十月のカレンダー小説

読書の秋

「こんにちはーっ! ログハウス風の店構えがすごく素敵ですね! 本屋さんを見かけるとつい入りたくなっちゃって、本がいっぱいあるところを歩くの好きなんです。あの、少し本棚を見て回ってもいいですかっ!」
「……らっしゃい。好きにしな。本は傷つけるなよ」
「もちろんです! ありがとうございますっ!」
 無駄に威勢のいい声を上げて長い髪を弾ませる女を見て、カウンターに座る男はヒョウの頭にしわを寄せた。機嫌よさげに歩く女は、ドレスや宝石で着飾る貴族よりも力のなさそうな細身だ。温かく柔らかそうな仕立てのいい衣服を着ている。その服に黒地に白抜きで意匠の綴られたエプロンをかけていた。エプロンには光沢のある細長い奇妙な板が付けられている。
「……怪しいな。泥棒か?」
 男は口の中でつぶやいた。風体が明らかに浮いている。少なくとも町外れの寂れた書店に立ち寄る格好ではない。
「あのっ!」
 仰け反った。
 女が顔を輝かせて本棚を指差す。
 小ぢんまりとした作りの書店は本棚が敷き詰められ、書棚の間はすれ違うにも苦労するほど狭い。分厚い装丁の本が並び、数冊ごとにガラスのカバーで書棚が蓋されている。
「これって本を保護してるんですよね? 丁寧だなあ。費用もかかるんじゃないですか? どの本も装丁が分厚いんですね。ええと、この世界の文字は読めないんですけど、どんな本が置いてあるんですか?」
「……お前、何が目的だ? 無教養には見えんぞ」
 表情を険しくする男に女は驚いたような顔を作って、恭しく頭を下げた。
「申し遅れました。私、次元を超えて本との出会いをお届けするあなたの隣の本屋さん、四季ノ国屋書店の者です。ほら、四季ノ国屋書店員の証たる名札つきエプロンもこの通り」
 眉間のしわを深める男に、女は困ったように首を縮める。
「えと……、今、四季ノ国屋書店ではカレンダー企画というものをやっていて……私は十月の担当で、それで十月らしい世界を見てこようということでこの世界に来てたんですけど。本屋さんを見つけたらついあの、……ご迷惑でしたか?」
 男が黙って見ていると、彼女はエプロンの裾をつかんで恐縮していった。「はしゃいですみません……」などとゴニョゴニョつぶやいている。
 ヒョウの目を伏せた男は、女から目を逸らした。追い払うように手を振る。
「……他に客はいないんだ。盗る気がないなら好きにしろ」
「はい、ありがとうございます! それで、この本屋さんはどんな本を扱ってるんですか?」
 男はじろりと女を見た。
 彼女は男の表情に「あれ? なにか間違えたかな」という顔をして怯む。むすりと口を引き結んだ男は、手元の本を閉じて客を振り返った。
「魔術書や古典小説、史記といった教養本を中心に扱っている」
「おお、そうなんですねっ。魔術書! 読んでみたいです。どれがそうなんですか?」
 男は黙って手元の本を見せた。
 日常言語を崩したような魔術文字がページに印字されている。魔術書のレプリカと呼ばれる、読む専門の魔術書だ。その文字を興味深そうに読み進めた女は、にこりと笑う。
「ぜんぜん読めませんね、残念です。どんなことが書いてあるんですか?」
「霊脈の効率的受容と大規模術式魔術における消費魔力のエントロピー増大。この節は、霊脈を用いた魔術行使における魔力損失率の導出方法だな」
「分かりませんよっ!? 読めたとしてもまったく分かりませんよそれっ!?」
 男はヒョウの顔をうるさそうにしかめて耳を伏せる。口の端がからかうように吊り上がっていた。もうっ、と怒って息をついた彼女は、ぱっと表情を変えて手を打つ。
「そうでした、私ファンタジーを堪能しに来たんじゃないんです。あの、十月らしいことってありませんか? 十月らしい世界のことを持ち帰りたいんです。あ、例えばハロウィンとか! 本場のファンタジーだと、どうなんですか?」
「ファンタジーとか言うな。なんだハロウィンって」
「あ、それはですね、私勉強してきてるんですよハロウィン。あのですね……」
 女が嬉々として語り始めた内容を聞き流した男は、半分も終わらないうちに手を振った。
「これ以上は聞いても無駄だな、ここらじゃない風習だ」
「……えっ!? ないんですかハロウィン!?」
「ないな。収穫祭が近いか。あれは祖霊供養も含んでいる」
「えー……。じゃあそれでいいです」
 女の言い草に眉間のしわを深めた男だったが、すぐに皮肉っぽく笑みを浮かべた。
「残念だったな。あと十日早い」
「えーっ!?」
 今度こそ悲鳴を上げた。男は声を上げて笑う。
「笑い事じゃありませんよっ! 十月を持って帰らないといけないんですよ私っ! えー、じゃあ読書の秋にしますから、売れ筋とか教えてください!」
「無理だな」
「そこをなんとか!」
「そうじゃない。売れてないんだ。ここ半月は客も来てない」
「……はい?」
 女はきょとんとした顔を男に向ける。黙って肩をすくめて返した。
「そ、そんなぁ」
 頭を抱えてしゃがみこんだ。
 深刻そうな声でぶつぶつとつぶやいている。男が身体を乗り出して覗き込んでも、気づく様子はない。黒ヒョウの顔を思案げに動かした男は、黒髪のつむじに向かって声をかけた。
「おい」
「ひゃい?」
 首だけをねじるように女は顔を上げた。涙目だった。
 少し気の毒そうな顔をした男は、声を落とす。
「飯でも食ってくか、秋らしいもの。今台所で炊いてるぞ」
 女はぽかんと小さく口を開けて男を見上げ、
「……はいっ! ぜひっ!」
 輝くような笑顔に、男は少し苦々しく身体を起こす。
 書店二階の居住スペースにある居間に、栗と筍と茸の炊き込みご飯や茸の丸焼き、秋茄子のステーキ、紫芋やタラノメ、フキノトウの天ぷらなどが並んだ。炊き上がりまでのあいだにこれだけの料理を手早く用意した男は、エプロンを外して女を振り返る。
 今にも口から涎を垂らしそうなほど前のめりに、料理の数々を食い入るように見つめていた。
「……食っていいぞ」
「いえ! 家主からどうぞ!」
 意気のいい返事に気おされつつ、二つのグラスにボトルを傾けながら男は椅子に腰掛ける。箸で天ぷらをさっとつまみ、塩で食べた。素材の風味と甘みが衣の油分に包まれ、塩で引き締められている。
「お前も食え」
「はい、いただきます!」
 待ってましたとばかりに彼女は飛びついた。一口食べるや否や感極まったように噛み締める。
「ん〜、美味しいっ! やっぱり秋はこれですね! あ、でもこの山菜、すっごい風味が強いですね。おおー、山のにおいって感じがします」
「味わえよ。その山菜、意外と貴重だからな。山には魔物が棲んでいて山菜取りも骨なんだ」
「あっ! そうなんですか、ファンタジーですねー。すみません、いっぱい食べちゃって」
「俺は食えと言ったんだ、気にするな」
 男は無愛想に答えてグラスを傾ける。
「んっ、この肉厚の茄子すごい! 肉汁!? みたいなのが口の中で溢れます! あ、この炊き込みご飯もいただきますね!」
「食いながら喋るな。慌てて食って喉に詰まらせるなよ」
「んぐっ!?」
 飲み込みながら返事をしようとした彼女は顔色を変えた。箸を持った手でどんどんと胸元を叩く。
「お、おい。今水を持って――待てそれは!」
 男の話を聞かないうちから女はグラスを取って中身を一気に流し込んだ。詰まった米ごと嚥下する。
 カッと目を見開いた。
「……ッカハ!? げ、ごほっ! 辛い、いや苦いっ? あ、これ、まさか、おさけ……!?」
「魔導酒だ。今年のヌーヴォーだが、一杯目にはちょうどいいと思ってな」
「はふ、そうなんれ……はああ、酔ったみたいれうぅうあ〜」
 両手を振り上げて倒れそうになった女を、飛びつくようにして受け止めた。彼女は頬を赤らめて昏睡している。
 彼女の寝顔を見て、男は眉間にしわを寄せて目を伏せる。
「……はあ」
 溜め息をついた。

「ふぉい!」
 女が飛び起きて、男は少し驚いた。
 自分が寝台に寝かされていることに気づいた彼女は、傍らで本を読んでいた男に頭を下げる。
「……すみません、少し眠ってしまいました!」
「いや、こちらこそ悪かったな。確かめもせずに酒を出して」
「いえいえ。新酒は秋の風情ですよね、気を使っていただいてありがとうございます。お陰でネタ探しをする元気が出てきました!」
「そりゃよかった。だが、明日にしたほうがいいだろうな」
「え?」
 男が窓を見ながら言ったので、女も同じく黒い窓を見る。
 窓が真っ黒なのは、何かで覆っていたからではなかった。深夜になっていた。
「えええ、ちょ、ええええええっ!? 夜ですか、もう夜ですか!? うわ、もう日付変わっちゃうじゃないですか! あああああどうしようどうしようどうしよう」
 尋常でない狼狽振りに、男は本を置いて眉をひそめる。
「どうした?」
「私、今日の0時に帰らなきゃいけないんです! ああ、せっかくファンタジーに来たのにただ秋の味覚を満喫して帰っただけなんて、ぜったい店長に怒られる……なんで異世界のお酒で気絶しちゃったんだろ! あーもったいないぃいい!」
 女は頭を抱えてぐるぐると揺れている。男はなんと声をかけたものか迷って、口走った。
「……『灰かぶり』みたいだな」
「え?」
 彼女の極端な反応に男が驚く。
「この世界にもシンデレラの類話があるんですか!?」
「あ、ああ。マイナーな話だが、偶然そんな説話を抄録する本と出会っていてな」
「本との出会い! 素敵ですね。って、ああ、もっと聞きたいけど、そんな話をしてる時間が。あの、本当に色々良くしていただいて、こんな慌ただしいことになっちゃって本当に申し訳ないんですけれど、あのでも本当ありがとうございます!」
 頭を下げつつも、礼を言い足りないのか、女はもどかしそうな顔をする。
 その泣き出す寸前のような表情を見かねた男は、手元と書机に乗せた二冊を束ねて女に差し出した。
「土産に持っていけ、これもなにかの縁だろう。話した童話の抄録本だ」
「え、いいんですか? ありがとうございます。もう一冊は?」
「霊脈の効率的受容と大規模術式魔術における消費魔力のエントロピー増大」
 なめらかに諳んじた男の笑みに、女は噴き出した。
「はい、はい。ありがとうございます。大切にします。でも、こんなに良くしてもらっちゃっていいんでしょうか?」
 目じりを拭って尋ねる彼女に、男は小さく肩をすくめた。
「お前、最初に名乗ったときも『本との出会い』とか言ってたな」
「はい? ええ。『次元を超えて本との出会いをお届けするあなたの隣の本屋さん』ですね」
 そんな詳細は知らんが、と男は返しつつ、答える。
「今のこの世界にとって、本は保存用の物理媒体にすぎない。一般的な本や小説なんかは、情報化されて端末で売買するんだ。俺はその仲介業をやっていて、書店は趣味でしかない」
「……あ、そうだったんですね。すごい、私たちの世界より進んでる……え、ファンタジー?」
「だが情報化した文書は検索性が高くて必要なものが手に入る代わりに、必要のないものと触れる機会が極端に減っている。……お前のような書店は、興味のなかった本と店頭で出会える機会を提供できるんだろう?」
 あ、と口を開いた彼女から目を逸らし、男は言う。
「少し、応援したくなっただけだ。気まぐれだよ、気にするな」
「――ありがとうございます!」
 彼女は深く頭を下げた。エプロンについた名札が揺れる。本を抱きしめて、男に最高の笑顔を向けた。
「この出会いを大切にします! 本当にありがとうございました!」
 女は走り出して、部屋の入り口で身体を翻した。
 振り返った男と目を合わせて、笑顔を返す。
「また会いましょう!」
 扉を開けて、女は出て行く。
 廊下が消失していたかのように足音と気配が消えて、男は慌てて追いかけた。扉を開けて廊下を見る。
 暗闇に沈む廊下に、人の気配はない。煙のように消えてしまったかのようだった。
 あるいは、夢が醒めてしまったかのように。
「ふん」
 男は鼻を鳴らして、書机を振り返る。先ほどまで読んでいたはずの本がなくなっている。
「……酒でも飲むか」
 そう決めた。

『 読書の秋! 
 十月になりましたね。スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋……いろいろありますが、やっぱりイチオシは秋の味覚。山菜の天ぷらや秋茄子のステーキなどなど、たくさんの旬の食べ物は最高の楽しみです。ですが、その傍らに本があると、もっと素敵だと思いませんか?
 四季ノ国書店では、秋の夜長をお供する本との出会いをお手伝いします!
 ひとまず、我々書店員がオススメする秋の本十選。この本たちから一期一会の出会いを始めてはいかがでしょうか。このリストがあなたの一冊と出会う助けになれば嬉しいです。……』

「なるほどな。出会いを読書の秋に絡めたのか」
「はい。お陰さまでカレンダー企画と一緒に、読書の秋キャンペーンもなんとかできました」
 男はチラシをカウンターに投げて、女を見上げた。
 寒かったのか、鼻の赤い女は、イヤーマフを腕にかけたまま白いマフラーを解いている。
「一期一会はどうした」
「なんですか、不満そうな顔をしないでくださいよ。ちゃんと『また会いましょう』って言いましたよね?」
 男はヒョウの鼻頭にしわを寄せる。確かに言っていた。
「それで、カレンダー企画はもう大丈夫なんですけど、今度は冬のキャンペーンを任されてしまいまして。せっかくだからお知恵を拝借しようと思って、お邪魔させていただきました」
 にこにこと嬉しそうな女の顔に、男は鼻を鳴らした。
「拝借って、なんだか盗むような言い方だな」
「盗むなんてそんな! せめて『ちょろまかす』と言ってください」
「結局盗るのか」
「アイデアを頂戴しますので」
 悪びれない女は、あの一件で男に一方的に打ち解けていた。ぽふ、と不意に分厚い手袋を打ち合わせ、女は肩掛けカバンをまさぐる。
「そうそう、あの本ありがとうございます。大切にしています……っと、これこれ。はい」
 にこにこと嬉しそうに二冊のハードカバー本を男に差し出した。
 受け取ってから、男は推し量るように女を見る。彼女は胸を張って言った。
「お礼に本を持ってきました。ペロー童話集と、なにか量子力学の難しそうな本です。グリム童話にも灰かぶりはあるんですけど、やっぱり有名なガラスの靴があるのはペロー版なので」
「……読めないが、貰っておこう」
「へへ、やった。大切にしてくださいね」
「心掛ける」
 つれない返事にめげることなく、女は顔を寄せた。
「それであの、ひとつお願いがあるんです」
「……なんだ?」
「こうして、お互いの手元に読めない言語の本が揃ったことですし……企画がないとありえなかったこういう本当の出会いを大事にしたいなって、私思うんです」
 要件を言え、と急かす男の視線に、彼女は口元をほころばす。
「言葉を教え合いませんか?」
 男は真意を探るように女を見た。
 彼女は悪戯っぽく笑う。
「学びの秋、ですよ」




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