『海の沈黙』
監督 若松節朗

 些か古色蒼然たる趣もあったが、それなりの設えを施していたので、まずまずは興味深く観ることができたように思う。原作・脚本を担った、まもなく齢九十を迎える倉本聰が自身を重ねていた気もする日本を代表する高名な画家の田村修三(石坂浩二)にとってのLyuのような存在が倉本にもあったのだろうか。

 妄執と因縁と妖しの世界が繰り広げられるなか、超越への希求とも言うべきものが漂っているように感じられたところに惹かれた。古色を感じた部分でもある。その一方で、せっかくのものだったのに、牡丹(清水美砂)が全身に入れていた刺青の意匠がいかにも凡庸で、少々残念だった。

 それにしても、田村修三と津山竜次(本木雅弘)や清家美術館長(仲村トオル)を同期生にするのは、顔馴染みの配役だったから流石に無理があるように感じられてならなかった。田村の妻安奈(小泉今日子)の営む「ろうそく工房灯の家」で売っていた“落涙する老爺の蝋燭”には恐れ入ったが、その落涙シーンは悪くなかったように思う。だが、タイトルを『海の沈黙』にしたのは少々失敗で、同タイトルの八十年近く前のフランス映画の格調には遠く及んでいなかった気がする。

 かつての恋人、安奈が見覚えがあると言っていたドガを模した津山の作品には、きちんとLyuの署名が施され、踊子の傍に佇む少女の脹脛には鯉の刺青が描き込まれていたし、地方都市の美術館長村岡(萩原聖人)が自死を選ぶほどに追い詰められた贋作事件の発端となった田村の『落日』の模写というか、津山に言わせれば“完成品”にTAMURAの署名を施したのは、津山ではなくて彼のエージェントとして津山の画業を支えてきていたスイケン(中井貴一)だったという設えがなかなか興味深かった。贋作稼業の汚れた部分の役割は彼が一手に引き受ける形にして、彼は彼なりに津山の画境を守ろうとしていたというわけだが、直接に手を出さずとも知らぬわけはないのであって、自分がしたのは模写であって贋作ではないという津山の言い分は、まるで政治家と秘書なり会計責任者の関係を観ているようで面白かった。

 夫の晴れの場の大事な祝賀パーティへの出席よりも今わの際の津山の病床を訪ねるほうを採った安奈の選択というのは、オープニングでの占い師の指摘によるまでは、自身のうちでも抑圧して記憶から追いやっていたと思しき津山への想いと後ろめたさが、まさに熾火に火が付く形で、ロウソク程度の炎には留まらぬ燃え盛り方をしたということなのだろうが、この期に及んで田村にきちんと謝罪させたいなどという弁明で津山に会っていた安奈からすれば、牡丹のように刺青を入れるには至らなかった点では同じだったにしても、若いあざみ(菅野恵)のほうが、沖から眺める浜の焚火のごとく激しく燃えていたような気がする。安奈のは所詮“落涙する老爺の蝋燭”くらいの炎だった。

 本作の持っている基調に相応しく、昭和の時代に映画化されていれば、もっとずっと目を惹く作品になっていたような気がする。赤江瀑の『雪華葬刺し』を映画化した高林陽一監督作品よりも更に面白くなった可能性があるように感じた。当然ながら、牡丹の役回りをもっと大きくした作品になるはずだ。
by ヤマ

'24.12.17. TOHOシネマズ1



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