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『セクシィ古文』を読んで | |||||
田中貴子 田中圭一 著<メディアファクトリー> | |||||
女性国文学者と男性漫画家との共著による「漫画+解説 衝撃の24場面」と記された新書を読みながら、衝撃というよりは“笑撃の24場面”を大いに楽しんだ。24場面のタイトルは、第1章【すごいアソコ!】の5場面が「日本で最初のセックス」「鉄のような逸物賛歌」「天井の梁並み!チ〇ポコ自慢」「ちんちんを捨てたお坊さん?」「いいアソコの女を試したい」、第2章【同性愛もOK、OK!】の5場面が「光源氏のボーイズラブ!」「鎌倉時代もボーイズラブ!」「卒塔婆の正しい使い方?」「レズビアンをのぞき見」「男装の中納言を押し倒す」、第3章【ひとりエッチ】の3場面が「カブでひとりエッチする男」「手コキしてもいいですか?」「日本初のひとりエッチ」、第4章【THE・変態!】の5場面が「好きな人のうんこをなめたい」「亀とキスした男」「キ〇タマをあぶって走り回れ」「仏像と交わった修行僧」「塀にイチモツを差し込んだら」、第5章【普通のセックス?】の6場面が「即位式にカーテンのかげで」「好色女の歌、人妻の不倫の歌」「兄と弟が穴兄弟」「キリシタンの性の告白」「大女と小男が目覚めたら」「包茎でよかった!」となっている。 各章末に共著者の対談が収められていて、それぞれ「セックスは暗闇のなかで」「同性愛は異性愛よりもイイか?」「カブはひとりエッチに向いているか?」「性の話が急増した平安末期」「「待つ女・来る男」の日本文化」と題されていた。 出典も明らかにされた古文と現代語訳は、いずれも「ほぅ」「へぇ」の珍文で、冒頭の『古事記』の「成り成りて成り合はぬ…成り成りて成り余れる」以外はすべて初見のものだった。既知のイザナギとイザナミの話でも著者が「現代にも応用したい古語表現」として取り上げていたイザナミによる「然、善し」には覚えがなく、「しか、よし、か。いいねぇ。」とニンマリ。同様にして著者が取り上げた古語表現で可笑しかったのは『新猿楽記』からの「晩に発いて暁に萎ゆ」で、「巨根への興味は漢字と同様、中国に端を発していると考えられます」(P33)と著者がしているのも御尤もと思えるような如何にも「白髪三千丈」の中国的な表現だった。『宇治拾遺物語』から取りあげている「腹にすはすはと打ちつけたり(屹立して腹をスパンスパンと打った)」にも同種の傾向が窺え、笑いを誘う一つの型というか定型として定着しているように感じた。 特に目を惹いたのは、『今昔物語集』巻30、男女の恋模様を描いた章に収録されている「平定文仮借本院侍従語第一」からの「好きな人のうんこをなめたい」で、これを元に芥川龍之介が書いたという短編『好色』も読んだことのない僕は、想いを募らせた末に死んでしまう平中(平定文)の顛末について、原典で「「くだらない」と一蹴された平中の死は、近代になって「非業の死」に昇格したのでした」(P137)との解説とともにある「古文の魅力は原文にあります」(P137)に「然、善し」と思いながらも、さすがは芥川だと感心した。章末の対談でも先ずここから入っているのも道理との出色場面だと思う。 意外に思ったのは同じく『今昔物語集』巻26からの「亀とキスした男」で、「「亀」と聞くだけで、当時の人々はエロい連想を抱いた」(P142)のはいいとして、亀が美人の化身として女性側のイメージで登場することだった。「亀が首を引っ込めて甲羅を縦にした様子はヴァギナに似ていませんか? 自分も浦島太郎みたいにイイ思いができるかもしれないと、ヴァギナを想像させる亀の甲羅に顔を近づけた男の仕草はオーラルセックスを暗示していると解せます。その、クリトリスにあたる亀の口で噛まれたのですから、世間の男たちは笑って話題にするはずですね。」(P143)には、ご丁寧にも首を引っ込めた亀の写真を載せていたこともあって、大いに合点がいった。 江戸三大奇書の一つとされるという、国学者の山岡浚明の著した『逸著聞集』には「序文で「散逸した説話をかき集めたので、『逸』著聞集」と説明していますが、洒落者の作者のこと、「逸物」とかける意味もあったのではないでしょうか」(P163)との説明が施されていたが、「塀にイチモツを差し込んだら」の場面で「引用されている和歌は、「いつもはつねの」は『金葉集』、「千夜を一夜に」は『伊勢物語』、「桂のごとき」は『新勅撰集』に由来しています。これらの和歌を知らなければオチを楽しめない、高い教養を要求する内容です。 エロから古文に興味をもってほしい。『逸著聞集』と本書『セクシィ古文』は、時代こそ違え、編集意図は同じなのかもしれません。」(P164)とあって、確かに山岡も本書を著した両田中も、なかなかの洒落者だと何とも愉快だった。 そして、第5章【普通のセックス?】の「好色女の歌、人妻の不倫の歌」の場面にて記されている「特定の男と暮して2、3年。当時の民衆には配偶者以外とセックスしてはいけないという感覚はありませんでしたから、この歌の主も欲望ではちきれんばかりになって「歯型だけは残さないでね」と甘く誘いかけているのです。」(P183)との記述を読みつつ、維新以降の文明開化と称する一世紀半に及ぶ西洋化の果てに、日本が政治家の問題行動でも、社会的不正や不公平に関わる事件以上に不倫のほうが糾弾されて、釈明会見を求められ、つるし上げられるという実に歪んだ国になっていることを嘆かわしく思った。 | |||||
by ヤマ '17. 8.12. メディアファクトリー新書 | |||||
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