『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 特別編集版』['21]
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』['19]
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』['20]
監督 石立太一
監督 藤田春香
監督 石立太一

 これが京都アニメーションのヴァイオレット・エヴァーガーデンか。BS松竹東急が三夜連続で特集放映していたから嬉しく録画したものだ。劇場公開当時、僕の好きな緑色が印象深く使われていて、少々気になりながらも見過ごしていたのだが、なんとなく持っていたイメージとは、かなり異なる風情の世界に意表を突かれた。

 戦時の兵器としての殺人マシーンであれ、戦後の自動手記人形であれ、少女ヴァイオレット【声:石川由依】に課せられていたものが機械として役割を果たすことであることになかなか意味深長なものがあり、にもかかわらず彼女が使命を果たそうとするモチベーションにおける最上位にあるものが、兵器のときは上官ギルベルト少佐【声:浪川大輔】への想い、ドールのときはクライアントの抱える真情に寄り添おうとする想いの強さだったりするところを興味深く観た。そして、人の想いの籠るシンボルとしての“手紙”が採り上げられていたように思う。作品世界の底流に潜んでいるように感じられた Domination & Submission ないし Bondage & Discipline は、劇場版作品でどのように描出されているのだろうか。第二夜に設えられた外伝のチラシのデザインには、そのあたりがシンボリックに表出されていたような気がする。

 三作のなかでは最後年の特別編集版を第一夜に持ってきているのは、特別編集ということでは最後年ではあっても、元が最初のTV放映番組からのものだからなのだろう。真っ当な選択だと思った。テレビで放映済みの作品の特別編集版を見せてから、2019年劇場公開の外伝を第二夜として、最終夜に2020年公開の劇場版を配している三夜構成に納得感がある。あと二作を観るのが楽しみになった。


 翌日に観た、石立監督が監修に回った『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』は、外伝と言いながらも、前日観賞の特別編集版を観て感じた人の想いの籠るシンボルとしての“手紙”の部分が、よりストレートに描かれていたような気がする。劇場版だという意識が作用しているのかもしれないが、特別編集版を凌ぐように感じられた画面の美しさに大いに感心した。

 死に別れたギルベルト少佐と生き別れたテイラー【声:悠木 碧】の違いはあっても、会うことのできない会いたい人の存在という共通項が深めたと思われる、ヴァイオレットとイザベラ・ヨークことエイミー・バートレット【声:寿美菜子】の二人を結んだ使命がドール本来の代書屋ではなく家庭教師だったことが、自動手記人形の職務からすれば外伝ということになるのだろうか。いずれにしても、届けたい想いの強さが美しく込められた作品だった気がする。

 ともあれ寂しくなったら名前を呼んで」「君の名を呼ぶ、それだけで二人の絆は永遠なんだとの二部構成で綴られる物語は、そのタイトルからしてキャロル・キングの'70年代の名曲きみの友だちのなかの一節「You just call out my name And you know wherever I am I'll come running to see you again」を想起させるところがあったように思う。

 また劇場版だからか、こちらのほうには「水戸黄門シリーズ」や漫画「ドラえもん」、現在視聴中の「江戸川乱歩の美女シリーズ」などの昭和番組よろしくヴァイオレットやイザベラのシャワーシーンや入浴シーンが折り込まれていることが目を惹いた。かつてはテレビ番組で普通に呼び物として設えることにスポンサーともども何らの躊躇がされなかったシーンが、今や劇場版でないと叶わなくなっていると同時に、劇場版という形ならばこうして折り込まれるようにニーズ自体は根強くあることが窺え、なんだか笑止千万な可笑しさがあって面白かった。他方で、予見していた“Domination & Submission ないしは Bondage & Discipline”テイストは、特別編集版よりも後退していたような気がする。もっとも、主題が“You've Got A Friend”なら、それも当然のことかと納得した。


 外伝の四か月後に公開のはずが京都アニメーション放火殺人事件や新型コロナウィルス禍によって、結果的に一年後になってしまった『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、再び石立太一が監督に復帰している作品だ。特別編集版にあった母クラーラの亡き後、八歳からの五十年間毎年バースデイメールを受け取っていたアンのエピソードを背景にした、アンの孫娘デイジー【声:諸星すみれ】が、祖母の死を機にヴァイオレットの存在を知り、既に廃れた自動手記人形なる職務とヴァイオレットを訪ねる物語と並行して、ヴァイオレットがC.H.郵便社で最後に請け負う仕事になったユリス少年【声:水橋かおり】からの依頼のエピソードと、ヴァイオレットとギルベルトとの再会を描いていた。

 ダイヤル式の電話を前にして、代筆ドールや手紙という通信手段の電話の普及による衰退を既に語っていたことが妙に懐かしく、携帯電話もウェブメールも登場していなかった僕の若かりし時分に確かに私的郵便が廃れていることを嘆く声があったことを思い出した。代筆稼業が廃れる理由として電話とともに挙がっていた識字率の向上のほうは、僕が若かりし頃には既に達成されていたから、代書屋というのは文章のほうではなく綺麗な文字を書く技能が求められる場合に利用されていたわけだが、これもさまざまな書体を自在にできるワードプロセッサーの登場によって、殆ど必要とされなくなっているように思う。

 クラーラからの依頼によってヴァイオレットが50通もの手紙を綴った幼いアンの孫娘デイジーがヴァイオレットに会うことは到底できないわけだが、彼女がデイジーにとって“会うことのできない会いたい人の存在”になっていたのは間違いなく、ヴァイオレットへの依頼ではなく自らがしたためて両親に“手紙”を残していたエンディングが素敵だった。

 ヴァイオレットがユリス少年【声:水橋かおり】から教わったサムズアップを最後の場面でデイジーに示していた人物は、年齢からしてよもやリュカではあるまいが、効率的な消費ではなく残し受け継ぐ文化の豊かさを全編に渡って綴っている作品だったように思う。手紙が飛翔して宙を舞い、花火が華咲く壮麗とともに始まったエンドロールのなかに挿入されたエピローグがとても美しかった。

 それにしても、ヴァイオレットの来訪に対して会うことを固辞したギルベルトは、ホッジンズ社長【声:子安武人】の叫んだ大馬鹿野郎どころか卑怯者と言うほかない情けない有様だったことに対して、ギルベルトに感謝の手紙を遺してエカルテ島を離れる沖合に出た大型船の甲板から、追ってきたギルベルトの姿を見つけて躊躇なく海へとダイビングするヴァイオレットの颯爽とした一途さの対照が鮮やかだったように思う。

 人口当たりの手紙の量が頭抜けて多いエカルテ島を育んだヴァイオレットの数奇を超克した人生が彼女の佇まい以上に美しい人生だったように思う。識字と修辞力そして、古びる紙質によって歳月の重みを孕み、何かを胚胎させるエネルギーを蓄えることのできる“手紙の力”を謳い上げた作品に感銘を覚えた。
by ヤマ

'24. 1.10. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画
'24. 1.11. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画
'24. 1.12. BS松竹東急土曜ゴールデンシアター録画



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