください!」
 と叫んでサラはジールにしがみつく。
「離せ、この不孝者が!」
 ジールは自分をつかんで離さないサラを殴りつけ、魔神器に向き直った。サラの力を与えなくとも、魔神器は胎動のような音を発し、ラヴォスの完全な復活は間近に迫っていた。
「今までのエネルギーでもはや十分じゃ。さあ、ラヴォス神が目覚められる!」
 倒れたサラを抱えた魔王は、ジールと魔神器を深い憎しみの眼差しで見つめた。
「くくく……愚かな予言者よ、貴様はサラとともにラヴォス神の最初のエサにしてくれようぞ。わらわにたてついた罪の重さ、じっくりと味わうがよい」
 突如床にぽっかりと穴が開き、サラと魔王は深い海底に沈んだ。ふたりはこのまま窒息してしまうのではないかと思ったが、空気があった。サラは魔王の安否を気遣う。
 地面は水のようだったが、濡れてはいない。サラの顔が鏡のように下の水面に反射して映っている。しかし、暗いためあたりがよく見えなかった。
「ジャキ、どこ……?」
「ここだ」
 耳になじんだ声が聞こえてサラは少し安心した。魔王はサラの服の裾をつかみ、自分の存在を示した。サラの袂をつかむそのしぐさが幼いジャキを連想させて、サラは不思議な安堵を感じる。
「ここはどこなのかしら?」
「ラヴォスの内部か?」
「おまえらの目は節穴か? このみなぎるエネルギーが見えぬのか」
 ジールの声が上空から聞こえた。前方に、うごめく巨大なものがある。それがなんなのかはふたりには察しがついていた。ふたりは、抑えようとしても抑えきれない震えを感じていた。
「言ったであろう、おまえらはラヴォス神の最初のエサだとな!」
 魔神器の上に乗ったジールが姿を現す。その横にいる、うごめく巨大なものは、復活したラヴォスだった。刺のある外殻を身にまとった、一見すると原始的な生物であった。地の民の洞窟ほどの大きさがある。その大きさにふたりは思いのほか圧倒されてしまう。魔王はサラをかばうように前へ出た。
「俺はこのときのためだけにすべてを犠牲にして闇の中から這い上がってきたのだ! ラヴォス、覚悟!」
「やめて!」
 魔王ひとりではラヴォスを倒すことなどできない、と直感的に感じたサラは魔王の背に叫んだが、もはや彼の耳には聞こえてはいないようだった。死神のごとき鎌で魔王は、ラヴォスの殻から露出している、本体と思われる部分を突き刺した。
「貴様ごときがラヴォス神を倒すなどとは笑わせるわ」
 ジールの嘲笑が響き、魔王が突き刺したはずのラヴォスの目らしき部分から光線が放たれ、魔王は吹き飛ばされてしまった。サラが彼を助けようと進みよると、魔神器から伸びてきた力が、手のようにサラの体をつかんだ。魔王はサラの名を呼んだ。
「ラヴォス神は生物の力と星の命を喰らって育つ。サラ、おまえは偉大なるラヴォス神の一部となれることを光栄に思うがいい」
「逃げて、ジャキ!」
 魔神器は轟音を発し、幾重の光が剣のように、この海の上にある海底神殿を襲った。魔王は気力で傷ついた体を起こしたが、サラを救うには間に合わなかった。
 遠い日の『ボクは男だから姉上を守るんだ』という誓いが魔王の脳裏に去来した。
「サラ、──あねうえーッ!」


 サラは暴走する魔神器に吸収され、ラヴォスの力となった。そこは、あたたかな光に満ちあふれ、なんの苦痛もない世界のようだった。ここが、父の行ったという天国なのだろうか?
 マールの住む時代がうらやましい。わたしも、ふつうの少女のように恋をして、結婚をして、子どもを生んで……そんな幸せをつかみたかった。こんな時代に生まれためぐりあわせが憎かった。
 天国ならば、父に会えるだろうか。サラの父はジャキが生まれてすぐに亡くなった。父はまさしく太陽のように偉大で、やさしく人々を包む存在であった。サラはそんな父を心底尊敬していたし、人々も父への忠誠を誓っていた。父が亡くなってだいぶ経つが、そんなときに現れた予言者、未来のジャキは昔に絵画で見た父の若いころによく似ていた。ここが天国ならば、家族四人でつつましく暮らせるのだろうか。もしほんとうにそうならば、天国も悪くはないとサラは思う。
 奥のほうに人影があった。おぼろでよく見えないが、髪の長い、美しい人……。サラはその人の元へ歩いていく。やさしいほほえみをたたえるその人は、本来のジール女王であった。サラは、目尻が熱くなるのを感じ、息を飲んで母の元へ走っていった。
「サラ……」
「母上!」
 目の前に立つ女性は、ラヴォスの力を利用し、自らの欲望のためサラをも手にかけようとしたあのジール女王とは、まったくかけ離れた穏やかな表情を浮かべている。そんななつかしい母を見てサラの瞳から涙が堰をきってあふれる。
「母上……おかあさま! 申し訳、申し訳ありません……」
 母の顔を見てサラは子どものように母にしがみついて泣いた。
「わたしはおかあさまを討とうとしました。この血のつながりにもかかわらず……」
「よいのじゃ、サラ……。わらわに弱い部分があったためにおまえやジャキにつらい思いを強いて、ほんとうにすまなかったと思っておる。ゆるしてくれるわけもない」
「いえ、いえ……! わたしはおかあさまを救うことができませんでした。おかあさまを信じ続けることができませんでした!」
「サラ、泣いてたもれ。わらわはそなたに母らしいことを何ひとつしてやれなんだ。あげくの果てには、ラヴォスに心を奪われ、だいじなそなたの命を奪おうとまでした……。せめて今は、母親として接させておくれ……」
「おかあさま、お会いしたかった……」
 今までの胸を引き裂く思いを捨て、サラはただ母の腕の中で泣きじゃくった。
 前に予言者にもおなじように甘んじたことがあった。予言者──ジャキは自分を救おうとしてくれていたのだ。サラは、ジャキがサラ以外に心を開かないと思っていたが、心を開いていないのはサラも同様であった。

 魔王は姉と母が自分を見つめているのを知った。未来の時代に落ちてから、自分は家族を失ったと思っていた。しかし、目の前の魔神器の奥には、家族がいた。姉が、母が、そして父が。
 魔王に取ってラヴォスを倒す目的は、未来や今の世界を救うためなどではなかった。魔王がやりたかったのは復讐だけだった。そのためならば力を得、勇者を殺し、関係のない人々を恐怖に陥れ、魔王と呼ばれることもいとわなかった。魔王にはそんな生き方しか選ぶことができなかった。それがいいとも悪いとも思えない。
 彼が目的を果たすのは、今この瞬間しかなかった。魔王は死神のそれに似た鎌に手をかけ、暴走してはいるがどこか穏やかな光を放つ魔神器に鎌を振った。

──

 古代の大陸には雪が降っていた。それまで吹雪だったものが、しんしんと降る雪に突如変わる。
 魔神器は破壊され、そのかけらが光となって、なごり雪のように魔王の肩に降り注ぐ。そのひとかけらひとかけらに、家族と過ごした思い出があるような気がして、いとおしげに光を手に取った。

『なかないで なかないで わたしの うでのなかで かわいいねがおをみせて いとしいあなたよ……』

 一瞬だけ、姉の歌うやさしい子守歌が聞こえたような気がした。年上だった姉。時間の止まってしまった姉。あこがれの人だった。
 そして母親。もう記憶もおぼろになっている。だがほんとうの母は、大地のようにおおらかに民を包む人だった。ジャキは、母を心底愛していたからこそ、今の母を見るのがいやだった。
 父の記憶はない。姉はジャキが生まれてすぐに父は亡くなったと言っていた。そして今のジャキは父に似ているとも言った。自分に流れる誇りは父から譲り受けたものなのだろうか。
『ジャキ』
 姉が自分を呼ぶ声がした。
『ジャキ……』
 サラのやわらかな手のような感触が魔王のほほをかすめた。
『ありがとう、ジャキ』

「さようなら、姉上……」
 魔王は力尽き、その場に倒れこんだ。

 クロノたちが駆けつけると、魔神器の姿はなかった。そこにはあたたかい光だけが満ちていた。マールはサラに課せられた運命を呪った。

 ラヴォスは人の心を取りこんだ。サラの悲しみを、ジールの苦悩を、魔王の安堵を。ラヴォスは、ジール一族を取りこんだことでいっそう成長し、星そのものを喰らおうとしていた。そしてラヴォスは、海底神殿を、浮遊大陸を引き裂き、深い海底から姿を現し、全世界の人々を恐怖に陥れた。
 クロノたちは、現在、過去、未来にラヴォスのために犠牲になった数えきれぬ人々のために、歴史を塗り替えるために夢の終わりに走って行く。
 悲しみ、よろこび。開放、絶望、嫉妬、憎悪。あこがれ。希望。そんな夢の終わりは、間近であった。(了)

●Auther's note
 ジール王国については情報が少なかったのですこし困りました。サラとジャキが異父姉弟とかいう説もありますがそうすると話がややこしいので……。ボッシュ以外の三賢者の行方はどうなったのかが一番気になるところでした。ジャキの回想の中ではいたみたいなので、クロノたちがやってきたことで歴史が微妙に変わったのかも知れません。本作では、口うるさい三賢者を黙らせるためにジールが手始めにボッシュを幽閉し、ほかの賢者はジールに従うしかなかったということにしました。
 浮遊大陸はサラが作ったと言うのはSFC版クロノの攻略本に書いてあったので、たぶん公式です。でも「サラの息子のジャキ」なんて書く本だからなあ(笑)。

(追記)IV章の最後では魔神器があるのは「女王の間」という記述をしていましたが本来は「魔神器の祭壇」です。該当箇所を訂正しました。(2002.8.27)
(さらに追記)ボッシュはサラのこと呼び捨てにするんですね……。あとガッシュも。三賢者はかなりジールの子どもたちと近い位置にあったようですね。世話係か何かだったのでしょうか?

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