Report 新・映画館シネ・ヌーヴォを訪ねて
映画新聞」第136号('97. 3. 1.)掲載
[発行:映画新聞]


 大阪九条に誕生した映画館シネ・ヌーヴォのオープニングイベントが、新春の成人の日とその翌日にわたって開催された。栄えある(?)百五十余名の株主の一人として名を連ねる高知映画鑑賞会からも、運営委員の吉川氏と私が参上した。株主招待であったとはいえ、一口で二人も参加した厚かましいところは、私たちだけだったかもしれない。

 地図をもらっていたものの初めて訪ねる土地なので、一抹の不安もなくはなかったが、九条の商店街に入ると要所要所にプラカードを持った関係者が立っていて案内してくれる。さして分かりにくいところにあるわけでもないのに、肌理の細かい心配りが、まだ見ぬシネ・ヌーヴォへの期待を膨らませてくれた。

 駅から歩いて2分のシネ・ヌーヴォに辿り着くと、噂に聞いていた維新派による装飾もさることながら、開場前の映画館に行列ができている光景に感銘を受けた。いい眺めである。近頃、とんとお目にかかったことがないような気がする。

 ふと、昨秋の高知シネマフェスティバル'96 で、映画新聞編集長の景山さんと対談したときのことを思い出した。自主上映の発展形としての二つの方向である、ミニシアターの設立と文化行政への進出についての話をした際に、後者への注目を訴える私に、ほとんど挑発するかのように、高知にも市民出資型のミニシアターをつくるよう迫ってきた。その迫力には思わず、たじろいでしまった記憶がある。当時、シネ・ヌーヴォの話は具体的なものではなかったらしいのだが、それからほどなくして出資依頼の手紙がきたのだから、実に素早く力強い展開だったわけだ。「期待してくれ、やるっきゃない」との言葉通り、その後のマスコミ露出の派手さや集めた出資金の膨大さに瞠目しつつ、どんな映画館を作ったのか観に来ないではいられなかった。

 それは、観る側からの発信として映画に関わってきた者の思いを充分に汲み取った形のほぼ理想的な映画館としての空間を実現していたように思う。オシャレで居心地がよく、場としての雰囲気に対するこだわりが自然と客からの信頼感を獲得しうる条件を備えているように見えた。映画館で食べられる軽食としては余りにも贅沢な鶏めしや鴨ロース、奈良の地ビールや無農薬ワイン、田舎風ケーキなどがリーズナブルな価格で提供され、ロゴマークの入った信楽焼の洒落た器に盛られて出てくる。木製のカウンターは、インテリアとしても空間にマッチしていて、ちょっとしたテーブルや小カウンターが狭い空間に機能的に配置されている。劇場に映画を観に来る者の大きな楽しみの一つでもあるチラシ棚も豊富で、映画関係の書籍や中古ビデオの販売コーナーさえ充実している。映画館の付帯施設がこれだけ魅力的な劇場は初めてだ。ひょっとすると、何年か先には配当が返ってくるなんてことがあるかもしれないと、思いがけない期待まで湧いてくる。

 肝心の映画鑑賞空間も落ち着いた雰囲気を醸し出していた。座席数は76席。もちろんドルビーSR対応で、ドアだけでなく暗幕で外光を遮断している。劇場内は、静かな海底のイメージで、天井のあちらこちらから吊り下げた、千本もの針金を輪にして連ねたシャンデリア代わりの装飾は、まるで深海に立ちのぼる細かなあぶくのようだ。“つれづれの芸術遭遇”という鑑賞日誌を送ってくれる知人のK氏は、プレミア上映作品の『東京夜曲』(市川準監督)とオープニング作品の『恋の闇、愛の光』(マイケル・ホフマン監督)とを日を違えて観て、「映画の種類によって映画館のインテリアの印象が観客にうるさくなく様々に変容する処はここだけじゃないかなあ」とのちに送ってくれた一月分の日誌の中で綴っていた。

 椅子がもっとゆったりしていて欲しいとか、画面の左の端のほうが少し暗い気がするとか、場内と場外の遮音の程度が多少気になるとか、空調の音とか、言い出せば欲に果てはない。けれども、それらには今後の調整や手直しによる改善の余地があり、このような立ち上がりを見せたシネ・ヌーヴォなら、これからの支持を得ていく中で、今以上に素敵な映画館となっていくような気がする。何よりもここには、単に映画を見せるのではなく、劇場で観ることの楽しみを表現し、伝えていきたいという思いが満ち溢れている。そんなミニシアターが、苛酷と言われる映画興行の現状の中で、勇気ある誕生を果たしたことを祝いたい。
by ヤマ

'97. 3. 1. 「映画新聞」第136号



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