十二月のカレンダー小説

オーロラの中で魚と踊りたい


 ――12月20日。本日の天気はコットンでしょう。

 ふわふわモコモコしたあまたのコットンが、空から一斉に降り落ちてきました。地上に到達したコットンは、ポンとはじけ、銀色の花へと姿を変えます。家の屋根や、森の木々や、砂利道に、銀の花がどんどん積み重なって、あたりの風景をキラキラ覆ってゆきます。
「ファック……これじゃ、また花掻きしなくちゃいけないよ」
 ログハウスの窓から恨めしそうに白い空を見上げ、悪態をつく女の子。ビリビリのジーンズ、『ANARCHY』とプリントされたTシャツ、ロングヘアにボンボン付き赤い三角帽――そんな出で立ちで、ため息をつく女の子。
 女の子は、北斗七星ナナといいます。
 実はそれだけでは、ありません。彼女にはもう一つ別の名前があるのです。その別の名前とは……
「メールが山のように届いていますよ、サンタ」
 ちょうど今、呼ばれました。もう解りましたね。そうです。北斗七星ナナは、またの名、サンタクロースなのです。毎年クリスマスに子供達へ夢を贈り届けている、みんなの人気者――あの、サンタクロースです。
「読み上げてちょうだい、トナカイ」ソファの上から、北斗七星ナナは指示を出します。
 先ほどナナへ声をかけたのは、サンタクロースの助手として雇われているトナカイでした。四角いしゃれた眼鏡をかけて、頭のいい学者を気取っているようです。
「返事はどうします?」
「わたしが言った通りに返信して」
「承知しました、サンタ。では、読み上げます」トナカイは爪先で眼鏡をちょこっと動かしました。「『サンタさんへ。僕が欲しいのは、高級外車と高級腕時計と高級ブランド服のセットです』」
「百万回地獄へ堕ちろ、ファック」北斗七星ナナは、腕組みをして、突き放すように言いました。
 トナカイは言われた通りに、返事を打ち込みます。
「『百万回地獄へ堕ちろ、ファック』……送信、と」
 次のリクエストです。
「『僕が欲しいのは……サンタさん、あなたです! どうか、僕とぽにょぽにょして下さい』」
「ファック!」パンに飛んで来たハエを追い払うときみたいな顔で、ナナは言います。「ベッドで萌えフィギュアでも抱きしめて、脳内美少女に慰めてもらってろ、ファック!」
 トナカイは上目でサンタを一瞥してから、
「『……脳内美少女に慰めてもらってろ、ファック』……送信」
 今のリクエストが気に入らなかったようで、ナナはジグザグ形のイライラ波を放ちました。飛来したイライラ波をトナカイは軽くかわし、次のリクエストを読み上げます。
「『僕の可愛いサンタクロース。一年に一度だけ君に逢える聖夜を、僕はどれだけ待ち焦がれただろう。愛しいサンタ、僕は君の為に上等のワインを用意した。もちろん、君の期待を決して裏切ることのない高価なプレゼントも準備してある。クリスマス・キャロルの流れる部屋で、二人きりのサイレント・ナイトを過ごそう。ドアの鍵を開けて待っている。高層マンションの部屋に、煙突は無いからね』」
「寒!」ナナはいきなり北極の氷原に放り出されたくらいの寒気を感じました。「寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒!」
 幾分取り乱すサンタを、トナカイは心配そうに見つめます。視線に気づいたナナは、姿勢を正しくして、一度こほんと空咳を挟んでから、
「お気持ちはありがたいのですが、クリスマス当日は目も回る忙しさで、あいにくスケジュールに余裕がありません。皆さんとゆっくり出来れば嬉しいのですが、なかなかそうもいかず、申し訳なく思います。どうか素敵なクリスマスをお過ごしください。サンタクロースより」
「『お気持ちは…………あいにくスケジュールに…………なかなかそうもいかず…………』」
「どいつもこいつも……」ナナはソファに姿勢を崩して、はあ、とため息を吐きました。「わたしにだって特定の彼氏くらい、いるっての」
「『わたしにだって特定の彼氏くらいいるっての』……送信」
 にわかに北斗七星ナナは立ち上がりました。目が真ん丸です。
「……こらあ!」力いっぱい怒鳴ります。「このファッキン・トナカイ! 今、何を送った?」
 一瞬トナカイは呆気にとられたようでしたが、やがてくつくつと笑い始めました。
「あはは……冗談ですよ、サンタ。冗談です。あはは……は……」
 瞬間移動。
 コンマ数秒前には向こうにいたはずのサンタが、気づけばもうトナカイの目の前に立ちはだかっています。その上、不動明王レベルのものすごい形相ですから、トナカイはすっかりフリーズしてしまいました。
 硬直したトナカイのツノに手を回し、ナナがぐっと迫ります。
「な べ に し て 食 う よ」
「ツノを引っ張らないでください。ツノを引っ張らないでください……」

 こんな調子で、ろくでもないリクエストメールが次から次へ読み上げられていきました。
「ブラックホールに呑み込まれて跡形もなく消え失せろ、ファック」
「『……跡形もなく消え失せろ、ファック』……送信、と」
 子供たちにプレゼントを届けるのがサンタの仕事ですが、なぜか大人からのリクエストの方が多いのです。
 ナナはだんだん嫌になってきました。「イライラ波」に続いて「イヤイヤ波」を出しそうになったところへ、ようやく子供からのメールが読まれます。
「次です。『サンタさんへ。わたしがほしいのは、オーロラの中で、お魚さんと踊ることです』」
「ほお……」ナナは感心しました。「ロマンチックで、いいじゃない。誰から? 女の子?」
「『クラムボン転生症のほうき星より』と、あります」
「クラムボンテンセイショウ?」
「クラムボン転生症」トナカイは眼鏡をちょっと動かしてから、学者を気取って、説明を始めます。「患者が百年に一人現れるか現れないかという、大変珍しい奇病です。病気を発症すると、身体が徐々に軽くなり、最後にはクラムボンになってしまうそうです。原因が特定出来ていない、治療方法も確立していない、厄介な難病ですよ」
「ほうき星ちゃんは、クラムボンになってしまうのね……」
「メールはこう続きます。『お医者さまに、あと半年で完全なクラムボンになる、といわれました。そうなると、もう大好きなお魚さんと泳げなくなるし、もう大好きなオーロラを見ることもできません』」
 北斗七星ナナはソファで身体を前に倒し、膝の上で頬杖をつきます。
 それきり二人は黙ってしまい、外はコットンがいつまでも降り続いていますので、部屋はとても静かです。
「ほうき星ちゃんは」ナナが顔を上げました。「オーロラの中で魚と踊りたいのよね?」
「はい。問題は、海にいる魚を、どうやってオーロラの中へ移すのか……」
 ナナは頬杖をついて、トナカイは腕組みをして、熟考します。
 ――やがて。
「浮かんだ」ナナが嬉しそうに言いました。きょとんとするトナカイに、こんな風に続けるのです。「オーロラはエメラルドグリーンじゃない? 海もエメラルドグリーンじゃない?」
「ああ、そういうことですね」合点したトナカイがうなずきました。
「すぐに返事を打って、トナカイ」まっすぐにパソコンを指差して、言います。「ほうき星ちゃんへ。クリスマスの日を、ダチョウくらい首を長くして待っていて! 夢みたいなプレゼントを届けに行くよ。サンタクロースより」

 ――12月25日。本日の天気は、くもり。ところにより、コットンが降るでしょう。
 
「ほうき星ちゃん、メリークリスマス!」
 部屋のドアをばんと開き、北斗七星ナナは舞台へ飛び出すアイドルみたいな勢いで、ダイナミックに登場しました。
 子供が入りそうな大きな布袋を肩に担ぎ、助手のトナカイも後から続きます。
「メリークリスマス。サンタさん、トナカイさん」
 三角耳に赤いリボンをつけた真白な猫の着ぐるみに身を包む女の子。彼女が、ほうき星です。窓辺の藤製の椅子に腰掛けています。
「ほうき星はね」自分で自分をほうき星と名乗って、話しはじめました。「あと半年たつと、クラムボンになってしまうの。でも怖くないわ。クラムボンになれば、天の川の上を飛んだり、オリオン座に行ったりできるもの」
 うん、うん、とナナはうなずきます。トナカイはかしこまって、ほうき星の話を聞いています。
「だけど、お友達と遊べなくなるのは悲しい……パパやママと会えないのも……」
 着ぐるみの猫耳が、ぺこりと倒れてしまいました。長いシッポも、しゅんと垂れています。
 部屋の中は、急に夜になったみたいに、静かです。
「そうだ」ほうき星の猫耳がまたピンと立ち上がりました。「サンタさん、プレゼントはあるの?」
「忘れた!」
 びっくりしたほうき星があんまり目を真ん丸にしましたので、トナカイがあははと笑いました。
「プレゼントを持って来ないサンタなんて、いるはずありませんよ」
「よかった! それじゃ、プレゼントはあるのね」
 ナナはにこりとして、
「プレゼントを渡す前に、お願いがあるんだけどね。歌を唄ってほしいの。ほうき星ちゃんは、どんな歌が唄えるかしら?」
「うーん……『激辛カレーを食べたパンダ』なら唄えるわ」
「オーケー」ナナはほうき星に顔を近づけて言います。「まず目をつむって。目を閉じたまま『激辛カレーを食べたパンダ』を唄うの。唄ってる間は、目を開けちゃダメよ。ぜんぶ歌が唄い終わったら、もう目を開けていいわ。ほうき星ちゃん、わかった?」
 こくっとうなずいて、ほうき星はまぶたを閉じました。頭の中でエレクトーンの伴奏が始まり、手で小さくリズムをとりながら、元気よく『激辛カレーを食べたパンダ』を唄い始めます。

 パンダがカレーを食べました
 激辛カレーを食べました
 辛くてカレーが燃えてます
 バチバチカレーが燃えてます

 辛辛辛辛 たまらん たまらん
 辛辛辛辛 たまらん たまらん

 パンダは悶絶ゴロンゴロン
 床の上をゴロンゴロン
 カレーが辛くて火がついた
 パンダのおしりに火がついた

 辛辛辛辛 たまらん たまらん
 辛辛辛辛 たまらん たまらん

 食後のデザート さとうきび
 あぐあぐ噛んで 口なおし

「ここは、どこかしら?」『激辛カレーを食べたパンダ』を唄い終わって目を開けると、そこはもう、ほうき星の部屋ではありませんでした。
 くるりと見回すと、小さな花や緑の葉が敷かれた小高い丘の上のようです。
 丘はなだらかに下って、緑が切れた向こうには、エメラルドグリーンの海が目も回るほど遙かに広がっています。
「ここはプレゼントの舞台よ」
 その声に振り返ると、サンタとトナカイが並んで立っていました。
「舞台?」
 サンタがおかしなことを言うので、ほうき星は首をちょこんと傾げます。
「ほうき星ちゃんがヒロインよ!」
 ますます分からなくなって困っていますと、トナカイが割り込みました。
「リクエストの確認ですが、『オーロラの中で魚と一緒に泳ぎたい』、これで間違いありませんね?」
「うん。間違いないわ」
「では、説明します」例のごとくトナカイは眼鏡をちょっと上げて、教授みたいな顔つきで話します。「まず始めに、オーロラを地上まで降ろします。次にオーロラの裾が海面に達したところで、オーロラと海を繋ぎます。オーロラの揺らぎの振幅と海面の波の振幅のずれがちょうど良いところで、オーロラの裾を波間にすべり込ませ、摩擦で繋ぎ合わせるのです。オーロラのエメラルドグリーンと海のエメラルドグリーンが溶け合って境界が消え去り、海中を泳ぐ魚は、海とオーロラの見分けがつかなくなるでしょう。その間に魚たちをオーロラ内へ誘導するのです」
「ふうん……」実を言うと、ほうき星はトナカイの立派なツノが気になって、話をよく聞いていませんでした。
「あとは魚たちの輪の中に飛び込んで、存分に踊っていただくだけです。何かご質問は?」
「もういいから、早く始めてちょうだい。早く早く」
 トナカイはうなずき、持って来た大きな布袋から、七色に光るものを取り出しました。何が七色に光っているかと思えば、虹でした。もっと正確に言うと、虹のギターです。
 北斗七星ナナに、虹ギターは手渡されました。いよいよサンタクロースの出番です。
「アユレディー?」ナナはギターを構え、右手を天に向けて高く差し上げます。
 レスポンスの代わりに、ほうき星は両手を開いて、ぴょんと飛び上がりました。
「ファ――――ック!」
 叩き付けるみたいな勢いで右手を振り下ろし、サンタ・ナナはギターを掻き鳴らします。
 それは大変ものすごい、すさまじい、むちゃくちゃな音でした。怒り狂う怪獣の荒々しい雄叫び、という言い方がぴったりでしょう。
 余りけたたましいので、ほうき星は指先を耳に突っ込んで、蓋をしました。
 それでもナナは狂ったようにギターを鳴らし続け、怪獣の雄叫びは一向に止まりません。切れ目なく響く音は雄叫びから大嵐になり、そのうち、不思議なことが起きました。さっきからあれほどうるさくてむちゃくちゃだったのが、だんだんフワフワした音のように聴こえてきたのです。
 気づくともう、ほうき星の足は地面を離れていました。ゆっくりゆっくりと、フワフワ浮かんでゆきます。
 続いて頭上を見上げると、空いっぱいに虹の道が延びていました。見上げているうち虹がぐんぐん大きくなってきて、天から降りてくるのがわかりました。
 あっという間にほうき星の身体は虹に包まれ、前も後ろも右も左も、細かな粒が七色にキラキラ光って、舞っています。虹ギターの音が、七色の粒へと変化したのでしょう。ほうき星は夢中になって、両手を広げ、バレリーナみたいに空中でくるりと回りました。
 と、もう次の瞬間には、光景が一変していました。七色の光が、いつしかエメラルドグリーンへと、変色しているのです。
 エメラルドグリーン。そうです、もうオーロラが降りて来ていたのでした。どういうことかと言うと、こうです。虹とオーロラは仲の良い友達なので、地上へ向かう虹の後をオーロラがついて来たのです。
 オーロラはまんまと裾を海面に突っ込みました。
 オーロラと海が首尾よく繋がりますと、端から端まですべてエメラルドグリーンですので、いったいどこからどこまでがオーロラなのか、どこからどこまでが海なのか、魚たちにはまるで見分けがつきません。さっきまで海中を泳いでいた魚たちが、面白いようにどんどんオーロラへ流れ込んで行きます。
 オーロラはすっかり海になりました。
 エメラルドグリーンのカーテンに覆われ、空中にぷかぷか浮かぶほうき星の周囲を、銀色の小魚の群れがぐるぐる回っています。
 頭上を飛行機が通過したと思ったら、マンタでした。足下を潜水艦が通過したと思ったら、シャチでした。
 目の前にはナポレオンフィッシュが近寄ってきて、ヘンチクリンな顔でにらめっこをしかけて来ます。
 向こうではオーロラがゆらゆらするのに合わせて、クラゲたちもゆらゆら舞っています。
 うらやましいくらい気持ちよさそうに泳ぐチョウチョウウオについて行こうとしますが、いかんせんほうき星にはヒレがないので、手足をばたつかせてもオーロラの中をうまく進むことが出来ません。ところへウミガメがジャスト・タイミングで脇を通り抜けようとしたので、ほうき星は両手を伸ばし、甲羅に飛びつきました。
 ウミガメはオーロラの間を爽快に飛び回り、エメラルドの光を浴びた魚たちが浮遊している不思議な世界を案内してゆきます(こんなビックリするような遊覧飛行が、かつてあったでしょうか)。次から次へ現れる夢のようなシーンに驚いたり歓声を上げたりして、ほうき星はすっかり有頂天となり、笑いが止まりません。
「このままずっと飛び回っていたいけど、ここまでにしておくわ。だって、オーロラの中でお魚さんと踊るのが、ほうき星のクリスマスプレゼントだもの」
 甲羅から両手を離し、ウミガメにバイバイすると、ほうき星は身体を丸め、手を握りしめて腕を数字の「2」の形に曲げました。
 ちょうど、猫の姿勢です。ほうき星は真白な猫の着ぐるみ姿ですから、すっかり猫になりきっているのでした。
「ニャニャーン」
 ゴムみたいに伸びたり丸まったり、軽やかにジャンプしたり、舌をペロリとして魚を追いかけたり。大好きなお魚たちに囲まれて、シアワセ極楽気分の猫が大はしゃぎで舞うキャット・ダンスです。
 エメラルドグリーンの灯りに照らされ、星形のヒトデがくるくる回って背景を楽しく彩り、タコやエビやタツノオトシゴがバックダンサーを務め、ほうき星のキャット・ダンスは華やかなショウ・ステージとなりました。
 この賑やかなムードに誘われ、はるばる深海からやってきた巨大な影があります。あれは何でしょう?
 答えはダイオウイカです。このダイオウイカときたら、大変なイタズラ好きなのです。マッコウクジラを見かけると、すぐにその頭へ長い脚を絡ませて、困らせます。吸盤がぺたぺた引っついて気持ちが悪いから離れてくれとクジラが言っても、聞く耳持たず、ダイオウイカは愉快に思っているのです。
 そんな風ですから、あまりに楽しそうなキャット・ダンス・ショウを観るうち、またぞろイタズラがしたくてたまらなくなりました。
 ダイオウイカはゆらゆら揺れるオーロラの襞を吸盤で絡め、ぐいぐいと引っ張り始めました。ついにオーロラはピリピリ音をたてながら破れ出し、その破れたところから、破片がちりぢりばらばらになって、舞い飛んでゆきます。
 ふわふわ空中を舞うオーロラの破片は、エメラルドグリーンの翅をもつアゲハ蝶に姿を変えました。無数のアゲハ蝶が大空を飛び回り、てんでに東へ西へ南へ北へ、エメラルドグリーンの翅を華麗に羽ばたかせ、世界中へ向けて飛び去って行ったのでした。

 街の上空を、気絶しそうなくらいたくさんのアゲハ蝶がぱたぱたと飛んでいます。
 アゲハ蝶の通った後には、必ずオーロラが現れました。なぜかと言うと、翅から落ちたエメラルドグリーンに光る鱗粉が空中で集まって、元どおりのオーロラになるのです。
 にわかに街を覆うオーロラに、人びとは言葉がありません。
 アゲハ蝶は世界中に飛び散りましたから、どこもかしこも、あちらもこちらも、津々浦々、オーロラが出現しました。世界中、オーロラだらけです。
 ハバラ砂漠の空にも、オーロラが現れました。エーヌーヌ河に沿うように、オーロラが広がりました。チャモラスク山の真っ白な頂にも、オーロラが被さりました。エッヘン塔も、カルル大橋も、バーンシユ城も、アイモンの石像も、みんなみんなオーロラに包まれ、この世のものと思われない不可思議な姿を披露しています。

 石だたみのカフェテラスでサンドイッチを頬張るお団子ヘアの女の子。仕事の休憩中なのでしょうか、『四季ノ国屋』というロゴが入ったエプロンを着け、胸に名札も見えます。
『遠野物語キウイ』と、名札に刻印されています。
 彼女のテーブルに、一羽のエメラルドグリーンのアゲハ蝶が近づいてきました。そのまま優雅にテーブルの上を横切ります(テーブルに置かれた透明の炭酸水は、アゲハ蝶が通り過ぎたあと、メロンソーダに変わりました)。
 さらに飛び去って行くアゲハを目で追うと、その先におかしな光景が広がっていることに気付きました――無数のアゲハの群れ、それに、場違いに揺れるオーロラまで……。
 遠野物語キウイは不意に立ち上がって、バッグの口を開きました。
 中から何を取り出したかと言えば、数本の突き出す棘を有する、渦巻き形の真っ白い貝殻でした。彼女は貝殻をそっとすくうように両手で持ち上げ、口元に添えます。
 ホ――オ。フ――ウ。
 優しい音色が辺りに響き渡ります。
 白い貝殻のオカリナを吹きながら、遠野物語キウイは石だたみを歩き始めました。するとオカリナの優しい音楽に誘われるように、エメラルドグリーンのアゲハの群れが、彼女の後を一斉について行くのです。
 ホ――オ。フ――ウ。
 四方八方からどんどんアゲハ蝶が集まって来て、上空をオーロラ色に埋め尽くしてゆきます。その数といったら、頭が変になりそうなくらいです。
 石だたみは急な登り坂に変わります。オカリナを奏でつつ坂を登りきると、教会塔がそびえる小高い丘の上の広場に出ました。縁を囲う柵の向こうに目を向ければ、街の端から端までいっぺんに見渡すことが出来る、そんな眺めの良い広場です。
 ここで行進が止まり、オカリナの演奏が止みました。
 遠野物語キウイはバッグに貝殻をしまい、替わりに取り出したものがあります。
 古めかしい、黒い表紙の分厚い本です。本を開くと、おかしなことに、何も書かれていません。
 その白紙の頁に一羽のアゲハが、すうっと吸い込まれ、消えてしまいました。また別の一羽が飛んで来て、同じように、開いた頁の中に吸い込まれました。
 それからはもう、上空に飛んでいた無数のオーロラアゲハ蝶が一斉に降下して来て、次から次へと本の中に吸い取られていくのでした。ちょうど掃除機のようです。
 すっかり残らずアゲハ蝶を吸い取ったところでぱたんと本を閉じ、遠野物語キウイはふうと息を吐きました。
 一息ついてから、お団子ヘアのお団子部分に手を遣り、クルクル左方向へ回転させます。
 ぱかっ。お団子部分が外れました。
 握りしめた野球ボール大のお団子を口先に向け、
「こちら四季ノ国屋書店店員コードP33遠野物語キウイ。応答願います」
『四季ノ国屋書店主任のKだ。遠野物語キウイくん、ご苦労様。成果はあったかな?』
「たった今、カレンダー企画用物語を回収、および保存しました」
『よろしい。直ぐに発送してくれたまえ。ペンギン便とマンボウ便があるが?』
「マンボウ便でお願いします」
『では早速マンボウ便を手配するとしよう。物語がこちらに届き次第、企画会議にかけるから、結果が出るまで、そのまま待機しているように』
「朗報をお待ちしています」
『カレンダー企画に無事採用されたら、焼肉をおごろう』
「固辞します。ヒンドゥー教徒ですから」
『そうか。では引き続き注意して職務にあたってくれたまえ。くれぐれも事故の無いように』
 しばらく経つと、遠くの空に銀色のバルーンが浮かんでいるのが見え、広場へぐんぐん近づいて来ました。その姿かたちが明らかになると、バルーンではありません。ピカピカのマンボウでした。
 ヒレをぱたぱたさせて空を泳いで来たマンボウは、遠野物語キウイの顔の前で停止して、おとなしく待っています。
 キウイは先ほどの黒い表紙の本を取り出し、マンボウの羽に紐で結び付けました。そしてマンボウの横っ腹にマジックで『四季ノ国屋書店行 カレンダー企画原稿在中』と記入しました。
 荷物を受け取ったマンボウ便は、ふわっと空に飛び立ちます。
 高く高く飛び上がり、銀にかがやくバルーン・マンボウはみるみる縮小していって、青空に光るアラザンのようになり、おしまいに、とうとう見えなくなりました。


 (おわり)



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