JOE MARTIN
凄いメンバーだから凄い演奏とは限らない好例
"NOT BY CHANCE"
CHRIS POTTER(saxophones, bass clarinet), BRAD MEHLDAU(p), JOE MARTIN(b),
MARCUS GILMORE(ds)
2009年1月 スタジオ録音 (ANZIC RECORDS : ANZ-6001)


僕が聴くCDは90%くらいがピアノ・トリオになっていると思う。ひとつにはピアノ・トリオが好きだから。もうひとつは、これが精一杯で、これ以上間口を広げると寝る間を惜しまなければならないから。でも、時たま、ピアノ以外でも気に掛かったCDは聴くようにしている。でも、それもカルテットまで。それ以上のアンサンブルはほとんど聴かない。
今回、その滅多に聴くことのないテナー・カルテットのアルバムを3回連続でレビューしたいと思っている。その一発目がこのアルバムだ。全く聞いたことのないベーシストがリーダ。しかし、それ以外のメンバーが凄い。サックスにPOTTER、ピアノにMEHLDAU、ドラムスにROY HYNESの孫だというGILMOREという斬新な組み合わせだ。
POTTERにはKASPER VILLAUMEの"HANDS"(JAZZ批評 415.)という直球勝負の素晴らしいアルバムをかつて紹介しているが、それ以来の登場だ。MEHLDAUについては今更のコメントは必要としないだろう。GILMOREは豪胆さと繊細を併せ持った名ドラマーROY HYMNESの孫にあたるというし、そのプレイに興味津々だ。肝心のベーシストJOE MARTINは名前も演奏も聞いたことがない。一体どんなプレイを聴かせてくれるのだろうか?Dを除く全ての曲がJOE MARTIN 自身の作曲だ。果たして、この辺が「吉」と出るだろうか?

@"SEMENTE" 
グループの一体感とか緊密感が醸成されてくると良いが・・・。録音バランスも良くないし、バラバラの感を否めない。左チャンネルから聞こえるサックス、右チャンネルから聞こえるドラムス。音の落ち着きが悪い。
A"IN THE MEANTIME" 
POTTERの後に続くMEHLDAUのソロは凄いぞ。
B"CACHE" 
POTTERとMEHLDAUのインタープレイが聴き所。緊迫感もあってスリリング。
C"A DREAM" 
バラード演奏。ベースが単調で退屈。
D"THE BALLOON SONG" 
バス・クラリネットに持ち替えてのプレイ。今は亡きJACO PASTORIUSの曲だというが、前衛紛いの演奏にがっくり。
E"ONCE BEFORE" 
テーマ良しでアドリブも良し。飛び跳ねるようなベースのウォーキングも楽しげだ。GILMOREのドラミングは比較的手数が多い。POTTERに続くMEHLDAUのピアノは「流石!」という感じ。MARTINのベース・ワークは表現が悪いが「普通」だ。
F"FAR" 
ストリングスのような出だしは多重録音か?くぐもったようなベースの音色は録音のせいなのか、はたまた、楽器の音色なのか?
G"NOT BY CHANCE" 
今度はソプラノ・サックスに持ち替えている。どの曲でもそうなのだが、POTTERもMEHLDAUも控え目である。リーダーのベーシストに配慮した形となっているが、これがむしろ気に入らない。熱くなれないのだ。
H"THE STOIC" 


クールというのとは少し違って、「遠慮と配慮がない交ぜになった感じ」といったらいいのだろうか?もうひとつ熱くないし、燃え上がる昂揚感もない。至極、沈着冷静なのだ。
MARTINのオリジナルで固めた楽曲は決して悪くはないと思う。しかし、ベース・ワークは堅実だが没個性的だ。可もなく不可もなく。
期待のGILMOREは手数の割りに存在感を発揮していない。まだまだという印象になってしまった。
メンバーの凄さから考えれば、これはがっかりでしょう。まあ、世の中にはよくあるパターンで、凄いメンバーだから凄い演奏とは限らない好例。   (2009.09.25)

試聴サイト : http://www.joemartinbass.com/



独断的JAZZ批評 583.