ALBORAN TRIO
過剰なまでの美旋律に加え、アンサンブルよりも個の存在をアピールするスタイルになっている
"NEAR GALE"
PAOLO PALIAGA(p), DINO CONTENTI(b), GIGI BIOLCATI(ds)
2007年11月 スタジオ録音 (ACT : 9469-2)

ALBORAN TRIOのアルバムは"MELTEMI"(JAZZ批評 377.)に続いて2枚目にあたる。前作はとりわけ2曲目の"BALKAN AIR"がユニークでこのグループのオリジナリティを発揮した演奏だったと言えるだろう。ただ、全編に溢れる美旋律が、逆にこのグループの良さを打ち消してしまったような気もする。音楽の幅が狭いという印象を与えたものだ。それから丁度、1年後のリリースになった本アルバムはその辺のところが改善されているのか興味があった。メンバーは前回と全く一緒で、全てが彼らのオリジナルで構成されている。

@"SELON MOI" 
先ずは美旋律のテーマから聴いてみよ・・・と。
A"AUTUMN MIST" 
この演奏は、先に紹介した前アルバムの"BALKAN AIR"のまさに焼き直しである。2匹目の泥鰌を狙ったと思われても仕方あるまい。
B"DELLE COSE NASCOSTE" 
C"ALSO SPRACH RAUL" 
ドラムスのパーカッション的アプローチで始まる。続くピアノのテーマはメルヘンチックと思えるほど美しく可愛らしい。
D"RROCK IN THE DARK" 
「美しい」・・・だからどうした?
E"FUORI STAGIONE" 
美旋律で始まるこの曲はあたかもGIOVANNI MIRABASSIのようでもある。
F"INVARIABLE GEOMETRIES" 
アルコの多重録音(?)で始まり、常にベースが主導権を握っている。よく言えば、3者が均等応分の役割を担っていると言えるだろうし、悪く言えば、ベースがでしゃばりすぎてトリオのバランスを崩しているとも言える。僕としてはあまり感心する出来ではないと思う。
G"OLVIDO" 
ピアノ・トリオというのは3者が等しく応分に自己顕示したほうが良いのだろうかという命題を与えてくれる演奏だ。共通したひとつの目標に向かって突き進むというスタイルではない。従い、アンサンブルよりも個の存在をアピールするスタイルになっている。
H"POW WOW" 
個々の力がひとつに収斂してしていけばさらに大きな躍動感や緊密感が生まれてくることだろう。その点で物足りなさが残る。
I"SELON MOI 3/4" 
@の3/4バージョンらしい。このあたりまで来ると饒舌なベース・ワークが耳障りだ。このベーシスト、無駄な音が多すぎる。結局、自己顕示欲の塊のような印象しか与えない。
J"SEGUENDO IL FILO" 
最後まで美旋律のオンパレード、プラス、饒舌なベース・ワーク。前回のアルバムと比べて大した進化が認められない。どちらを選んでも大差はないだろう。買うならどちらかで十分。2枚とも買う必要はないのではないか。

正直に言って、過剰なまでの美旋律に飽きる。何回も続けて聴けるものではない。ましてや、前作と比較しながら聴いてみる勇気は僕にはない。どちらのアルバムを買っても似たようなもので、最初に買った方が新鮮に感ずる分だけ評価がよくなる程度のことだろう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」で美旋律のオンパレードに辟易する。それと3者の一体感、緊密感という点でも物足りない。特にベースのDINO CONTENTIのベース・ワークは自己顕示欲の塊のようだ。このグループ、主導権はベースが執っているようで、ピアノもドラムスも遠慮がちである。やはりアンサンブルという点で辛い点になってしまう。
先に紹介したSEBASTIAN STEFFANの"LOOK AT THE DOORKEEPER"(JAZZ批評 485.)などと比べると「薄っぺら」に聴こえてしまうのは僕だけだろうか?   (2008.06.16)



独断的JAZZ批評 486.