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題と裏腹 味わい深い愛 『抱きたいカンケイ』(No Strings Attached) 監督 アイヴァン・ライトマン | |||||
高知新聞「第165回市民映画会 見どころ解説」 ('11. 9. 5.)掲載[発行:高知新聞社] | |||||
(かつて映画の主流が男性娯楽だった時代から、すっかり女性仕様に変わってしまった昨今だ。この傾向は、バブル期に女性ファッション誌で“ハイセンス・ライフ”のアイテムとして映画を取り上げたところから起こっているように感じているが、若い女性を主人公にして、本作のようなタイトルでの女性映画の公開は、昭和の時代には考えられなかったことだ。)[字数の都合から割愛] なかなか挑発的な邦題だけれども、内容的には、愛に関して味わい深いマジメな作品だ。「恋はしたいけれど、忙しくて時間がないし、何より傷つくのがイヤ」で、原題の意味する“束縛条件なし”のセックス・フレンド協定を結び、イケメン男性のアダム(アシュトン・カッチャー)と気楽で刺激的な関係を楽しんでいたつもりが、自分の心のままならなさに、こんなはずじゃ…と動揺し始める若き女医エマ。 演じるのは、『ブラック・スワン』でアカデミー賞主演女優賞を獲得した実力派ナタリー・ポートマンで、年齢の割に既にベテランの域にあるキャリアの中でも初とも言えるラブ・コメに挑んでいる。ふとした折に見せる表情のニュアンスの豊かさはさすがだ。いかにも今どきの大胆極まりないせりふのオンパレードとは対照的に露出の少ない画面作りも、女性仕様の人気作品のセオリーをきちんと踏まえている。 時代によって映画の傾向にはさまざまな変化が訪れるが、映画が時代を映す鏡であるのは今も昔も変わらない。かつてなら確実に、エマとアダムの設定は男女逆転していたはずだ。そういう逆転の配置における時代的な衝撃では、鮮烈に私の記憶に残っている『ノッティングヒルの恋人』['99]に及ばなかったけれども、あれから10年を越える中で、“女性優位”の関係はごく普通の設定として現れるようになっているわけだ。その上で、アダムの熱意によって“変えられていく”という、言うなれば、受動的で保守的な「白馬の王子様願望」のようなものが満たされる部分も備えている。いかにも今の時代の若い女性たちの気分を表しているようで、なかなか興味深い。 参照テクスト:mixi日記編集採録 | |||||
by ヤマ '11. 9. 5. 高知新聞「第165回市民映画会 見どころ解説」 | |||||
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