『蒼の思い出』

●はじめに
クロノ・クロスとの整合性は特に考えておりません(書いている途中でクロスをやったもので、つながる部分もないわけではないのですが……)。ちなみに、予言者×サラとなっております(笑)。

 I章

 魔王が自ら呼び出したラヴォスの力によって、再び古代の時代に転移させられたとき、彼を最初に見つけ出したのはサラだった。

 寒さが、魔王の人間を超越した体にもしみわたった。洞窟の奥から人の声がする。こちらに向かって呼びかけているようだった。
 おぼろげな意識の中で魔王が見たものは、古い記憶の中の姉だった。思い出の中では、姉は彼にやさしくしてくれていた。記憶が古く、よく覚えていなかったため、はじめにサラを見たときはまさかあのサラだと言うことは気づかすにいた。だが、その立ち居振る舞い、しゃべり方、声、髪の色……それは、まさしく魔王ジャキの姉サラ・ジールだった。魔王は、ふいになつかしい想いに襲われる。もう幾星霜も感じていなかった感情であった。
 そして、そのときに別れざるを得なかった故郷に再び戻って来たのだった。思えば、皮肉な巡り合わせであると思う。以前はラヴォスによって故郷と姉から引き離されたというのに、今また、復讐を誓ったそのラヴォスの力によって故郷に帰還した。そして魔王を最初に見つけたのはわかれわかれになった姉のサラであった。なんとも運命の女神は悪趣味なものだ。
 いったん意識を失ったつぎに魔王が目覚めたのは、こぎたない洞窟の中だった。とても人間が暮らしているようには思えない場所である。だがここには見覚えがあった。アルゲティと呼ばれる地の民の洞窟である。サラはなぜかここによく出入りしていた。幼かったころの魔王ことジャキは、きれいな姉がどうしてこんな汚いところに好んで行くのかがわからなかった覚えがある。
「わたしはサラと申します。あなたが洞窟の中で倒れていらしたので、ここまで運んでまいりました」
 サラが魔王の顔をのぞく。昔は自分よりも背が高く、はるかに大人びていたのだが、彼女の顔はまだ成熟していない少女のそれだった。魔王は自分が過ごした年月の重さを知るのだった。やわらかい表情を浮かべるその顔は、凍傷の手前のようだった。氷河期のこの時代の中、自分よりもひとまわり大きい成人の男性を連れて来たサラの道中が易しいものではなかったことを物語っている。差し伸べられた手も痛々しかった。
 魔王はベッドと呼ぶには簡素なものからむくりと起き上がった。サラは魔王の体を気遣い、
「ここからは出ないようになさってください。外は猛吹雪ですので」
 と言った。
「では、そろそろわたしはおいとまします。何かありましたら長老さまにおっしゃって。わたしはまたまいりますので」
 サラはそう言って去った。サラは王族ゆえかこの場にふさわしくない神々しさを持ち合わせていた。
 サラに呼ばれてやって来たと思しき長老は、やはり他の地の民同様に、ぼろきれのような服をまとっていた。ここの民は男も女も子どももぼろきれをまとい、洞窟でそれぞれ暮らしている。それは、天上に住む光の民とはちがい、魔法の力を持たないためであった。光の民には、地の民を蔑んでいるような感があった。
「サラさまは王族だと言うのに、ほかの光の民とはちがって、わしらにやさしくしてくださる。まるで聖母さまのようだ」
 長老はサラの去った後を見つめていた。そして、魔王に向き直る。
「あんたはどこから来なさった。服装からすると、光の民かな?」
「地の民、光の民、どちらでもない」
「どっちでもないというと、どこの生まれなんだ。この世界のものは皆どちらか片方に入ると思ったんだが」
「そうでもないものもいるということだな」
「まあ、しばらくはサラさまの言うようにここで暮らしなさい。行く当てもないだろ?」
 たしかにそうではあるのだが、ここでじっとしているわけにはいかなかった。魔王の本来の目的、ラヴォスを倒すという目的は、こんなところにいては実現できない。そのために、サラの力を借りてでも王宮に潜入する必要があった。
 だがいくら王族であるサラとは言えど、放浪者を王宮にもぐり込ませられるとは考えにくい。ジール女王に進言し、うまく利用できるような立場……。いい案が浮かびそうで浮かばない。今日は考えるのを止めて、明日から行動をすることにした。
 夜になっても、この時代では吹雪が止むことはない。この時代は、氷河期に入っていたのだった。だが天上のジール王国は星の力や太陽エネルギー、そして最近になって研究されているラヴォス・エネルギーによって温暖な気候が保たれている。浮遊大陸はラヴォスのエネルギーによって支えられていた。
 吹雪のせいで星は見えなかった。魔王は万感の思いを秘め、天上にそびえるジール王国の方角を見つめていた。

 次の日もサラが訪れてきた。一日考えた魔王は、自分は旅の予言者だとサラに嘘を言った。予言者という立場ならば、あの好奇心の強いジール女王のこと、興味を示すだろう。何より魔王はこの時代からはるか先の王国歴六百年の未来に行った者だ。これから起こることを、あたかも「予言」したように告げるのはたやすい。
 魔王はもちろん彼女が実の姉であることを知っていたのだが、彼女にだけは正体を言うことはできない、と心の底で思うのだった。予言者と偽り、ジールに接触し、彼女にラヴォスを復活させ、そしてラヴォスを討つ。それが魔王の、あのときからの積年の決意だった。しかし、それはサラとの再会で揺らいでしまう。サラを連れだし、彼女に危険を強いるジールや光の民から解放させたい、彼女とひっそりと暮らしたい。そんなはかない夢が魔王の心をよぎるのだった。
 だが、それもラヴォスがいては所詮、かなわぬ夢。やはり、ラヴォスは魔王にとって倒さねばならない存在だった。
「私は先を見通す能力を持っております。サラ、ぜひ私を宮廷にお仕えする予言者として宮殿に案内していただきたいのです。あなたに介抱してもらった恩を返したい」
「でも、母は力を持つ者でなければ相手にはしないでしょう……。あなたの『予言』というものを証明していただかなければ」
 サラ自身もまだ魔王を信用しきれていない様子だ。そこで魔王は簡単な「予言」をしてみせた。宝物庫にある虹色の石が盗まれるというものだった。魔王はジャキだったときにそういう知らせを聞いていたのを覚えている。歴史が変わらなければ、この予言は当たると確信していた。
 そして数日後、魔王が言ったようにジール宮殿に安置してある虹色の石が盗まれた。地の民が疑われたが実際の犯人は欲に目がくらんだ光の民だった。サラは驚嘆した。さっそく、魔王は予言者として女王に謁見したいとサラに申し出る。彼女は快く承諾をした。
「ところで、気になることがあるのです」
 並んで歩いているサラが魔王を見上げる。
「なんでしょう」
「あなたの使う力と、わたしのものと、似た力を感じるのです。血筋が似ているのでしょうか」
「左様ですか」
 そんなサラは喜んだような表情になった。魔王に自分と近いものを感じ、親近感を感じているのだろうと思った。魔王は力が似ている理由が言うまでもなくわかっていた。サラも自分もジールの腹から生まれた姉弟なのだから。魔王には喜んだサラの表情が新鮮だった。

──

 旅の予言者として、サラの仲介でジールに謁見した魔王は、次々に予言をし、どれもがぴたりと的中した。魔王は未来から訪れたものなのだから当然の結果だった。そして次第に、ジールもサラも光の民も、次々と予言を当てる予言者に対し尊敬の眼差しで見つめるようになった。中でもサラは、予言者を頼りにするようになる。サラは父親である先王を早くに亡くし、父の姿を予言者に見ているようだった。予言者もサラと同じように先王の血を引いているのだから、それは当然のことかも知れない。そして予言者も、サラから頼りにされることをいといはしない自分に気がついていた。
 サラは魔神器という装置でラヴォス・エネルギーを取り出し、またラヴォスの安定を保つという役目があった。魔神器を動かすには、サラほどの魔力がなければいけなかったのだ。ラヴォスの力の実体を知らなかった彼女は、はじめは人々のためにと快く魔神器の操作を引き受けた。だが、動かしているうちにラヴォスの力の恐ろしさを知った彼女は、ジールにやめるように諌言した。だがジールはラヴォスの力に手をつけはじめてから明らかに変わっていた。ジールは夫である国王を亡くしてから、ジール王国をひとりで支え、かなり心労がたまっている様子だった。そこへ現れたラヴォスのエネルギーはジールの悩みをすべて解決するものだっただろう。それからというもの、ジールはラヴォスに取りつかれたようになってしまった。責任を感じたサラは、母はいつか元のようになってくれると信じ、ジールの命令に逆らうことができなかった。
 そんなサラの心の安らぎは、弟ジャキとの会話である。ジャキはまだ幼いのだが、魔力の素質だけならサラをも凌駕する。おそらくはジール王国随一だろう。だがジャキは、姉や母を苦しめる力というものを憎み、ずっとサラ以外に心を閉ざしてしまっている。
「姉上。あのへんなやつは姉上が連れて来たの?」
 ジャキは不機嫌な様子だった。へんなやつとは予言者のことだ。彼の腕の中にいるネコのアルファドが鳴き声を出した。
「へんなやつだなんて、彼は国のためによく尽くしてくれているのよ。そんな言い方はよくないわ」
「だって、いきなり現れて旅の予言者だなんて。それに、光の民でも地の民でもないんだ。おかしいよ」
「たしかに、彼の素性はよく知らないけれど……」
「でしょう。だから姉上はあいつを信用しないほうがいいよ」
 サラは予言者を慕っていたし、予言者もサラの話につき合ってくれる。だが、サラは予言者のことをこれっぽっちも知らないのだった。
「でもジャキは、人を疑いすぎね」
 そう言うと、ジャキはふくれたような顔になった。
「姉上は人を信じすぎてるのさ」
 ふいっとジャキはそっぽを向いてしまった。
 人を信じすぎている。そう言われてしまえば、反論できないサラであった。

 サラに取って魔神器を安定させる作業は日課であった。魔神器はすぐに安定することもあれば、何時間もかけて調整しなければいけないこともある。何にしろ、魔神器を用いてラヴォスに接触するのだから楽なことではなかった。
 予言者は、今日はじめて魔神器を見ることとなる。サラの付き添いとして魔神器の調整の場にいることをゆるされたのだった。
「魔神器とはどういったものなのですか」
 魔神器の調整が始まる前、予言者はサラに質問した。予言者も具体的に魔神器がどういうものなのかは知らなかった。
「魔神器は、海底に眠るラヴォス神の力を引き出し、ラヴォス神の力を安定させるというはたらきを担っています。魔神器、つまりラヴォスの力でジール王国の人々は生活しているといっていいでしょう。灯りも暖も、以前の星の力を使ったものよりもはるかに強大で有用です。それを発見した三賢者もわたしも母も、渡りに船とラヴォスの力に手を出しました。でも、万能というものはこの世界にはないのです。ラヴォスの力は危険です。いずれ、ラヴォスはジールを蝕み、この世界を食らってしまうことでしょう」
 サラの表情が恐怖におののく。
「わたしは、そんなことに手を貸したくはありません……」
「では、あなたはなぜこんなことを続けるのです」
「母は……仕方がなかったんだと思います。父が亡くなって、いっとき国は凋落しました。滅亡も噂され、途方にくれていた母に取ってラヴォス・エネルギーがどれだけ希望に満ちていたかわかりません。だからわたしは、母が自らお心を取り戻すまで、魔神器の調整を続けようと誓ったのです。それにわたしが拒めば、魔神器を動かせるだけの力を持つのはジャキだけです。まだちいさいあの子にはつらい目にはあってほしくありません」
 なぜ、あなたはそこまで自らを殺せるのだ。予言者はあまりに強いが同時に脆い彼女の、マリンブルーの瞳を見つめた。サラの瞳は海のように深く、青い。
 魔神器が、サラたちの前にそびえ立つ。魔神器は人間の着用する鎧のような形状をしており、いわゆるロボットに似た姿だった。全長は五メートルほどで、高さは予言者四人分ほどの巨大なものだ。場に入ると、魔神器の強大な力が予言者にも伝わってくる。ラヴォスの力をまともに浴びれば一般のものでは耐えられず命を落としてしまうだろう。調整の終わったあとの魔神器は人々の目につくところにあり力をもらうことができるが、あれは魔神器、すなわちラヴォスの本来の力の一パーセントにも満たない安全なものだということを予言者は思い知った。
「サラ……」
 予言者が案じて彼女の背を見ると、サラは慣れたように魔神器のうねる力をコントロールしている。まわりではジール女王や護衛の兵士がサラのなすがまま、淡々と眺めていた。自分は毎日、毎日サラにこんな労苦を強いていたのかということを思い、予言者は血がにじむほどに手を握りしめるのだった。
 その日の魔神器の調整には小一時間ほどかかった。サラによれば今日はまだよいほうなのだという。
「まだ朝食を摂っていないので、ジャキといっしょにブランチをいただきますわ。よろしければ予言者殿もごいっしょにいかがです?」
 サラはジールと予言者に告げる。あのような、胃をねじられるような作業のあとで、サラは少女らしい笑顔を見せた。白い顔に疲労の色がにじんでいる。
「私でよろしければ」

 ブランチは宮殿の王族専用の食事室で用意された。予言者は王族ではないのだが、護衛として特例で同行を許可された。
「ここは眺めがいいのですよ。ほら、あそこに湖が見えるでしょう。あそこの水は自然の湖なんです」
 食事室の窓辺に座ったサラが指さした。ジャキはロールパンをかじりつつもすこし面白くなさそうな顔である。アルファドがひなたぼっこをしてまどろんでいる。ジャキは、予言者のようにいつもサラと顔を合わせていられるわけではないのに、予言者が割って入ってきたのが不服のようだ。
「予言者殿はもうお食事は召し上がったのですか」
 黙々とサラダを口にする予言者にサラは尋ねた。
「ええ」
「食べるときぐらいフードを取ればいいのに」
 ぽつりとジャキが悪態をつく。
「ジャキ、失礼でしょう」
「ごちそうさま」
 ジャキはアルファドを連れて食事室を出ていってしまう。
「しようのない子なんだから。ジャキは、あなたに悪気があるわけではないのです」
「そうですか」
 ジャキは昔の自分の姿。あふれる感情を抑えずにサラにぶつけていた時代だった。サラにはうれしいこともかなしいことも、いやなことも言えた。今、こうしてサラと再び出会い、サラに近い場所にいられるのは僥倖だったが、同時にそれがなければラヴォスを倒す目的ももっと早くに達成していたかも知れないと思う気持ちもあった。
「おいしいわ、この卵」
 年頃の少女の顔をしたジールの王女は卵焼きを予言者にも勧める。予言者は彼の知らないサラの一面を見た気がした。思えばサラの食べ物の好き嫌いなど全く知らない。
「……予言者殿は、いつまで宮殿にいらっしゃいますか」
「なぜ?」
「ラヴォスの力は強大です。あなた自身が命を落とすかも知れません。これからもわたしとともに魔神器の間までいらっしゃるというのでしたら、危険がつきまとうということを申しておかなければなりません」
「承知しております。私は今後もジールにお仕えしましょう」
「……ありがとうございます。ジールの王女として、その言葉はうれしい限りです」
 予言者がジールに仕えるのは、ラヴォスを倒す目的のためであった。しかし、予言者は、サラの近くにいられることをはからずも幸福に思っているのだった。

 サラとジャキの部屋である『おやすみの間』を出たサラは、宮殿内の様子を見に回ることにした。これも王国の王女として必要なことだった。
 歩きなれた豪奢な宮殿の中を歩いていると、曲がり角に鉢植えに植えられた苗を見つけた。
「これはどなたのものですか?」
 と、近くの光の民に聞いてみる。
「私は存じません。そこに置いてあると邪魔になりますので、別へ寄せていただきたいのですが」
 サラは光の民独特のけんもほろろな言い方が好きになれなかった。しかし、通るのに不便なのはちがいない。サラは自分の部屋に持ち帰ることにした。その途中、通りすがる予言者に会った。
「まあ。予言者殿ではありませんか」
「これはサラ。ごきげん麗しゅう」
 予言者の顔を見て、好奇心から自分の定めを知りたいと思うようになったサラは、予言者に予言をしてもらうように言う。だが、予言者は中世の時代にタイムワープしてから、サラがどうなったかと言うのは知らなかった。その後、彼女が幸福な人生を送っただろうとはとても思えない。
「人の未来など知るものではありません」
「わたしの未来は、わたしに告げられないものなのですか?」
「そうは言いません。あなたの未来ははっきりとは見えないのです」
 サラのまつげが下へ向く。彼女は自分自身、運命の女神に愛されているとは思っていないようだ。サラは自分の運命を聞くのをあきらめた。
「あなた自身の未来は、予言できるのですか?」
「私の未来は、残念ながらわかりません。それに……こんな職の者が言うべきことではありませんが、未来は黙っていれば悪いものしかやってこないように思えます。よい未来は、死ぬような覚悟でつかみとる生々しいものだと私は思うのです。サラ、あなたも未来はあなた自分の手で掴んでほしい」
 予言者の言葉に偽りはなかった。この時代を追われ、あれからずっと、予言者、魔王は生きるための道を必死につかみとってきた。今は予言者という立場ではあるが、未来とはそのようなものだと彼は信じていた。
「……わかりましたわ。わたしも未来に自分の生き死にを決められたくありませんから」
「あなただからこのようなことを言うのです。荒廃したこの国を救えるのはあなただけです。あなたはぜひ、自らの手であなたとこの国の未来をつかんでいただきたい。そのために、私はあなたが必要ならばいつでも力添えをしましょう」
「心強いお言葉、ありがとうございます。ご助言はしかとこの胸にとどめておきますわ」
 胸に手を当ててサラは柔和にほほえんだ。
「ところでその鉢植えは?」
 予言者に尋ねられ、サラは手に抱える鉢植えを見下ろした。
「角に置いてあったものです。わたしが保管しようと思いまして」
「私が持ちましょう」
「あ、すみません」
「この場所に苗など珍しいですね」
「そうですわね。人工苗でもないようですし」
 予言者は苗に不思議な力を感じるのだった。

 あるときサラは、体調を崩した。疲労とストレスからのものだ。魔神器の調節にはかなりの体力を要する。これでは魔神器を動かせないと判断したジールは、サラには体調が戻るまで静養するように命じた。サラは正直な気持ち、魔神器を動かさずにすみ、ほっとしていたが、こんなことが母やおせっかいな側近ダルトンの耳に入ったらどうなることか。ダルトンは典型的な光の民じみた性格の男だった。
『おやすみの間』にノックの音が響いた。
「どなたですか」
 あまり話す元気がなかったが、サラは病床で答えた。弟のジャキであったらいいと思う。
「予言者です」
「どうぞ」
 予言者が来たと言うことですこしサラは安堵した。
「おからだの具合はいかがでしょう。お食事を持ってまいりました」
 相変わらず予言者の口調は淡々としていたが、その奥にはサラへの気遣いが感じられてうれしかった。
「ありがとう、予言者殿。まだ頭がふらつくの」
 と言ってサラは起き上がろうとする。それを予言者は止めた。
「まだよろしくないのなら、横になられていてください」
 予言者に止められ、サラは再び床についた。長いまつげがうつむく。
「お食事は摂られますか」
「いえ。まだ結構です」
「では、私はこれで」
 予言者は去ろうとしたが、サラは急に不安になった。
「お、お待ちになって」
「何か?」
 サラは黙してしまう。
「魔神器なら、現在は駆動しておりませんよ。あなたの力がないので」
「そうではありません。わたしは、あなたに聞きたいことがあるのです」
「なんでしょう?」
「わたしがあなたを見つけてから一月あまり、あなたはわたしに何も語ってくださらない。わたしはあなたの名前すら知らないのです。予言者殿、あなたの名前を教えてください」
「サラ……私には、名前はないのです」
 サラは予言者の答えにじれったくなった。
「そのようなわけがありません。なぜ、おっしゃってくれないの? わたしはあなたが信用するに足りませんか?」
「サラ。あなたは病の身。気持ちが昂ぶっているのです。おやすみになったほうがいい」
「いいえ! わたしは平気です。わたしには、時間がないの」
「時間がないとは……」
 そのとき、扉にまたノックが響いた。
「姉上……」
 ジャキが来たのだった。
「ああ、いらっしゃい、ジャキ」
 ネコのアルファドを抱えたジャキが、中に入るなり予言者の姿を見て顔をしかめた。ジャキはサラに近づく予言者を憎んでいた。予言者はサラに悪意を持っているのだと思っているようだ。
「もう姉上には近づくなよ」
 ジャキは予言者をねめつけた。子どもにはかなわないと判断した予言者は『おやすみの間』を去ることにした。
「どうして姉上はあんなやつのことを気にかけているの? ボクにはわかんないよ」
「予言者殿はわたしたちによくしてくれているわ。ジャキがもっと大きくなったらわかるでしょうね」
 姉の気持ちを理解するには、ジャキはまだ幼かった。姉は予言者に自覚せぬあこがれを抱いていたのだった。

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