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「映画上映ネットワーク会議」に参加して〜第三分科会を中心に〜 | |||||
「映画新聞」第131号('96. 9. 1.)掲載 [発行:映画新聞] | |||||
迫り来る台風に、果たして飛行機が無事着陸してくれるだろうかと不安にかられながら高知を離陸したのだが、あまりの上天気に驚くよりも拍子抜けしてしまった。会場の福岡市総合図書館は、中心街から少し離れた広大な埋め立て地に新設された建物だ。外回りも内部構造も空間の使い方が贅沢なのが印象的だったが、おかげで随分と歩かされ、聞きしにまさる福岡の夏の暑さに汗だくになった。 おりしも同図書館では、オープニングイベントとして「韓国映画祭1946→1996」が、朝日新聞社との共同主催でおこなわれていた。中洲の明治生命ホールでは、民間ボランティアユニットによる「第10回福岡アジア映画祭」が開催中。博多区には、日本最大の映画セレクションを誇るという巨大シネマコンプレックス「AMCキャナルシティ13」があり、13スクリーンの上映作品チケットを一斉発売しているカウンターで圧倒してくれる。ここもまた映画の都なんだなと、画期的とも言える「映画上映ネットワーク会議」が福岡で開催されることに妙に納得させられた。 この会議は、国際交流基金とエース・ジャパンという国の外郭機関が「地域の映画祭・映画上映を考える」というテーマで福岡市総合図書館とともに開催したものである。映画上映活動に携わる全国の官民さまざまの団体や機関に呼びかけたものだが、その趣旨としては、昨年十一月に高崎市がおこなった「全国映画祭ネットワーク会議」を拡大発展させたもののようにも見えた。 多種多様な参加者 しかし、高崎市が映画[祭]ネットワーク会議としたのに対し、映画[上映]ネットワーク会議とした分だけ間口が広がったからか、あるいは、主催者の一つエース・ジャパンが自身の映画事業を通じて既にネットワークを形成していたからか、参加者名簿によると百五十名あまりもの人々が全国から参加している。しかも、この種の会議にしては珍しく、行政関係者のみならず、ミニシアターやシネクラブ、配給会社や映画ジャーナリズム、テレビ局や新聞社、興行組合から大学で映画文化史の講師をしている方まで、実に多彩な人たちが参加していた。地方の片隅で細々と自主上映を続けてきた者からすれば、こんな会議が開催できる時代になったのかと、隔世の感がある。 そして、その顔ぶれを見て、あらためて思ったのが、映画上映という活動の懐の深さであった。特に行政関係者の担当部署を一覧するとよく分かるのだが、地域振興、国際交流、芸術文化振興、都市開発などなど。大きく言って、映画上映そのものを中心課題としている活動と、映画上映を通じて映画に留まらない何かを目指している上映活動の二つになろうか。もちろん、映画上映に携わっている人の中には、したたかにも映画に留まらない何かを口実にして映画上映そのものを中心課題としている人もいるだろうし、映画上映そのものを中心課題としてきつつも、映画に留まらない何かを既に実現している人もいると思う。しかし、重要なのは、映画上映活動の連携を合言葉に、これだけ多種多様な人々が一堂に集まったということだ。このことは、それだけ映画の上映が特権的なことではなくなっていることを示しているし、その一方で、上映活動を続けていくことが困難を伴っていて、それぞれが連携して助け合うことを必要としているということでもある。 第三分科会「市民・民間団体との連携」 今回の会議では、二日目に三つの分科会が設けられていて、それぞれ「映画祭開催のノウハウ」(第一分科会)、「映画上映をめぐる法的問題」(第二分科会)、「市民・民間団体との連携」(第三分科会)といったテーマで討議がされたが、前述の観点からも、私には第三分科会が最も興味深かった。その第三分科会の報告者は、それぞれに実績のある三氏であった。愛知芸術文化センターで意欲的な企画上映に取り組んできている学芸員の越後谷卓司氏、株式会社キノの代表取締役でミニシアター交流会を呼びかけつつ、最近は映画監督もしようとしている札幌の中島洋氏、山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会を運営していく中での官民交流の成果として、市の国際交流課で映画祭係となってコーディネーターを担っている宮沢啓氏の三氏である。 越後谷氏の報告では、名古屋においては民間で二十年以上の歴史を持つシネクラブ運動と、公立文化施設での映画上映の間に直接的な連続性はないとする中で、愛知芸術文化センターと名古屋シネマテーク、シネマ・スコーレとの間に結果的に相互に補完し合う立体的な企画上映が生まれてきているという話が面白かった。高知県でも県立美術館が開館して以来、映画上映には積極的に取り組んできており、“民間団体と公立施設の連携”というのは、身近で重要な課題だと思う。 中島氏の報告の中では、わずか人口一万五千人の浦河町で、席数五十のミニシアター大国座が一年半で黒字に転じたという報告が強烈だった。集客エリアが車で一時間程度の広域にわたっているというのが凄い。やればできるんですよという話の中身には、勇気づけられる半面、叱咤されているようにも思えた。 宮沢氏が報告した山形国際ドキュメンタリー映画祭を巡るさまざまな支援組織やボランティアの現状と今後は、ちょっと次元が違いすぎて圧倒されるばかりであったが、市民イベントとして成長させていく上でのコーディネーターの役割の重さと大変さをかいま見たような気がする。 今回の会議を見るまでもなく、映画上映活動において、行政が積極的に担うべき役割はこれまでにないほど大きくなっている。それは常々感じていることではあったが、行政と企業、市民ボランティアといった出自の異なる者がどのようにして連携していくのかを考える上で、今回ほど“非営利上映と非商業上映と非劇場上映”ということについての考え方の整理と、概念の共有の必要性を感じたことはなかった。幅広い方面から多種多様な人々が集まったからこそだと思う。この会議でもNPO(非営利団体)法案への関心を促す問題提起はなされていたが、充分な討議はなされなかった。法案についての関心以前に、自分たちのおこなっている映画上映が何を目指し、どういったものとして認知されることなのかを、こういった観点でも考え直してみる必要があると思った。 | |||||
by ヤマ '96. 9. 1. 「映画新聞」第131号 | |||||
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