『システム・クラッシャー』(Systemsprenger)['19]
『WANDA/ワンダ』(Wanda)['70]
監督・脚本 ノラ・フィングシャイト
監督・脚本・主演 バーバラ・ローデン

 ずばり「ぶち壊す女たち!!(RIOT GIRLS MOVIE FES!)」と題して『システム・クラッシャー』、『私、オルガ・ヘプナロヴァー』、『WANDA/ワンダ』の三本を特集上映したうちの二本を観賞した。

 先に観た『システム・クラッシャー』は、なかなか強烈な作品だった。もはや逸脱を超えた破壊ということなのだろうが、確かにその手に負えなさには尋常ならざるものがあったように思う。システム・クラッシャーという言葉は初めて知ったが、核心を突いていると思うと共に言い知れぬ冷たさをも感じる。

 九歳の札付き少女の“ベニー”ことバーナデット・クラースを演じたヘレナ・ツェンゲルに圧倒されたが、わずかな期間ながら施設職員を務めたことのある身からは非暴力トレーナーたる通学付添人ミヒャ(アルブレヒト・シュッフ)の視座で観賞していたような気がする。知的障害児施設に勤めていた時分に、懐いてきた児童の求めに応じて休日に僕の自宅へ連れて行ってやったことについて、養護学校分室のベテラン教員から、安易にすることではないとの注意を受けたことを覚えている。職務として関わることにおける距離感の難しさは、古今東西の福祉の現場において常に晒されている普遍的な課題だ。

 結局のところ、破格のベニーには何処にも居場所が得られなかったことが、最後のダイビングに繋がっていたように思われる。已む無きでは済まない悲劇だったような気がした。

 それにしても、感情表出に自己制御が働かない、いわゆる境界性パーソナリティ障害というものには、いかなる処方が有効なのだろう。本作などを観ていると、もはや取り返しがつかないというか、その不安定さが解消される安定なんぞ、たとえベニーの母親(リザ・ハーグマイスター)が彼女を引き取り、関係性の再構築を図ったところで、極めて困難であるように思えて仕方がなかった。ましてや母親にそれを望むことさえ困難な状況なれば、絶望的という他ない。

 ベニーから私のパパになってと求められていたミヒャの苦衷を思うにつけても、診断と処方しかせずに、長期の入院によって患者が馴染むことさえ忌避していた女医の“福祉とは異なる立ち位置”で「患者を診る」ような精神科医に対する強い違和感を覚えた。もう随分と前から「診断」によってやたらと量産されているように感じられる、鬱病患者や発達障碍者なる病人やら障碍者という存在において、そのような診断が当人にとっての幸いになるのかならないのか、ケースバイケースではあろうが、極めて難しい問題だと改めて思った。

 どこか精神科医に対する不信感が、僕には以前からある。もう十五年も前になることだけれども、平成10年に自殺者数が急増し、それまで2万5千人を超えることが滅多になかったものが一挙に3万人を超えて、以後、十年以上も3万人を超え続ける高止まりをしたことにおいて、上述した「診断」事情が影響しているように感じているからだ。むろん精神科医にもいろいろな医師がいて、決して一括りにはできないのだが、あの頃、妙に鬱ブームという感じを受けるくらいに流行った時期があった覚えがある。厚労省が公表している統計を観ても異常なカーブを辿っている気がして仕方がない。

 ミヒャがベニーから問われて答えていた過去の不行状と更生の話は、決して作り話ではないような気がしたから、尚更のことだ。システム・クラッシャーなる、ある種の診断は、確実にその機会を奪うことになる気がしてならない。その一方で、ベニーにそのような機会を与えることのできる手立ても思いつかない。確かに観応えがあったが、なかなか気の重くなるような映画だった。


 翌日観た『WANDA/ワンダ』では、1970年当時のアメリカに、まるで一昨年に再見したばかりの青春の門のようなボタ山での石炭拾いをしている老人がいたのかとか、ローマのカタコンベを模した観光地がアメリカに作られていたのかといった、奇抜というか思い掛けないものが映っていて目を惹いたが、当時の流行だったようにも感じられるロードムービースタイルで綴られた本作そのものは、僕にとっては、今一つピンと来ない代物だったように思う。

 監督・脚本・主演を務めたバーバラ・ローデンのような正統派の知的美女が少し崩れた隙だらけの有様でうろついていれば、次から次へと男が拾っていくのも、当たり前と言えば当たり前なのだが、彼女の演じたワンダという女性の虚無と言うのも憚られるような内実の無さがどうにも詰まらなかった。

 拾われた男たちに次々と身を任せていたワンダが、最後、赤いオープンカーに乗った男から真昼間に身体を寝かせてとシートに押し倒されて強い抵抗を見せたのは、今さら白日の下での行きずり男との性交が耐え難いということではなかろうから、唯一人よくやったと彼女を褒めてくれた強盗男ノーマン・デニス(マイケル・ヒギンス)を喪い、自身の失意に気づいて初めて愛を知ったように感じたからとでもいうことなのだろうか。

 ラストカットのぼんやり虚ろな表情でこちらを見るワンダの妙に思わせぶりなショットになんだかなぁという気が湧いてきて仕方がなかった。チラシや予告によれば、製作当時、ベネチア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞しながらアメリカ市場で黙殺され、その後、アメリカの底辺社会に取り残された女性の姿を描きカルト的な人気を誇る伝説のロードムービーとなって、今回観賞したレストア版が制作されたようだ。
by ヤマ

'24. 7.20,21. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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