"BORDERLINES"
ANTONIO FARAO(p), JEAN-JACQUES AVENEL(b), DANIEL HUMAIL(ds) 1999年スタジオ録音
(SKETCH SKE 333013)
僕のJAZZ歴のきっかけになったのは兄の存在が大きい。その兄は、最近、ヨーロッパのジャズを中心に聴いているらしい。先日も、僕がほとんど聴いたこともないヨーロッパのジャズCDを10枚ばかり貸してくれた。その中から印象に残ったANTONIO
FARAO"NEXT STORIES"をベースに、新たに"BORDERLINE"を購入しJAZZ批評に取り上げてみた。
基本的に、このJAZZ批評は全て自分で購入したCDを掲載することを旨としている。自分の懐を痛めて購入したものでないと聴く姿勢にどうしても違いが出てしまう。
もうひとつ、僕のCD購入のほとんどは一度聴いた上で、気に入ったものを購入している。たとえ試聴時間が1分としても自分の耳で確かめることは僕にとっての購入の重要ポイントだ。こうした「ピックアップの楽しさ」というもジャズの楽しみのひとつだ。
それで、このCD。
非常に評価の難しいCDなのだ。何回となく聴いたが、「これは素晴らしいとも、これは駄作だ」ともいえない。3者の技量の高さ、インスパイアされた演奏など個々の一つ一つは素晴らしいという印象は受けるのだが、全体として、心に残るインパクトに欠ける。演奏のレベルの高さは感じるものの心に残らない演奏なのだ。つまり、余韻がない。だから、「また、あの曲を聴きたくなった」というようなことがない。更に、3者の渾然一体となった躍動感がないのもマイナス要素。
全11曲の中では、9曲目の"GRAVENSTEIN"が良い。美しいテーマの中に入るベースの倍音が印象的。アドリブでの力強いベース、センシティブなシンバリングと3者の卓抜な、そして、対等なインタープレイが聴ける。ここでのFARAOはまるでKENNY
BARRONの如し。
しかし、全11曲の内、前述の1曲を除く大半の曲のテーマが詰まらない。テーマがよければアドリブも良いというのが通常だ。テーマが詰まらないのにアドリブが良いなんて事は滅多にあるものではない。
4曲目のFARAOのオリジナル"NICOLETTA"に至ってはテーマもアドリブも、まるで、CHICK
COREA。
正直に言って、FARAOのピアノは背伸びしすぎているのでは・・・と思う。ヨーロッパのジャズ・ドラムの大御所DANIEL
HUMAILを迎えての演奏。緊張感が上滑りしている感じだ。DANIEL HUMAILは1968年録音のPHIL
WOODS & EUROPEAN RHYTHM MACHINE
(JAZZ批評 52.)の時代から第一線を張ってきたドラマーだ。確かに、このアルバムでも繊細にして大胆なドラミングを披露し、ピアノを圧倒している。
ただ、このピアニストANTONIO FARAOは将来性を感じされるプラスαがあると思う。肩肘張らずにリラックスして、自分の色を出した演奏を聴いてみたいと思った。(2002.09.18)