『ボストン1947』(1947 보스톤)['23]
監督 カン・ジェギュ

 孫基禎(ソン・ギジョン)が、1936年のオリンピックベルリン大会の男子マラソンでの日本国籍の金メダリストだったことは知っていたけれども、そのときの銅メダリストが南昇竜(ナム・スンニョン)だったことは失念していたし、ナムが見出してソンの指導を受けさせた徐潤福(ソ・ユンボク)が、ベルリン大会から十二年後になるボストンマラソンで、ソンの記録を塗り替える世界新記録を樹立して優勝したことなど知らなかった。

 ナショナリズムは決して僕の与するところではないけれど、ソン(ハ・ジョンウ)が星条旗ではなく太極旗を付けて走ることを求める演説を打つ場面には感銘を受けた。ソンの愛国心に心打たれたのではなく、真摯なる熱弁にあった「言葉の持つ力」と、きちんとそれを受け止め、心動かすだけでなく、事態を変更させるに至る「支持表明の持つ力」というものに打たれた気がしている。

 そして、最も偉大だったのは、見事な演説をしたソンではなく、レース終盤で奇跡の逆転劇を演じたソ(イム・シワン)でもなく、国際大会の経験もなくレース運びに未熟なソのペースメーカーとして三十四歳の年齢でソと共に大会出場して前走しながら助言を与えたうえで、完走どころか十二位の成績を残しているナム(ペ・ソンウ)だったような気がした。終戦直後の「倭色一掃」との標語を柱に貼っているのが目を惹いた食堂で若い選手たちに私財を投じて振舞い、ソンを指導者として引き入れ、ボストンではまさに身を挺してソを率いた彼がいなければ、ソの快挙によって韓国独立に世界の耳目を向けさせることはできなかったに違いない。作り手がそこのところに注力して映画化している点が大いに気に入った。

 渡米前からけっこう災難というかトラブル続きだったこともあり、かなり胡散臭く登場したアメリカ滞在期間中の保証人ペク(キム・サンホ)に渡米費用に充てる義援金を騙し取られるのではないかと思ったら、単にアメリカ的合理主義というかプラグマティズムが沁み込んでいたのだった。抜け目ないというか弱みを狙う阿漕な詐欺が横行している現代の世相に自分も毒されていると、些か忸怩たる想いが湧いた。
by ヤマ

'25. 2.23. 美術館ホール



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