目を閉じて、今、自分はビレッジ・バンガードいると
呪文を3回唱える。
先ずは態勢を整えて。
McCOY TYNER PLAYS JOHN COLTRANE
McCOY TYNER(p), GEORGE MRAZ(b), AL FOSTER(ds)
1997年9月 NEWYORK録音

久々に聴くマッコイ・タイナーのCDだ。
未だにコルトレーンの影を引きずっている。音符過剰なところは相変わらずだ。プロデューサーの意図だろうが、今回もタイトルにコルトレーンの冠がある。そろそろこの呪縛から逃れても良いのではないか。
演奏自体はビレッジバンガードのライブということもあってか、目一杯、熱のこもった演奏である。ライブで聴いていれば相当の高揚感があったと思う。

良い意味でも悪い意味でもベースのジョージ・ムラーツがキーパーソンだ。適材適所とも言えるし、ミスキャストとも言える。ムラーツの違和感が、今までにない新鮮さを醸し出しているのも事実だ。
これを良しとするか、悪しとするかは聴く人の問題。正直なところ、僕もこの評価に迷う。「清濁併せ呑む」という感じなのだ。
ただ、ムラーツの緻密さと強靭さを併せ持ったベースラインがライブという環境の中で壊れそうになるほど勢いに乗った演奏をすんでのところで、とどまらせているという感じなのだ。
ライブの聴衆には壊れそうで壊れない、ギリギリの演奏に十分な満足感があったに違いない。そういう意味では、マッコイ・タイナーは最後の一線を越えないところで踏み留まったといえる。
まさに、ライブならではの白熱した演奏である。

だから、ライブ環境を再現できるオーディオ装置で聴くのが良い。更に、聴き始める前に、自分は今、ビレッジ・バンガードにいると3回呪文を唱える。ついでに、一口酒かウィスキーを流し込む。これだけ態勢を整えれば、完璧だ。

6曲目の "I WANT TO TALK ABOUT YOU" のようなスタンダード・ナンバーこそ、ムラーツの良く歌うベースラインが相応しい・・・と思うのは僕だけだろうか? (2001.11.23.)



McCOY TYNER

独断的JAZZ批評 36.