寛容こそが未来育む
 『太陽のめざめ』(La Tête Haute) 監督 エマニュエル・ベルコ
 『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』(A Royal Night Out) 監督 ジュリアン・ジャロルド 


高知新聞「第181回市民映画会 見どころ解説」
('17. 1.11.)掲載[発行:高知新聞社]


 今回は、映画という表現における虚実の妙味を対照的な形で楽しめる作品が並んだ。非行少年たちの更生を粘り強く見守る判事をカトリーヌ・ドヌーヴが演じていた『太陽のめざめ』は、明らかに劇映画なのだが記録映画と見紛うような生々しい作品だ。それに対し、英国王エリザベスが十代の王女時代に経験した一夜の冒険を描いた『ロイヤル・ナイト』は、明らかに史実に基づきながらもファンタジー作品と見紛うようなフィクショナルな映画だった。

 前者では、好方向への兆しを見せながら忽ち自ら台無しにしてしまう少年たちの不安定極まりない掴みどころの無さへの苛立ちや無念、落胆に見舞われて動揺し、そのドキュメンタリー作品のような臨場感に息を呑んだ。後者は、とても史実とは思えないことを御都合主義と指摘するのも気が引けるほどに当然のごとく展開させるので、思わず「そんなバカな」と笑わされてしまう。だが、それによって観る側を全くシラケさせないところが天晴れだ。

 王女を演じたサラ・ガドンの毅然とした無垢さがなかなかのもので、御年卒寿となった英国女王に対する敬意に満ちた人物造形と、誰しもが想起するであろう『ローマの休日』の踏まえ方の塩梅の良さが、作品に宿っているからだろう。十代のプリンセス・エリザベスと妹のマーガレットに夜の外出を許したジョージ6世(ルパート・エヴェレット)の娘に寄せる信頼感に基づく寛容さが印象深い。

 前者では、繊細で粗暴な、心の優しくて幼い非行少年フェランド・マロニーを演じたロッド・パラドが素晴らしく、情けなくも哀れな母親(サラ・フォレスティエ)に心乱されたが、非行少年に関わる人々の粘り強さは、さらに印象深かった。この不寛容の時代にあってなお、実に辛抱強い寛容と課題の負荷によって社会不適応を矯正しようと臨むスタンスに驚き、さすがフランスだと感銘を覚える。近年加速度的に厳罰化と応報に向かって少年法や刑法を変えていこうとしてきた我が国の動向との違いが際立つように感じられた。

 原題の「頭を高く上げて」は、負い目や引け目にまみれていてキレやすい彼らに、未来に向かう視線を求めるフローランス判事の心の声を代弁したものなのだろう。邦題の「太陽」とは、おそらくその“未来に向かう視線”ないしは、それを育んでくれる愛とか赤ん坊の存在とかを複合的にシンボライズしたものなのだろう。どちらとも、とてもいい題名だ。

 王家であれ、非行家庭であれ、人の成長にとって必要な寛容というものに目を向けてもらいたい。そして、それを社会的に担保することの大切さに思いを馳せていただきたい。
by ヤマ

'17. 1.11. 高知新聞「第181回市民映画会 見どころ解説」



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