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| 『パルテノペ~ナポリの宝石』(Parthenope)['24] | |||||
| 監督・脚本 パオロ・ソレンティーノ | |||||
| パオロ・ソレンティーノの映画は、十年前に同じ劇場で『グランドフィナーレ』を観ているだけだが、そのときも「どういう人の集まりなのやら何だか訳のわからない話」だったというメモを残しているように、本作も何を思ってこのホンを書いたのだろうと、ある種の訳わからなさに唖然としつつも、最後まで観終えると妙に感慨深くて感心した。 1950年生まれの人類学教授パルテノペ(チェレステ・ダッラ・ポルタ)が2023年に七十三歳(ステファニア・サンドレッリ)で退官するまでを1950年の誕生時から始めて、1968年のナポリの宝石たる美身と美貌を備えるまでに成長した十八歳、1973~75年の学生時代、1982年の大学教授の助手時代に加えて、2023年の退官時を抽出して描き出していた。 彼女について「美しさを武器にしない」と言っていたのは恩師マロッタ教授(シルヴィオ・オルランド)だったが、撮影も彼女を演じたチェレステ・ダッラ・ポルタも実に美しかったものの、中盤までは、どこか『エマニエル夫人』を思わせる性遍歴譚のようでありながら、やたらと緩慢でまどろっこしい展開に食傷しかかっていた。今どきの映画らしく露出度は低く、R15+止まりだったのだが、パルテノペが中絶を行なったあたりから矢庭に面白くなっていった気がしている。結局のところ、パルテノペは、学問の他には愛するものと巡り合うことなく、生涯、亡き兄ライモンド(ダニエレ・リエンツォ)への想いを胸に生きたのだろう。なんだか「美しさのみを武器にした」ような映画だったが、彼の自殺には妹との近親相姦が影響していそうな暗示が込められていたように思う。マロッタ教授に命じられてトレントに出たまま、ニ三年で戻るのを反故にして四十年を過ごしたことにも、そのあたりが影響しているように感じた。 それにしても、アナルセックスの信奉者だというフローラ(イザベラ・フェラーリ)と、「まるで海のようね」とパルテノペが言う「水と塩で出来ている」との膨れ上がった身体を持つ障碍者【マロッタ教授の息子】の存在の意味するところは何だったのだろう。 すると「同感いたします。あの息子さんの姿には驚きました。何を云わんとしていたのでしょうか。」とのコメントが寄せられた。あの造形だけでも相当に経費が掛かっていると思われるので、作り手のこだわりはきっとある筈なのだが、今ひとつピンと来ない。前者は“女性にとっての妊娠問題”で、絶対に妊娠することのないセックスとの意味合いがあるような気がしなくもないが、後者についてはさっぱりだ。彼の姿を美しいというパルテノペの発言に込められた“美とは何か”に関わる何かがあるのかもしれないが、かなり危ういものを孕んでいた気がする。 コメントを寄せていただいたのを幸いに、女性の体で好きな部位は?と問われて「背中だ。それ以外は、すべてポルノだ」と答えていたのが誰だったか訊ねてみたが、回答は得られなかった。パルテノペの出会った作家(ゲイリー・オールドマン)だったような気がするが、いささか心許ない。また、エンドロールに『あんなに愛しあったのに』にて「我が“女優銘撰”」に挙げているステファニア・サンドレッリの名を見つけ、宿題のままになっている『山いぬ』['69]、『鍵』['84]のことを思い出した。 | |||||
| by ヤマ '25.11.27. あたご劇場 | |||||
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