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『大きな家』 | |||||
監督・編集 竹林亮
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四十年余り前になる二十代前半の時分に施設職員として児童福祉の現場で僕が働いていた当時、愛護・養護・教護というのがあって、知的障碍児施設で行うケアを愛護、非行少年少女施設で行うケアを教護と呼んでいた。そして、要生活支援児童施設で行うケアが養護となるわけだが、愛護と教護を、職として経験する機会を得たものの、児童養護施設の現場職員を務めた経験はない。 タイトルが映し出される前の序章部分で、退園生のその後について問われた現役のベテラン職員と思しき人物が、いわゆる社会的成功を果たした者から犯罪者になった者まで様々だけれども、不安を抱えて社会に出ていく者が半分以上いるような気がするという趣旨のことを語っていたが、それであれば、要は施設育ちであることとそうではないこととの間に何らの違いはないということに他ならない。 0歳時から養護施設で育ったと思しき七歳の少女から始まり、施設生活八年になる十一歳の少年、十二歳・十四歳の少年、十五歳の少女、十七歳の少年、海外ボランティアにも参加した十八歳の少女、大学で陸上競技に励む退園生といった八名ほどの少年少女へのインタビューと映像で構成された作品だった。 当該施設は百人近い入所児に対して百二十人の職員が勤めているとのことであったから、全国平均の定員五十名程度(現員だと四十名)から言えば、倍近いまさに「大きな家」なのだが、非常にアットホームな感じの日々の生活場面を捉えていたように思う。それだけの人数の入所児がいれば、きっと難題も抱えているはずなのだが、施設における大半の児童の施設生活の実情は、問題事象よりもこちらのほうが日常なのだということを最も伝えたいという作り手の意思が、明確に示されていたような気がする。とても優しい眼差しを感じた。 そのうえで、ほんの七歳から十八歳まで男女問わず共通していたのが、家族と他人、そして自分ということに対して非常にセンシティヴでナーバスなことだったような気がする。施設は家ではない、施設職員は家族ではない、自分は他人の世話になり、他人から干渉を受けているという意識が離れないわけだ。だが、退園してから振り返ると、少年少女期を過ごした施設こそがまさに「大きな家」だったことに対する気付きを得ていたように思う。何事もそうであるように、離れたり失くしてみてからでないと、その真価が判らないのが人間というものだとしみじみ感じた。 | |||||
by ヤマ '25. 2.24. キネマM | |||||
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