『D坂の殺人事件』
監督・脚本 窪田将治

 長年の宿題であった実相寺版を観たところに、“古本屋のおかみ”をモデルの祥子が演じて話題になった窪田版があったので、観てみた。敢えて脱色させた燻んだ色合いの画面によって古色と淫靡を滲ませようとしていたのだろうが、もっと肌を綺麗に捉えてもらいたかった。タイトル前の序章で映し出されていた数々の稀覯本が目を惹いたほかは、さっぱりだったように思う。釣銭に対して大丈夫と言わせたり、他店との差別化といった言葉遣いをしては、古色は消え失せてしまうし、原作の明智の弁に絶対に発見されない犯罪というものは不可能でしょうか。ぼくはずいぶん可能性があると思うのですがね。たとえば、谷崎潤一郎の『途上』ですね。春陽文庫 P73)と出てきたものが戯曲集になっているのをこの本、僕、大好きなんですよと明智小五郎(草野康太)に言わせるようでは、せっかくの意匠が艶消しだと思った。

 本でも女体でもとても緊縛とは言えそうにない緩んだ縛りさながらの何とも緩慢な運びに些か倦んでしまった。実相寺版での『心理試験』からの蕗屋清一郎ではなく、冒頭でこんなおもしろくない世の中に生きながらえているよりは、いっそ死んでしまったほうがましだ春陽文庫 P157)と言わせていたからには『屋根裏の散歩者』からに他ならない郷田三郎(河合龍之介)に最初で神は僕を選んだと言わせておきながら、この人物造形は何なのだと頭を抱えてしまった。枕を使って縛りの練習をしていた頓珍漢ぶりが何とも憐れになる顛末だった。

 原作小説では下手人だった蕎麦屋の主人(仁科貴)が花崎古書店の悦子(祥子)に替わって死体となっていた物語が、どう展開するかと思えば、花崎悦子も郷田三郎も至って凡庸な相貌しか見せなかったように感じる。その一方で、花崎古書店の主人(木下ほうか)の嗜好レベルを越えた変質ぶりは、なかなか際立っていたように思う。とても板についていた気がする。花崎の“残虐色情者”(春陽文庫 P103)ぶりはともかく、悦子の“被虐色情者”(春陽文庫 P103)については、被虐ではなく従属だったように思う。そして、それが三郎と花崎の間でどう変転していったのかがきちんと描かれないままに行為だけをなぞっているように感じた。そのうえで作り手的には、縛りよりも覗きの映画だったような気がする。
by ヤマ

'23. 3.23. GYAO!配信動画



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