『初笑い びっくり武士道』['72]
『ひとごろし』['76]
監督 野村芳太郎
監督 大洲齊

 定例の合評会の課題作として、山本周五郎の同じ時代小説を映画化した作品を比較検分してみようという趣向だ。

 臆病侍の双子六兵衛を松田優作が演じてめっぽう面白かった覚えのある『ひとごろし』['76]を竜馬暗殺['74]との二本立てで異色の松田優作として池袋文芸坐地下にて観たのは、四十四年前。原作小説を未読のまま、昨年、前進座による舞台化作品を観劇したが、今度は、大映版に四年ほど先んじる松竹版の『初笑い びっくり武士道』を初めて観る機会を得た。

 タイトルからして「初笑い」と冠しているように、コメディを主軸に仕立てているなか、コント55号の坂上二郎が仁藤昂軒をとても生真面目に好演していたのが利いているように感じた。臆病者を自認しながらも卑怯者ではないという自負を見せる六兵衛(萩本欽一)と絡む巾着切り(田中邦衛)がなかなか軽妙だったが、大映版には出てきた覚えがない。原作小説には登場するのだろうか。上意討ちの発端となる藩士殺害事件が、殿様(嵐寛寿郎)寵愛の稚児である加納平兵衛(ピーター)に迫られた昂軒による不義成敗の形になっていることにも意表を突かれた。

 六兵衛に言い寄る旅籠女中おくま(武智豊子)の張り合いなぞは、蛇足に感じたが、取締り側から加担側に転じる猪戸団右衛門(宍戸錠)のキャラクターは、コメディとするうえで上手く作用していたような気がする。


 続いて観た松竹版から四年後の大映版は、四十四年ぶりの再見だ。やはり六兵衛と昂軒にコント55号を配して「初笑い」と冠した松竹版よりも、当時、暴力沙汰で有罪判決まで受けていた松田優作をこともあろうに腰抜け六兵衛に配して、シリアス劇として仕立てて滲み出てくる可笑しみに味のある大映版のほうが僕の好みだ。

 喜劇に似合う岡崎友紀を妹のかねに配した松竹版に対して、いかにも大映版らしく極めて正統派美人の五十嵐淳子を配して、涙ぐむ顔を斜めからアップで撮っていた。松竹版で六兵衛が怯えて厠に行けなくなって粗相をした自宅のヤモリは、旅籠で六兵衛を墜落させるカエルに替わり、舞台劇でも重要な台詞としてあった卑怯者ではない、臆病者だ!がなくなって、人殺しよりはましでしょうだけに替わっていたが、決して卑怯ではない臆病ぶりを台詞以上に描き出していたように思う。

 上意討ちの発端となる昂軒による加納殺害も、殿様(西山辰夫)の覚え目出度き仁藤昂軒(丹波哲郎)を妬んだ加納(岸田森)一派による闇討ちの返り討ちという至って真っ当な、ある意味、上意討ちのほうが理不尽とも言えるものに替わっていた。それだけに仁藤昂軒の負う難儀のほうがむしろ気の毒に映るくらいで、さればこそ、武士の沽券なるものの独善性と強者の論理が浮かび上がる形になっていた気がする。

 唯一の弱みが泳げないことにあった昂軒が溺れかけ、その隙に斬ってしまうよう加勢した声に耳を貸さず、竿を差し出した六兵衛から掴まりなさいと言われて拒もうとした昂軒に貴方のおっしゃる侍の意地とはその程度のものですか。そんなくだらない瘦せ我慢はおよしなさいと窘めるという松竹版にはなかった場面と六兵衛の台詞がよく、松竹版にあれこれ盛り込まれていた仇討ち武家娘(榊原るみ)の本懐やら旅籠女中同士の張り合い、巾着切りの半次(田中邦衛)との絡み、帰藩後の顛末などいっさい削ぎ落して、武力を制する非暴力の力と可能性に焦点を絞って朗々と謳い上げていることに大いに感心した。

 実に情けない有り体で登場した六兵衛が「よし、これだ!」と思い付き、苦肉の策で昂軒を追い詰める討手道中に苦労を重ねて、事情を知った町方与力が用意した決闘の場からも逃げ出すことなく斬り合い勝負を避けるために怖い猛犬が近づいてきても必死の我慢で欺くようになり、最後には、昂軒と対等に対峙できるところまで来ている堂々とした姿が格好良かった。武の力を極めた相手に武で対抗しようとするのではなく、武力及ばぬ大勢の声を頼りに追い詰めていく知恵は、決して卑怯などというものではなく、今に通じる大事な要点だと思う。威勢に頼って軍備増強に勤しむことの愚かさを訴えるのではなく、対抗手段を明示しているところが素晴らしい。

 松竹版でのこんな臆病者に勝つ方法がないとは、武芸とはいったい全体なんなんだ…と嗚咽を漏らす昂軒の台詞もよく、武力研鑽の虚しさを訴えることでは両作とも相通じた秀作だとは思った。そして、本名はトラだと六兵衛に告げて上意討ちに同行していた旅籠の女将およう(高橋洋子)に関しては、松竹版のほうが場面的にも、演じていた光本幸子にも、納得感があって好いような気がした。


 合評会では、両作とも芳しい評価が得られぬばかりか、強いて言えば松竹版を支持するという者のほうが多く、大いに意外だった。大映版については、特典画像にあった予告編のシネスコ画面に対して、本編がスタンダードサイズにトリミングされていたことが影響しているかもしれないとの意見もあったが、画面構成よりも物語構成における差異によって大映版を支持していた僕には、成程とは思いながらも、そのせいだとも思えず、釈然としない思いが残った。

 大映版のラストカットが宙に跳ぶ髷だったことの中途半端さを指摘する声もあったが、首を刎ねる代わりにもとどいを切った髷を宙に浮かせて“刎ねる”イメージを呈したあとで、落下させても拾い上げても絵にはならないから宙に跳ね上げた以上、そこで「完」マークを出すのが相当で、松竹版のような後の顛末までは不要だと僕は思った。

 また、配役の不満を述べる声もあり、どう観ても強そうには見えない坂上二郎の仁藤昂軒にしても、弱そうには見えない松田優作の双子六兵衛にしても、ミスキャストだとの指摘だったが、両者はともにそれぞれにおいてなかなかの好演で単に意表を突いたキャスティングには留まっていないように感じていた僕には大いなる驚きで、人の眼への映り方というのは実に様々だと改めて思った。
by ヤマ

'23. 7. 3. DVD観賞
'23. 7. 9. DVD観賞



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