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『658km、陽子の旅』['22] 『ある兵士の賭け』(The Walking Major)['70] | |||||
監督 熊切和嘉 監督 キース・エリック・バート | |||||
先に観た『658km、陽子の旅』の熊切監督の作品は、これまで『青春☆金属バット』『海炭市叙景』『莫逆家族 バクギャクファミーリア』『夏の終り』『私の男』『#マンホール』しか観ておらず、宿題にしたまま片付けられていない『鬼畜大宴会』を観ずに言うのも何だが、余り相性のいい作り手ではない気がしている。作品としての拘り処が僕の感性と合わないというか、妙にピントがずれる。なまじ近いツボを押さえにくるから却ってズレのほうが気になってしまうという感じだ。 本作でも青森(=父親)が近づいてくるに連れ、今の自分の歳である四十二歳の父と十八歳で別れて以来、二十四年間で一度も会っていない父親との心の距離が思い掛けなく縮まって来ることになった旅の過程と経験を描いてこそだと思うのに、東京から福島、福島から青森と飛ぶ感じでロードムービーの態を為していないことが気になった。 東京の大学を卒業して高知に帰ることになった四十五年前に、原付で陸路を辿った僕の経験からすれば、チラシの裏面に記された「東京から青森へ、明日正午が出棺。」をヒッチハイクでクリアするのは、多少は近いにしても不可能だという気がしてならなかった。おまけに大半の時間を福島でうろついていたから尚のことだ。 東京へ就職面接に赴いた帰りだという、さばけたシングルマザー(黒沢あすか)の車が郡山ナンバーで、ろくでなし物書き(浜野謙太)に弄られた後、温かい手の握手で労ってもらった老夫婦(吉澤健・風吹ジュン)の軽トラは、いわきナンバーだったように思うから、正午の出棺を少々待ってもらったにしても、最後は雪道の徒歩になっていた陽子の旅が、それに間に合う形で青森に着くのは無理な気がする。地理関係に明るくない人や外国人だと違和感が生じないのかもしれないが、「十年前」という時間の提示と共にあった作り手のフクシマへの拘りが僕には少々仇となって作用してきたところがあった。 十八歳で家出して以来会ってないという陽子(菊地凛子)の父親の幻(オダギリ・ジョー)に、どことなく『夏の砂の上』の治のイメージが重なってくるところがあって、そこは悪くなかった。ろくでなし物書きが指摘していた、いわゆる“コミュ障”を含め、生き辛さを抱えた人々へのコミットを作り手は志していたように思うけれども、ヘンに福島に拘ったところが本末転倒しているように映って来たのが残念だった。 ♪亜麻色の髪の乙女♪と言えば、僕の歳ならヴィレッジ・シンガーズだが、陽子の二十四年前の記憶なら島谷ひとみだろうと思ったが、'22年作の本作で二十四年前となれば、1900年代だから2002年カバーの島谷版はリリースされていない。考えてみれば、1998年に四十二歳だった父親ということなら、僕の同世代だ。作り手は、どういうところから、かの曲を採ってきたのだろうなどと思った。 程なくして観た半世紀ほど遡る『ある兵士の賭け』では、陽子の東京から青森までの658kmの旅のちょうど倍に当たる1321km【ナレーション】(劇中の新聞見出しでは1330km、『黒豹は死なず』との同時上映だった公開当時のチラシの記載では1322km)になる、東京【座間基地】から大分【別府】までのクラーク・J・アレン大尉(デール・ロバートソン)の旅とその後の顛末を描いていた。 2011年の東日本大震災から十年経った時点での陽子のヒッチハイクによる旅は、ありそうな話ながらも、実話に基づくものではなさそうだったが、こちらのほうは、チラシによると「 一九六〇年から六五年に日本であった実話の映画化」とのことだ。ヒッチハイクどころか徒歩による行軍だったのだから、尚のこと驚く。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の三つに従軍して戦死した将兵というのは、いったい何人ほどいたのだろう。 実話に基づくなら、かような注目を浴びながら、美しきマダム山田(新珠美千代)の営む孤児院「白菊寮」の改築に、浄財や公的補助がなかなか届かず、一旦着工された工事が資金不足による中断まで余儀なくされ、数年もの年月を要していることが少々腑に落ちない気もした。 戦場カメラマンらしからぬ些か浅薄な正義の観方に囚われる北林を演じた石原裕次郎よりも、途中で過労に倒れながら行軍に復帰した相方のディクソン伍長を演じたフランク・シナトラ・ジュニアに味があって印象深い。何と言ってもフィルムに残る当時の道や街並みの様子が興味深く、'70年当時を知る僕には懐かしい風情が感じられた。また、お決まりの富士山ほか五日目の名古屋・京都、七日目の姫路城、十日目の原爆ドームや錦帯橋、十三日目の関門海峡はともかく、六日目のサントリーのビール工場や、十一日目の徳山の出光コンビナートというのは、製作費出資者への配慮のような気がした。 劇中で語られていた当時の世界人口は三十五億人、現在は、国連人口基金の示すデータによると八十二億人。倍以上になる。ベトナム戦争に携わりながら現地で北林カメラマンに語っていたアレン少佐の言葉が届く規模ではなくなっているのかもしれないと思わずにいられない昨今の様相だと思う。 | |||||
by ヤマ '25. 8.21. 美術館ホール '25. 8.26. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 | |||||
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