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『照柿』['96年9月14日-'96年9月28日] | |||||
NHK総合 土曜ドラマ | |||||
十四年前の読書感想に「高村薫の小説は、初めて読んだ」と書いたら、「コレをその歳で(?)お初に読むたー やっぱしヤマちゃんてば、タダモノじゃーナイデスね(←褒)」とのコメントをもらうと共に、ドラマで観たという別の友人から、原作者がインタビューで「私は恋愛をしたことがない。恋愛てどういうものか知りたくて、この作品を書いた」と答えていたのが印象的でした、と教えてもらい、「ドラマの佐野美保子って田中裕子だったの? 美人なのに地味で、大きく暗いブラックホールのような瞳と対照的な白く冷ややかな肌が合田雄一郎を虜にした美保子が? ちょっとイメージが違うよーな。三浦友和の合田ってのも意外。 それからすると、むしろ野口五郎の達夫は、まだしもよ、僕的には。 三浦友和は、合田よりもむしろ加納祐介だなー。」などと返していたドラマを思い掛けなく観ることができた。もう三十年近く前になる作品だから、皆々がやたらと若い。 NHKドラマでは、僕の誕生日と一カ月余りしか違わないS33.2.10.生まれの野田達夫(野口五郎)が三十六歳だったから、1994年の物語だったわけだが、合田雄一郎(三浦友和)と佐野美保子(田中裕子)が入った映画館に掛かっていたのが、何故か1964年作品の『少年』(監督 大島渚)だったので、原作ではどうなっているか、書棚にある1994年7月15日発行の単行本に当たってみたら、「雄一郎は、その辺に張り出されているスチール写真も見なかったし、何の映画をやっているのかも確かめずに、女を追い越すやいなや「二枚」とガラスの窓口に告げた。」(P351)となっていた。当たり屋の少年を描いた映画を敢えて選んだドラマの作り手の想いは、いかなるところにあったのかを思うと、いろいろ触発された。 本筋とは関係ないけれども、目を惹いたフレーズとして抜き書きしてあった「美の世界というのは、突き詰めると悪趣味に行きつくもんだよ。ぼくは実は下品なものが好きでね。鋭く下品なものが。下品というのは、己の精神とその発露としての形が、無邪気に一致しているという意味だけど……。」(P413)という老画商(藤田敏八)の台詞は、ドラマでは出てこなかった。 十四年前の読書感想メモには「酔った老画商の台詞だけど、気に入った。僕より五歳年上の高村薫が41歳のときの小説の中に出てきているわけだが、僕も三十代は殊更に悪趣味なものや下品なものが好きで、けっこう渉猟したものだ(苦笑)。むろん今でも嫌いではないけれども、寄る年波のせいか、多少食傷してきているところが無きにしも非ずで、やはり嗜好の世界も体力や精力の旺盛さに左右されるところがあるような気がしている。 そういう意味からは、老画商の台詞としてどうなのかという気がしなくもないが、画商なればこそ、老境にあってもなお旺盛ということか。あるいは、高村薫も今なら老画商の台詞にはしないのか(笑)。もっとも、この台詞、呟きめきながらも、旧知の画家の息子である三十代半ばのアマチュア彫刻家に向けて語ったものだから、そのへんのところを考慮すると、何ら違和感のあるものではないけれども。」と記し、友人との対話のなかで僕の感想メモを読んで読み返してみたくなったというコメントに対して、再読するのなら、ぜひ改稿版すなわち高村薫が五十代になってからのものを読んで、画商の台詞に注目するよう返していた。 高村薫の小説は、「おそらくは綿密な取材に基づいているのであろう細部の具体性に現実感があって、それが人生の徒労感や消耗をひた感じさせる作品のなかにあるものだから、少々やりきれない気分に見舞われた。 こういう作品を読むと、人の行動の動機とか理由が何か確たるものとして存在することを前提にしているかのような言質の粗忽さというものを改めて感じないではいられない。犯罪であれ、恋愛であれ、いや「であれ」ではなく「ですら」なのだ。およそ人の行動などというものに単純明快な動機や理由付けで説明できることなど、滅多にあるものではないはずで、すべては後付であったり、了解のためのものであったりする。そういったことと敢然と袂を分かって小説世界を構築しようとした意欲が動機となっている作品のように感じた。だが、そのように言ってしまえば、それがそのまま即ち“動機の説明”になってしまうわけで、何とも曲者な作品だ。」としていた部分は、井上由美子の脚本によるドラマ版でも強く意識されていることが窺えた。そして、原作小説の四章「女・帰郷・転変・燃える雨」を三話「女・堕落の森・燃える雨」に再構成し、「すると「女の頸を絞めろ」という《声》が聞こえた。その《声》はときどき頭の中から聞こえ、土井にあれこれ指図をするのだという。」(P429)となっている部分を土井ではなく、堀田に変えてあるところが目を惹いた。 また、'94年発行の原作小説に「「ところで、敏明との生活……、何か支障はあったんか」「別に。あえていえばお金かしら」「金……?」「結婚して、初めて分かったのよ。宗教団体に毎月十万の献金。年に一度、何とかっていうキャンペーン期間があって、そのつど別途百万。それがお務めなんだそうよ。姑さんも会員だから、その献金もあの人が面倒みてたわ。考えてもみて。共稼ぎなのに貯金一つ出来やしない。旅行も買い物も節約して、休みには奉仕活動よ。我慢しろというほうが無理でしょう」」(P300~P301)との会話が記されているところに、さすが高村薫だと改めて感心した。 | |||||
by ヤマ '23. 2.26. BSプレミアム録画 | |||||
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