『内海の輪』['71]
監督 斎藤耕一

 本編早々に現れる西田夫妻(三国連太郎・岩下志麻)の寝床での指圧場面における圧巻の岩下志麻の表情と艶声が、タイトルクレジット前の序章で刑事(高原駿雄)が言っていた自殺する女が悲鳴をあげるかねと相俟って、一口に悲鳴と言ってもいろいろあって、聴きよう次第だと思わせる鮮やかで謎めいた導入に恐れ入った。斎藤監督作品のなかでも屈指の映画ではないだろうか。

 六十歳近い年寄と言われる釣好きの再婚相手慶太郎の年若く甲斐甲斐しい妻として和装で暮らす松山での生活と、離婚した元夫(入川保則)の弟である年相応の宗三(中尾彬)と三ヶ月に一度の逢瀬を重ねる東京での洋装が対照的な美奈子を演じて、当時三十歳の岩下志麻が怖いほどに妖しく哀しかった。

 内海の輪という松本清張原作のタイトルは、松山・岡山・倉敷・下津井・尾道・鞆の仙酔島・蓬莱峡と瀬戸内海をぐるりと輪のように巡る物語であると同時に、囚われたまま抜け出せない内なるしがらみとしての輪でもあるような気がした。美奈子に魅せられつつも持て余した宗三が洩らしていた生きるためにも死ぬためにも、いつも利用されるとの恨み言は、些か情けなくはあっても、必ずしも身勝手とばかりも言えない真情が宿っていた気がする。

 彼が言うように、駆け落ちした兄を追って嫂に付き添い新潟を訪ねた五年前に、帰り道で水上温泉への当日泊を求められた夜、もう嫂ではなくなった…そっちに入っていってもいい?と美奈子が寝床に来ていなければ、また、一年半前に東京で呼び出され、ダブル不倫に引きずり込まれることがなければ、助教授への昇進を前に順風満帆の学者生活を送っていた宗三に、係る苦難と悦楽は訪れていなかったはずなのだ。兄との婚姻に決別して、新たに生きる踏ん切りをつけるためだったろうとも思える水上温泉での一夜にしても、男性機能を失った老いた夫との生活で燻っていた欲求不満を晴らすためだったろうとも思える東京での呼び出しにしても、殺されるほど愛されてみたいと洩らす美奈子の身重になった身体に当惑していた宗三が難儀し、いつもと違って三日も同泊するなか、半ば辟易としている様子に現実感が漂っていたが、昨今言うところの射精責任なる、逃れられない“内海の輪”としたものだろう。

 三日ほどの同泊で参っている宗三を観るにつけ、改めて愛のコリーダの吉蔵の凄さが偲ばれる。結局のところ、美奈子の「殺されるほど愛されてみたい」との想いは叶うことなく、宗三は嫌だと逃げ出す始末で、殺すほどに愛した定との違いが際立つ。やはり女には到底かなわない色恋の道としたものだと改めて思った。

 そして、本作を100分余りで仕上げている手際の良さにも大いに感心させられた。大したものだ。
by ヤマ

'24. 1.16. BS松竹東急土曜ゴールデンシアター録画



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