不安の時代だからこそ
高知新聞「所感雑感」('08.11.14.)掲載
[発行:高知新聞社]


 ガルブレイスの「不確実性の時代」という本がベストセラーになり、一大流行語になったのは、私が学生時分のことだから、三十年前になる。今や不確実性どころか「不安の時代」だ。社会思想や宗教などといった人の価値観・世界観を形作る大きな精神レベルで、信を置くに足る拠り処が失われるばかりか、身近な生活レベルのあらゆるところに信が置けなくなることが日々報じられ、さまざまな不安が煽り立てられているように感じる。
 そして、生活レベルでのそういった不安の煽り立てに私たちが弱くなっているのは、自分の生活を取り巻く世の中の仕組みが広く複雑になって、よく分からなくなったからではないかという気がしている。現象や結果は、出来事として盛大に報じられるけれども、どうしてそういう事態になったのかは、腑に落ちないことが多い。普段あまりにも仕組みに関心を持つまでもなく受け入れ、それを前提に、使って利便を得ることばかりに慣らされているのが、現代人のありようなのだが、そのことを端的に示しているのがパソコンだ。支障なく作動しているときには気にも留めないが、少し問題が生じるとたちまち対処不能になってしまうような得体の知れないものには、かつてなら警戒したものだ。使用はしても依存などしなかったように思う。だが、今やそういう生活態度では生きていけない時代になり、仕組みを理解しようと努めることがもはや及ばなくなっている。だから、商業的なマスメディアの報道では、そういった部分を報じることがほとんどない。なぜ百円ショップにあれだけの商品がそろえられるのか。三十年前には医師過剰時代が来ると騒いでいたのに、なぜ今、医師不足問題が起こっているのか。七〇年代のオイルショックのとき、二十世紀で枯渇すると言われた石油がなぜまだあるのか。
 そういったマスメディアの報道では、なかなか知ることのできない現実の一断面を新鮮な切り口で見せてくれ、仕組みを窺わせてくれるという点で、私の重宝しているものがドキュメンタリー映画だ。百聞は一見に如かずという言葉があるように、映像の持つインパクトは大きい。文字以上の説得力があるし、実感を引き出してもくれる。だから、諸刃の剣でもあって、観る側にそれなりのリテラシーが備わっていないと危うい面もある。間違っても客観性などを求めてはいけない。フィクションドラマのように筋書きを語る必要がない分、よけいに編集次第だし、ナレーションや演出によって如何ようにも色づけできる。そこが魅力で実に面白く感じられる部分であり、作家性の現れてくるところなのだが、映画館では滅多に掛からない。
 昨今、最も強迫してくる不安というのは、食の物流における安全性と価格形成の問題、そして、貧困と格差の問題だと思うのだが、ちょうど近々、格好のドキュメンタリー映画が高知で上映される。11月30日の『おいしいコーヒーの真実』と12月11日の『いのちの食べかた』だ。手元にあるチラシを見ると、前者には「あなたが飲む一杯のコーヒーから世界のしくみが見えてくる」と惹句が添えられ、後者には「きっと誰かに教えたくなる。食べ物があなたの食卓に並ぶまでの、驚くべき旅」との言葉が添えられている。前者は県民文化ホール四階多目的ホール、後者は県立美術館ホールが会場なのだが、今からとても楽しみにしている上映会だ。
by ヤマ

'08.11.14. 高知新聞「所感雑感」



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