『見はらし世代』['25]
監督・脚本 団塚唯我

 チラシに記された惹句「2025年、未明 家族、東京、あたらしい景色」からすれば、劇中で'63年生まれとテロップされた高野初(遠藤憲一)は、僕より五歳下の六十二歳あたりということになる。妻の由美子(井川遥)が自死したと思しき、十年と半年前なら、五十一、二歳だ。五歳上の僕の感覚からしても、パートナーを“ちゃん”付けで呼ぶことに違和感があるが、2015年当時に妻を「由美ちゃん」と呼び、2025年当時も再婚を申し入れた同棲相手と思しき部下の女性(菊池亜希子)を「マキちゃん」と呼んでいた。そして両年ともにおいて、自分の意思と相容れない申し入れを受けると、一応は聞いたうえで反論し、すぐさま水掛け論を持ち出して話し合うことを中断していた。五歳下どころか僕より十年ばかり年嵩に思える、このような父親像というのは、現在二十七歳の団塚監督が自身の父親からインスパイアされたものなのだろうか。

 それはまだいいのだけれども、高野家の親子四人が最後に揃って食事をしたという高速道サービスエリアのフードコートの電球が、十年間、謎の落下を続けていて、初と由美子の子供である恵美(木竜麻生)と蓮(黒崎煌代)が初と一緒に十年前と同じ席に着いたら、電球の落下とともに亡き母が登場する怪談めいた話に敢えてしていたばかりか、そこで初を労り慰める姿を映し出していたことに驚いた。けっきょく母さんが観ていたのはあの人であって、私たちじゃないのよとの恵美のつぶやきがなかなか印象深いのだが、作り手は、これによっていったい何を炙り出したかったのだろうと腑に落ちない気がした。

 じゃあ、もう行かなくちゃと言って別れた由美子を偲んで、フードコートの外のベンチで独り嗚咽を漏らしていた父親を観て笑っていた蓮の胸中にあったものは何だったのだろう。あまり趣味の好い映画ではなかったように思う。それはともかく、今や宮下公園のところは、あのような姿になっているのかと驚いた。渋谷には、もう随分と行っていないように思う。十年前にユーロスペースでザ・トライブを観たのが最後のような気がする。
by ヤマ

'25.12.14. キネマM



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