『映画篇』を読んで
金城一紀 著<集英社 単行本>


 思いのほか面白く、映画好きにはたまらない作品だった。収められた五篇は、いずれも映画作品のタイトルが表題となっているのだが、本を開くと、左頁の下隅に邦題が表示され右頁の下隅に原題が表示される洒落たレイアウトになっているばかりか、僕の愛好するクシシュトフ・キェシロフスキ監督作品を思わせる意匠が五篇『太陽がいっぱい』、『ドラゴン怒りの鉄拳』、『恋のためらい/フランキーとジョニー』もしくは『トゥルー・ロマンス』、『ペイルライダー』、『愛の泉』の各作品に施されていて、製薬会社の起こした薬害事件と2005年(たぶん)8月31日の公民館での『ローマの休日』の上映会(扉[標題紙])がどの作品にも共通して登場し、一番好きな映画は『がんばれ!ベアーズ』だとか言っているらしい東大出身の映画マニアのおっさん(P49,P105)店長がやっているレンタルビデオ屋で、登場人物が各自の抱えた物語を意識することもなく交錯する。書き下ろし作品である本作の最終話『愛の泉』の鳥越くんの母親の言葉(P346)に倣って言うなら…映画好きであることをちょっと誇りに思えるような気持ちにしてくれる作品だった。

 僕のちょうど十歳年下になる著者(1968年生れ)が投影されていると思しき第一話『太陽がいっぱい』の僕(現役で進学して4年で卒業し就職して15年ということだから37歳か?)が勤めている製薬会社名は出てこないし事件態様も異なるが、'68年生れだと2005年となるわけで、当時、法廷闘争が注目されていたミドリ十字を想起するとともに、製薬会社を退社して作家の道に進む語り手とヤクザ系の金融会社での取り立て屋稼業を辞めて沖縄に移住する幼馴染みの龍一の関係に、映画化された直木賞受賞作GOでの正一(細山田隆人)と杉原(窪塚洋介)の間にあったものに通じる繋がりを感じた。

 二十年前、僕が映画にまつわる本を出版してもらったときには、龍一のように音信の途絶えていた友人との再会に繋がるような出来事は起こらなかったけれども、旧知の友から思わぬ便りを貰ったり、未知の方々からの手紙をいただいたほか、思わぬ出来事が数々起こったことを懐かしく思い出した。

 それにしても、夥しい数の映画タイトルが出てくることに感心した。僕自身も少なからぬ数の映画を観てきているが、目にしたタイトルには未見作品も数々あり、改めて映画作品自体の数の膨大さに想いを馳せないではいられなかったが、そんなことよりも、随所に現れ出ている著者の映画観そのものが非常に好もしく、シリアスななかに常にユーモアを湛えた絶妙の筆致に微苦笑を誘われながら愉しく読んでいたら、最終話で映画を作った人たちは、画面で見えるものよりもたくさんのことを僕に話し掛けているような気がした。それらにしっかりと耳を傾けているうちにあっという間に時は過ぎ(P283~P284)という記述が出てきて何だか嬉しくなった。

 この“映画と話す”というフレーズは僕にとって思い出深いもので、拙著のタイトルをどうするかという話になったときに『「映画と話す」回路を求めて-高知の自主上映から-』と提示したところ、編集者から「映画と話す」というフレーズは日本語的に違和感があるとチェックが入ったので、そのフレーズにこそ僕の思いがあるということを説明して納得してもらい、前書きにその思いを書き添えるということでタイトルの主題と副題を入れ替えて残してもらったものだからだ。金城一紀が拙著を読んでいたとは思わないが、その前段には鳥越くんたちが公民館で行った上映会にフィルムを提供した浜石教授が映画鑑賞についての対話のなかで語っていたことが僕が拙著で伝えたかったこととも一致していて、映画好きというものはやはり同じところに思いが至るのだなぁと思わずにいられなかった。

 曰く君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。極端なことを言えば、君はその人のことを実は何も知っていなかったのを思い知る。そこに至って普段は軽く受け流していた言動でも、きちんと意味を考えざるを得なくなる。この人の本当に言いたいことは何だろう? この人は何でこんな考え方をするんだろう? ってね。難しくても決して投げ出さずにそれらの答えを出し続ける限り、君は次々に新しい問いを発するその人から目が離せなくなっていって、前よりもどんどん好きになっていく。と同時に、君は多くのものを与えられている。たとえ、必死で出したすべての答えが間違っていたとしてもね…まぁ、人であれ映画であれなんであれ、知った気になって接した瞬間に相手は新しい顔を見せてくれなくなるし、君の停滞も始まるもんだよ。…(P280~P281)というものだ。そして、教授がその弁を述べる前に、鳥越くんが好きな映画として挙げた『ショーシャンクの空に』の中盤でかかるオペラの歌について教えた際に言った別に気づかなくても、あのシーンの価値が損なわれるものじゃないから、ぜんぜん問題ないんだけどね。ただ、知ってると、もっと深く楽しめるだろ?(P280)との言葉も嬉しく響いてきた。第四話『ペイルライダー』の扉の裏に見よ、蒼白い馬が現れた。跨る者の名は「死」、これに付き従うは「黄泉」。≪ヨハネの黙示録/第6章第8節≫と記していたことなどとも見事に呼応していて、思わずニンマリした。

 拙著において、映画との対話を楽しむためにはいわゆるマニアックな映画についての知識もあまり必要としません。かえって、ある種の先入観や偏見を持たされるので、どちらかというと邪魔なような気がします。そんなものよりは、むしろ一般的な歴史についての知識だとか、社会学、心理学や現代思想、あるいは、音楽・美術・文芸などの芸術全般についての一般教養的なことや風俗・芸能・時事問題といったことについての知識のほうが、よほど役に立つような気がします。そういった面で自分にもう少し教養があったら、この映画は、もっと面白く観ることができ、もっと作り手とのコミュニケイションが味わえただろうに、というふうに感じた作品は、これまでにもたくさんありました。…けれども、そういった教養というものは、より楽しめるというだけで、映画とのコミュニケイションのための必須条件ではないように思います。要は、多少の観察力と想像力を発揮するための集中力ではないかと思います。…(拙著P55~P56)と記してあったこととまさしく重なるものだったからだ。

 第二話『ドラゴン怒りの鉄拳』のレンタルビデオ屋「ヒルツ」のアルバイト店員である20歳の大学生、鳴海に大学で映研に入ってたんですけど、なんか違うなーって思って…映研て、映画を撮るサークルだと思ってたら、映画を解釈するために集まってるような奴らばっかりで。最初の頃はみんなと話してると、そんな見方もあるんだぁ、ってためにもなったけど、そのうちに粗探しするみたいに映画を見るようになっちゃって。…映研にどっぷり浸かっちゃったら、いつか映画を撮る時に心で映画が撮れなくなるなぁ、って思ったから…レンタルビデオ屋でバイトすることにしたのは、映研の反動なんです…レンタルビデオ屋に来るのは、本当に映画を求めてる人たちでしょ? 映画館の料金が高くて行けないけど映画を見たい人とか、夜中に急に映画を見たくなった人とか、なんとなくでも映画を見たくなった人とか、理屈じゃなくて心で映画を見たがってるようなそんな人たちが見たがる映画のことを知って、僕もそれを見てみようと思って。(P103~P104)と言わせる設えをしたうえでの第五話での浜石教授の言葉であることが効いているのだ。

 そういう意味で第二話はなかなか重要で、第一話の龍一がまったくクソみたいな映画(P56)を観た後、“語り手の僕”に才能がないわけじゃねぇんだよ…映画を作れる環境にいるってだけで、それはもう才能があるってことなんだよ…才能っていうのは力のことだよ。でもって、力を持ってる人間は、それをひけらかすために使うか、誰かを救うために使うか、自分で選択できるんだ。さっきの映画を作った連中は、ひけらかすほうを選んだんだよ。たいして語りたいこともねぇくせに、自分の力だけは見せつけたくて映画を作るから、結果的にせんずりこいてるみたいなひとりよがりの作品ができあがるってわけさ(P58)と語ったことへの回答のようにして、薬害事件の渦中で夫に自殺されたばかりの28歳のもっさんが、鳴海から薦められて『フライングハイ』を観る場面が登場する。『フライングハイ』は、真剣にくだらないコメディ映画だった。九十分足らずの作品時間の、八十分ぐらいは笑っていた気がする。残りは最初に戸惑っていた十分だ。『フライングハイ』はわたしがこれまでに見たことのないタイプの映画だったので、始まってすぐには“どんなふうに見ればよいのか”分からなかったけれど、十分が過ぎた頃には自然と笑い声を上げていた。 映画が終わっても、なんだか名残惜しくてなかなかストップのボタンを押せずにいると、自分が久しぶりに笑ったのを思い出した。たぶん、最後に笑ったのは、連れ合いが死ぬ以前の“いつか”だろう。その“いつか”がいつだったかは思い出せないけれど。(P93)

 ささやかだけれど決して侮れない“救い”をもっさんは映画から得ていたのだが、これは映画に対してだけ言っていることではなく、著者が小説を書くうえでも心に留めていることなのだろう。全編通じて、前述した“シリアスななかに常にユーモアを湛えた絶妙の筆致”で貫かれており、理屈じゃなくて心で映画を見たがってるようなそんな人たちが見たがる映画(P103)のような小説を企図していることがよく伝わってきた。

 第一話で“まったくクソみたいな映画”とされた金持ちでインテリの主婦がアラブ系の労働者階級の若者と不倫をするだけのストーリーは、いかにも深い意味がありそうな哲学的な台詞と、絵葉書かCDのジャケットのような小奇麗な映像を交えながら、淡々と進んだ。「明日には世界が滅びる気がするの」 憂いを含んだ顔で時々そう言って、主婦は若者とSEXをしたり、高級レストランでおいしいものを食べたり、高級外車でドライブをしたり、リゾートの海辺で子供みたいにはしゃいだりした。…作った連中もクソだし、こんな映画を褒める評論家連中もクソだし、カンヌだかなんだか知らないが、こんな映画に賞を与えるような世界こそ滅びてしまえばよかった。…(P56)というような映画は繰り返し登場し、第四話『ペイルライダー』では両親が離婚してしまった小学三年生のユウが観た、映画好きの息子に毎週一枚ずつ映画のDVDを送ると約束した父親が程なく月に一度になったなかで届けた映画に対してもかような有様で、ちょっと吹きだした。
 おとといに送られてきたDVDには短い手紙が添えられていて、そこには、≪これはお父さんとお母さんが初めて一緒に見に行った映画です。まだ勇には早いかもしれないけど、送ってみます≫と書かれてあった。…有名な映画賞を撮ったフランス映画だった。ユウはフランス映画が苦手だったけれど、見てみることにした。見終わるまでに五回も寝てしまった。ちょっとだけ歳を取った女の人が、若い男の人と出会っていやらしいことをしたり、おいしそうなものを食べたり、わけの分からないセリフを喋ったり、泣いたりしてるだけの映画だった。見終ったあとに、お父さんとお母さんが離婚したのはこんなつまらない映画を見たからじゃないかな、とユウは思った。 でも、手紙にそんなことは書かなかった。≪ちょっとむずかしかったけど、おもしろかったです。大人になったらまた見たいと思います≫と書いた。(P236)
 そして第五話『愛の泉』でも司さんは昨日の夜にDVDで見た、あるフランス映画の話をしてくれた。金持ちで暇を持て余してるマダムが若いムッシューと不倫をする話、という聞くからにつまらなさそうな映画で、司さんも、イマイチだった、と残念そうに言った(P337)と登場して、笑いを誘ってくれた。

 だが最も響いてきたのは、龍一の言う“誰かを救う映画”としてのハイライトに置かれていたのが第五話『愛の泉』での鳥越くんたちによる『ローマの休日』の自主上映会だったことだ。かつて自分も携わっていた映画との関わり方だからひとしおのものがあった。この上映会によって鳥越くんたちは、六十年近く一筋に愛し続けてきたおじいちゃん(P242)をガンで亡くし、孫たちのあいだでは≪だいじょうぶオーラ≫と呼ばれていて、なんかもうそーとーにきついことがあっても、おばあちゃんのそばにいてそれを浴びたら、あれ、だいじょうぶかも、と思えてくるのだ。成分が何でできているかは分からないけれど、とにかく無敵のパワーなのだ。(P242)という独特のオーラが消えかかるほどにひどいへこみ方をしていたおばあちゃんの≪だいじょうぶオーラ≫を完全復活させていた。そして、映画を観るだけでなく、人を集めて上映するという行動によって掛け替えのないものを得ていたという点で、まさしく僕と同じだった。
 そんな鳥越くんの中途半端に情報を聞き出そうとするべきではなかったのだ。なぜなら、おじいちゃんとおばあちゃんの関係が中途半端ではないのだから。おじいちゃんとおばあちゃんの思い出という聖域に僕たちが分け入っていこうとするなら、当然ながらそれなりの覚悟が必要なのだ。たとえ家族であっても、中途半端な興味と共感と理解で人の心に分け入っていこうとすることは、土足で踏み込んでいくのと同じだ。それでもあえて分け入っていこうとするのなら、おばあちゃんの心の中にあいた大きな穴を埋めるぐらいの宝物を持って行くしかない。(P300)という気合に痺れた。

 鳥越くんのおばあちゃんは、第四話『ペイルライダー』のおばちゃんライダーとは別人だけれども、痩せ細った男のホームレス狩りをしていた四人組の少年をたくさんの威厳と怒り、それに少しの威嚇が含まれていた(P215)声で止めさせた際に、礼を言って頭を下げた男に…男の子たちに対していた時よりも顔を険しくして、言った。「あんたを助けたんじゃない。あの子たちを助けたんだ」(P216)という向かい方をしたり、昨日の夜からずっとユウの胸を詰まらせていた“かたまり”(P221)を吐き出して、吠えるみたいにして泣いたユウに子どもは余計な心配なんてしなくていいんだよ。子供はね、好きな食べものと、大人になったらなりたいものと、好きな女の子のことだけ考えてればいいんだよ。わかった?(P221~P222)と語り掛ける受け止め方をしたりすることに通じるものを持っていたのだろう。

 何だか読後感のとてもいい作品だった。


by ヤマ

'15. 5.12. 集英社



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>