II章

 サラは幸い、数日休んで体の具合はよくなった。しかし、サラはなんらかの恐怖を感じているようだった。予言者に対して「時間がない」と言ったのは、ラヴォス・エネルギーの増大を感じたゆえか、それとも何か別の理由からなのかは予言者にはわからなかった。
 ただ、ストレスを抱えこんでいるのはすぐに見て取れる。普段は穏やかな彼女が予言者に対して強くものを言ったときのこと……。彼女の心にはなんらかの変化があった。
 そんなサラから、予言者は宮殿のテラスに呼び出された。
「予言者殿、ジャキのことで相談があるのです」
「ジャキのことで?」
「ええ。ジャキは、生まれてすぐ父を亡くし、父親というものを知りません。ふびんな子です。予言者殿、あなたはわたしが必要なときにお力添えをしてくださるとおっしゃいましたね」
「ジャキの父親代わりになれと?」
「父親代わりとまでは言いません。わたしや母があの子に構ってあげられないときは、どうか、見ていてやってほしいの」
「だがジャキは私を毛嫌いしている様子ですが」
「ジャキは嫉妬しているの。頼れる人はわたししかいないと思っているから、わたしがあの子に構ってあげられないときは、ついあなたに憎まれ口を叩くのでしょうね。あの子はあの子の力のせいでわたし以外には心を開きません。母のことも憎んでいるようです。でも、わたしに近い力を持つあなたなら、ジャキとも仲良くなれるかも知れない。わたしの勝手な思い込みですが」
 予言者は黙っていた。
「それにジャキは、いずれこの国の王となる身。なるべく、心を豊かに育ててあげたいの」
 ジール王国の王。予言者、ジャキはそういう定めを負っていた。果たして自分はサラが願ったような姿になったのだろうか? もしも自分が未来のジャキの姿だと明かせば、サラはどういう表情を浮かべるのだろう? 予言者は自分の生き方を恥だとは思わないが、このとき、歴史が変わっていたらどうなっていただろうと考えたのだった。

 サラと過ごすようになって、予言者は昔のことをよく思い出すようになった。あのときのまま時間の止まった姉。自分はいつのまにか離れていたはずの姉の年を追い越してしまっていた。幼いジャキの目には姉がなんと美しく清らかに映ったことであろうか。
 遠いあの日に聞いたメロディが耳によみがえった。遠くで、サラの歌うやわらかな旋律が聞こえる。宮殿の階段の入り組んだ踊り場から聞こえてくる。
 かつてサラの歌はジャキの子守歌だった。こわい夢を見たとき、なかなか寝つけないとき、サラはジャキのために歌を歌ってくれた。そのときに歌ったものとおなじだった。予言者は思わず郷愁にひたってしまう。手を伸ばせば届くほどのところにありながらもそれがゆるされないのがもどかしかった。

「なかないで なかないで わたしの うでのなかで かわいいねがおをみせて いとしいあなたよ……
この たましい ひきさかれても あなただけは…… ずっと わたしのそばに わたしのところにいて……」

 歌うサラの回りには観衆がおり、彼女の美しい歌声に酔いしれている。多忙なサラが歌うのはそうそうあることではない。もともと彼女が歌うのは、本当に気持ちが高揚したときだけであった。ひとり、ひっそりと歌うだけだったものが、うわさが広まりこのような小会場で歌うこととなったのだった。踊り場とはいえ、小ホールの役割は果たしていた。
「サラさまの歌を拝聴すると心が洗われるようです」
「サラさまの歌声は天使の歌声ですな」
 歌が終わり、光の民は口々に歌の感想を言う。人々は恍惚とした表情を浮かべて去って行った。観衆を前にして歌ったというのに疲れた顔も見せず、予言者の姿に気づいたらしいサラが彼に声をかけてきた。
「あら、予言者殿。いらっしゃったんですか」
「歌がお上手でいらっしゃる」
「ありがとうございます」
 サラは照れたような表情を浮かべる。
「実は、今日は外出許可を得ているんです。いつもはこっそり抜け出ているんですけどね」
 あとのほうは小声で話した。
「予言者殿には見せたいものがあるのです。今日はよろしいですか?」
「私はしがない予言者ですから、あなたのような高貴な方と外出というのは……」
 サラが予言者に好意を抱いているというのは予言者自身の耳にも入っていた。彼としては複雑な心持ちであった。ジール女王に一度サラの仕事の邪魔にならないよう接しろと警告もされている。
「構いません。ほかのものたちのことなど」
 水のように穏やかなサラが、ときに炎のような激しい感情を見せることがある。

 サラと予言者は湖にいた。サラが以前に予言者に言っていた自然の湖だ。ここにはサラが小さいころ、よくジャキを連れてやってきていた。
「気持ちいい! ずっとここにいたいわ……」
 微風がサラのほほをなで、滝のように流れる長い髪を揺らした。予言者はそんなサラを見るのが好きだった。しかし、サラは予言者に取っては近づきがたい存在である。彼女に対しては、立場上でも、予言者自身の気持ちとしてもけして安易に触れたりすることはできないのだった。
「この人工の大陸にもこのように自然の湖があるのです。わたしはそれをあなたに見せたかったの」
 浮遊大陸はラヴォスの力を利用して、ジールの命でサラが建造したものだった。そのときのサラは先の見通しをつけられるほど大人ではなかった。浮遊大陸を作れば氷河期の苦しみから逃れ、みんな平和に暮らせると思っていた。実際サラたち光の民は下界の寒さも忘れ温暖に過ごしている。しかし、人々皆がそうではなかった。力を持たない、地の民と呼ばれる人々は今も極寒の地で生活している。サラは罪悪感からか、地の民に好意的に接しているが、それは単なる自己満足なんだと時々深い自己嫌悪に陥る。
「あなたがこの大陸を作り上げたと聞きました」
「ええ、そうです」
「このように美しい風景が残っているのはあなたの良心のおかげだろう」
 唐突な予言者のひとことにサラは戸惑うが、
「この大陸は、母がラヴォス神の力を使って建造しろと命じたものだったのです。……はじめは人工的な、生命の息吹のない都市でしたわ。でも、わたしはそっと種子を蒔いておきました。その種子は、水になり、滝になり、林になり……、そしてこのように美しい景色を作り上げてくれたのです。わたしの力だけではこんな景色は作れませんよ、予言者殿」
 くすっと予言者にほほえみかける。再び湖に向き直ったサラは、束ねていた髪の毛を下ろした。しっとりと彼女の背に雨が降る。もっと彼女に近づくことができればと思うが、それができないことにはがゆさを感じる予言者がいた。
「自然の力はかくも美しくあります。だからこそ父は星の力を研究し続けたんだと思うのです」
「あなたの父君というと、先の王ですな」
「そうです。父はジャキが生まれてすぐに他界しました。父は、星の力こそがこの星に住むわたしたちへの恩恵だ、とよく申していました」
「ラヴォスは外からの力。そのような得体のしれないものに頼るべきではなかったのでしょうな」
「……ええ。わたしたちは、滅びの道を歩みはじめているのかもしれません。ラヴォスの力を使うようになってから」
「ならば、ジールを止めるべきです。サラ、女王を止められるのはあなただけだ。滅びの道は回避できる。あなたの行動次第で」
 サラは湖を見つめて黙している。予言者は続ける。
「このままではまちがいなくジール王国は破滅だ。だが、あなたが強い意志で女王とラヴォスを退ければ、栄華を極めることもできる。サラ、あなたは強く自らを律するあまり、自らを苦しめているのです。国を守るため、人を守るため、ジャキを守るため……、そう言うがあなたは自分を守ってはいません。それは、決してやさしさではありません。自らをいじめ抜くことがやさしさと言えようか」
 予言者は、珍しく自分の精神が昂ぶるのを感じていた。この時代でラヴォスを倒すという目的が、このときばかりは、サラを救う目的に変わりつつあった。この時代にきたのは、ジールを利用してラヴォスを呼び出させるためだというのに。しかしサラの苦しむ姿をずっと見つづけた予言者は、サラを捨ておくことができなかった。
「そう……です。それは、わかっているのです。でも、わかっていても、わたしは自らを抑えつけるのをやめることができません……」
 サラの心を縛るものは強かった。サラの手は、ぎゅっと握りしめられて手の平の骨が浮き上がっていた。そんな彼女を見て予言者はある考えを思いつく。それは彼女に取ってだいじではあるが、同時に危険なことでもあった。
「あなたが自らを滅ぼす前に、私があなたの封じられた部分を解き放ちましょう」
「わたしの?」
 怪訝な顔をするサラの眼前で、予言者は手を差し出した。パチンと指をならすと、サラの見ている景色が歪む。急に気分が悪くなり、地面につっぷしてしまう。
 おてんば娘と呼ばれたころ。自分がでしゃばってはいけないんだと思ったあのときが、吐き気とともにこみ上げてくる。

 やれやれ、サラ姫のおてんばぶりにも困ったものだ。オリでもつけておかなければすぐに宮殿を抜け出てしまう。
 子どものころのわたしは、裏表もなく、感情を素直に出した。泣きたければわんわん泣いたし、怒りたければ怒った。それは、子どもにゆるされる特権で、おとなになったらゆるされない。そう思っていたのだけど……。
 あるとき幼いサラはかんしゃくを起こしてしまった。ジャキがまだ赤ん坊のころのことである。サラの潜在能力ははかりしれない。ちょうど今のジャキのように、かんしゃくを起こすとその能力までもが発現してしまうのだった。怒りの感情にまかせてサラは力を使い、そのせいで宮殿や大地は被害を受けた。赤ん坊だったジャキも怪我をしてしまい、いつもはやさしかったジール女王のきびしく、悲しそうな顔を見たサラは、自分がしてしまったことの責任の重さを知るのだった。それ以来サラは一転して、おとなしくなった。王女として強く自分を抑えるようになったのだった。
 だが今ならば隠された胸のうちも、抑えていた感情も、全てさらけだせるようなそんな気がした。
 気づくとサラは泣いていた。子どものように。サラは王女という身分ゆえ、弱い姿をほかの民に見せるわけにはいかなかった。しかし、予言者の不思議な術によるせいか、心のたががはずれたサラは、予言者にすがって泣きじゃくっていた。
 声にならないサラの嗚咽がもれる。予言者にできることはサラの細い肩をなぐさめるように抱くことだった。子どものように泣くことですこしでも彼女の気持ちが晴れればいいと、予言者は切に願う。
「ただ泣けばいい。ここにはなにも気兼ねはありません……」

──
 
 以前サラが見つけた苗木は、部屋の中にあり、かつ水をやらなくても枯れることはなかった。これは強靭な生命力を持つ苗木らしい。この苗木は後生までだいじにしようとサラは決めた。
「姉上、その苗木は寄せたほうがいいよ。ダルトンあたりが燃やしちゃうよ」
 とジャキは言う。たしかにこの『おやすみの間』に置いていてはいつかダルトンが訪れたときに燃やされないでもない。
「じゃあ、そろそろ植えかえることにしましょう。ジャキも手伝ってね」
「うん」
 どこに植えるかが問題であったが、サラは、雪深い地に暮らす地の民の人々に苗木を托そうと考えていた。生命力の強いこの苗木なら、氷河期を乗り越えられるかも知れない。それは、地の民の希望となるだろう。サラはさっそくジール宮殿を抜ける許可を得ることにした。だが、ジール女王の答えは冷たいものであった。
「いかん。おまえは近頃あの予言者にうつつを抜かしているようだな」
「そんなこと……」
「色恋など王家のものには不必要じゃ。そのせいで仕事に支障が出るようではいかんというのだ」
「わ、わたしは予言者殿に会いに行くのではありません!」
「どちらにせよ、おまえは王女。宮殿を行ったり来たりするなどもってのほか」
 ジールからは宮殿を出る許可は得られなかった。普段ならばこっそりと抜け出すところだが、成長した苗木を持って宮殿を出るのは難しかった。ジャキになんと言おう、とサラは部屋に戻るまでの道のりで考えていた。サラはいつか光の民、地の民が平等に暮らせる国を作ろうと思っている。ジャキはつぎのジールの王となるべき人物だ。だからジャキも地へときどき連れ出し、彼にもそういった気持ちを思ってほしいと思っているのだった。しかしジャキはサラ以外には心を閉ざしてしまっている。
 考えていると、途中で予言者に会った。サラは先ほど母に言われたことを思い出し、予言者のヴェール越しの視線から目をそらしてしまう。その様子を変に思ったのか予言者が尋ねてくる。
「どうかしたのですか」
「ええ……実は、以前見つけた鉢植えを移動しようとしたのですが、外出許可が得られなかったのです」
「そんなもの、従者に持って行かせればよいことでしょう。まさかアルゲティの村に持って行く気だったのですか」
 予言者に隠し事はできなかった。彼はサラの考えを全て見抜いているようだった。
「……ええ」
「アルゲティにあの苗を持って行って何をされるのですか? あそこでは苗など育ちませんぞ」
「この苗は強い生命力を持っています。この生命力で地の民の人々を勇気づけようと思ったのです。この苗とともに、彼らにもがんばってもらいたかったのです」
「ふむ。たしかにあの苗はただの苗ではなかったようでしたな」
「よろしければ、予言者殿に、苗を長老さまのところまで届けていただきたいのです……。もちろんお礼もいたしますわ。おねがいします!」
 頭を下げるサラの上から、予言者の穏やかな声が聞こえてきた。
「顔をお上げください。私はあなたの命とあらば逆らうことなどできませんよ。礼なども必要ありません」
 サラがほほえんで礼を言うと、ヴェールの向こうの予言者の顔がほころんだような気がした。

 比較的自由な身の予言者は早速地への道を通りアルゲティに向かってくれた。サラとジャキはその帰りを『おやすみの間』で待っている。ジャキは何か言いたげな不安そうな顔で、ゆっくりと紅茶をたしなむサラを見つめていた。
「ん、なあに?」
「どうして姉上は地の民にこだわってるの? あいつらに執着してなんの得があるっていうのさ」
「得だとか、そういうことじゃないの。ジャキは地の民がわたしたちよりも劣っていると思う?」
「そりゃ、力も何も使えないんだよ。ただの人間じゃないか」
「光の民は力を手に入れた代わりに人間らしさを失ったわ。そんなわたしたちが地の民よりも上だなんて思えない。ジャキにはそれをわかってほしいの」
「どうしたの、姉上? そんなことを言うなんて姉上はどうかしてるよ……」
 ジャキは不安げな顔でサラを見つめる。
「今はわからなくてもいいわ。けど、あなたがいつかこの国の王となるときには、ほんとうにしなければならないことというのをちゃんとわかっていてほしいのよ」
「姉上は予言者が来てからへんだ。あせってる」
「……そうね、あせっているのはあるかもしれない。海底神殿が完成するまでそう時間がない。海底神殿が完成してしまえば、それから先どうなるのかわからないから」
「姉上……無理はしないで」
「ええ、そのつもりなのだけど……」
「また、風が泣いているんだ……。何かいやな予感がする。気をつけて。あいつは何をするかわからない。あの母さまの皮をかぶったやつは」
「母上はいつか、昔のようなおやさしい母上に戻るはずよ」
 サラはジャキのちいさな手を握りしめる。ジャキは手を握りかえしてきた。いつか昔のような母が戻ることを信じて。

 地の道を通り、地の民の洞窟アルゲティにやってきた予言者は、以前世話になった長老のしわがれた手に苗木を渡した。サラさまによろしく伝えておいてくれ、という長老の、以前のような疲労したような表情に、たしかな光が見えた。

 無事アルゲティの長老に、サラからの「希望のしるし」ともいえる苗を渡した予言者は、『海底神殿の建設を阻む三人が現れる』と予言した。その予言があってから、女王の間近くにある海底神殿への入口に向かう三人組は皆尋問された。だが、どれも無関係な単なる一般市民のように見えた。
 海底神殿はラヴォスの眠っている海底につながる神殿だ。ジールはラヴォスを完全に復活させ、その海底神殿からラヴォスの力を最大限に引き出し、永遠の命を得ようとしていた。だが、ラヴォスの力が最大限にまで高まればこんな王国は簡単にラヴォスによって陥落させられる。それはサラも、予言者もそしてジャキもわかっていた。
 ジール王国を取り巻く状況は少しずつ悪くなっていた。サラやジャキがどれほど抵抗しようと、ラヴォスのパワーはとどまるところを知らない。そんな中でジャキは黒い風が泣いているのを感じていた。ジャキは、不安になりサラの元を訪れる。そんなジャキを見たサラはジャキの首にネックレスのようなアミュレットをかけた。見つめていると不思議な安心感のあるアミュレットだった。そのアミュレットはサラが自ら作っていたものだ。
「ありがとう、姉上……」
 そこには普段人には見せないジャキのほほえみがあった。サラはジャキのやわらかな髪をなでる。

 ジール宮殿の中にサラが見慣れない姿があった。そのうちひとりは、予言者が予言したような赤い髪の、独特の髪型の少年だった。その隣にいる少女のかけているペンダントには見覚えがある。そのペンダントは、サラ自身がかけているものとよく似ていた。サラのペンダントは不思議な赤い石から作ったものだ。それは、ジャキにあげたおまもり同様にこの世にひとつしかないものだと思っていたのだが。
 赤い髪の少年クロノとペンダントの少女マール、そしてカエルの剣士はサラに対して好意的だった。どうやらクロノたちは旅をしている途中で、マールは王女であるらしい。この世界にジール以外の王国があるのというのはサラには意外だった。ジールは唯一絶対の王国だと教えられてきたからだ。
 サラとマールたちは話をしていくうちにだんだんと打ち解けていった。サラとマールは同性同士であり、おなじ王女ということで話がはずむ。サラはこのような同年代のともだちがいなかったので、少女のような話をできるのがうれしかった。それに相手はおなじ王女だ。身分をお互いに気にせずに話すことができる。
「サラさんはおしとやかであこがれるな。あたしは教育係がうるさくって、よく抜け出したよ。それでおてんば王女なんて言われちゃってさ」
「わたしもおなじですよ。昔も抜け出したし、今だってよく宮殿を抜けているから」
「へえー。サラさんもやるね。やっぱり城から出ちゃダメっていうのは親のエゴだよね。いつまでも娘を城に閉じ込めておけるわけないのにね」
「まあ。マールさんのお父上は子煩悩なのかしら」
「でも、ケンカしたままだなあ……。ね、クロノ」
 突然話を振られたクロノは驚いて「ああ、ああ」と適当な返事をした。
「ところで、サラさんは好きな人はいるの?」
 マールの質問に、サラは動揺してしまう。女の子は本当に恋の話が好きだ。
「それは……」
 なかなか答えられないサラを見てマールはくすっと笑った。
「サラさんは美人だからいい人にめぐりあえるよ」
「そ、そうかしら」
 一通り他愛のないような話を終わり、扉口でマールが手を振っている。サラも手を振り返した。
「それじゃあ、サラさん、また来るからねー。バイバーイ」
「ごきげんよう、みなさん」
「姉上……」
 クロノたちが去ったころ、ずっと黙っていた隣のジャキが口を開く。
「なあに?」
「黒い風が吹きはじめた……。だれかが死ぬよ。気をつけて、姉上……」

──

 クロノたちがこの時代に現れたと言うのは予言者の耳にも入ることとなった。もはや時間に猶予はなかった。自分が何をすべきか、予言者は見極めねばならなかった。
 自分の目的はラヴォスを倒すことだ。それは今も変わらぬ目的である。しかし、サラと出会ってからそれが揺らぎつつあった。弟としてサラと接していたころよりも、今、全くの他人として接したほうが見えるものもあると知った。
 何にせよ、サラと過ごすことのできる時間はそう多くはない。予言者は、サラに未来からやってきたという素性を明かすことにした。だが、まだ自分がジャキだということは明かしたくはない。それはまだできない。
 サラは幼いジャキの「だれかが死ぬ」という予言に戸惑っているようだった。無理もない話だ。
「予言者殿?」
 背後にいるサラが声をかける。ふたりは予言者の部屋に通じるテラスにきていた。テラスは眺めがよく、空中に浮かぶジール王国から空を見渡すことができる。
 予言者は常に羽織っているヴェールを解いた。サラのものとおなじ色をした長い髪が揺れる。
「どうしたのですか、予言者殿……」
「以前あなたは私の正体を知りたいとおっしゃっていましたね」
「ええ」
「クロノというものたちのことはご存知ですね」
「ええ、いい方です。わたしやジャキのこともよくしてくださって」
「では、やつらは私が予言した三人だということも知っていましたか」
「えっ──」
 サラは案の定驚愕した表情になった。
「やつらは私とは敵対しています。このようなヴェールをかぶったのもやつらをあざむくため」
「では、あなたはクロノたちを倒そうとなさるの?」
「私は目的が果たせればそれでよい。ただやつらは私の目的には邪魔だっただけのこと。サラ、信じられぬかも知れませんが、私とやつらはラヴォスのエネルギーによって生じたタイムゲートでこの時代にやってきたのです。私はここからはるか先の時代で、ラヴォスを倒すために、ラヴォスそのものを呼び寄せた。だがそれはやつらによって失敗し、ラヴォスのエネルギーによって私はこの時代へやってきて、そしてあなたに見つけられた」
「……ラヴォスの力ならば、時間を越えることも不可能ではないと思っておりました。では、あなたははじめからラヴォスを倒す目的で予言者となったのですか?」
「左様です。予言者というのも、未来を知る立場だからこそできた話です」
「無理だわ、たったひとりでラヴォスを倒すだなんて人間ができることではありません……」
「私はそのために力を得たのです。血のにじむような経験で」
「やめて! あなたが死ぬだけです、あなたも父のようになるのはいや!」
「私はこのことをあなたの耳に入れておきたかった。海底神殿の竣工は近い。そうなれば、あなたと過ごす時間はもはやないのです」
 サラはうつむいてしまった。さまざまな出来事が続く中、彼女には酷な話だったかも知れない。だが、今が話すときだったのだと予言者は自分に言い聞かせた。

 ジール王国に代々仕える三賢者は、ジール女王がラヴォス・エネルギーを使うようになってから所在が知れない。ラヴォスの力を発見したのは三賢者自身だったが、ラヴォス・エネルギーの力に危惧を抱く三賢者の存在はジールにとって邪魔以外の何者でもない。ゆえに三賢者のうちひとり、命の賢者ボッシュはなげきの山に幽閉されている。サラは彼のことを気にかけていた。彼の力を借りれば、あるいはラヴォスの復活を阻止できるかも知れなかった。
 ある日サラはジールに呼び出される。最近は地の民の洞窟にひんぱんに行っているため注意されるのではないかと思ったが、そうではなかった。
「サラ、頼みがあるのじゃ」
「なんでございましょうか、母上」
「予言者の予言は知っておるな。わらわの計画を阻むものどもがおるという予言じゃ」
 クロノたちのことだ。サラは自分の背筋が冷えるのを感じた。
「やつらは海底神殿の建設を阻むと予言者は申しておる。ならば、おまえのペンダントでなければ開かぬここへの扉を囮に使おうではないか。海底神殿へは、ここを通らねばならぬからな」
「母上、それは……!」
「これは女王からの命令じゃ。よいな、三人組が現れたらここに来い」
「はい……」
 サラは母に従うしかなかった。
 次々とサラの元には難題が転がりこむ。とても自分ひとりでは解決できそうにはなかった。予言者の目的は、ラヴォスを倒すことであって、彼はジール王国のことは眼中にない様子だった。彼にクロノたちの件を相談するのは意味がないように思えた。
『おやすみの間』にはだれもいない。サラは、ベッドに倒れこむと人知れず涙を流していた。

 好意的なクロノたちを罠にかけるのは、サラの心を引き裂く行為だった。サラは自分の心が途切れていくのを感じていた。


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