『あなただけ今晩は』(Irma La Douce)['63]
『アパートの鍵貸します』(The Apartment)['60]
監督 ビリー・ワイルダー

 これがワイルダーの『あなただけ今晩は』かとの思いで、初めて観た。アンドレ・プレヴィンによる聞覚えのあるオープニング曲に、もしかすると既見作かとも思ったが、やはり未見作品だった。僕の好きな緑色が際立つカラフルなオープニング画面に気分が高揚したのだが、観ていくに従って次第に倦んできた。シャーリー・マクレーンも、ジャック・レモンも、好演しているように思うのだが、いかんせん演じた“口の上手い娼婦”のイルマ・ラ・ドゥースにしても、“生真面目な世間知らずの警官”ネスター・パトゥにしても、その人物造形があまりにも場当たり的で、場面を見せるためだけのキャラクターになっていて、本筋を貫く人物像として結実していないように思えて仕方がなかった。

 なんだかハチャメチャ感がひどすぎて、いくら作り手側が確信的に臨んでいることとはいえ、妙に興醒めてくるところがあったように思う。それは、物語の骨格は好いのに、笑いネタの尽くが僕にはうまく響いてこなかったことによるのかもしれない。クスッときたのは天賦の才は独占してはいかんくらいだったような気がする。

 これで、二時間二十分を超える長尺だというのが、最大の難点なのだろう。始めのナレーションに出てきた情熱と流血と野望と死の話だとは、とても思えなかった。


 続いて観た、三年先立つ『アパートの鍵貸します』は、十代の時分にNHK教育テレビで視聴して、強い印象を残していた映画だ。半世紀ぶりに再見してみて、台詞や小道具が実によく利いていることに改めて、好い、上手いと感心した。

 脚本・監督・製作・撮影・主演コンビとも同じながら『あなただけ今晩は』と、こうも違うのは、ジャック・レモン演じる保険会社員のバドことC・C・バクスターにも、シャーリー・マクレーン演じるエレベーターガールのフラン・キューブリックにも、『あなただけ今晩は』のパトゥ巡査や娼婦イルマには乏しかったペーソスが色濃くあって、ドラマとしても、過度に笑いを取りに来ているようには感じられないバランスのよさがあり、最後のどんでん返しの運びの無理のなさが、素直に観る側のカタルシスを引き出してくれるからなのだろう。

 思った以上の昇進を遂げてすっかり張り切り、大晦日にも仕事に精出していたバドに、仕事より諂いかとモチベーションを踏みにじるばかりか、フランに向けるのとまったく同様の身勝手で無神経な言葉と仕打ちをしてくるジェフ・シェルドレイク部長(フレッド・マクマレイ)に憤慨し、隣人のドレイファス医師(ジャック・クルーシェン)の言葉人間(メンチュ)になれに従い、破廉恥な会社組織での出世とバドが訣別することによって、二人が手にするプライスレスの果報が何とも微笑ましく心地好い。『あなただけ今晩は』でイルマとX卿が繰り返しカードゲームに勤しんでいたのは、これ故だったのかと思い当たった。

 バドの行状を誤解したなり、窘めも含めて良き隣人を続けるドレイファス医師の存在がなかなか効いていて、それゆえに『あなただけ今晩は』に、パトゥを助けるプールバーの店主ムスターシュ(ルー・ジャコビ)が配されていたのだろう。

 女房持ちとの恋にマスカラは禁物ねなどという実に気の利いた表現が出来るのに、スペルが苦手で秘書試験にも落ちたフランが最後に言う物事はすべて成行きだわねがなんだか気に入っている。人の生を左右するのは、まさにこれだろうと思ったものだ。ちなみに高校卒業時にアルバム制作委員を務めた僕がクラスの頁の標語に記したのは「成れば成る 成らねば成らぬ何事も 成るも成らぬも 事の成行」だった。

 本作のジャック・レモンを観ていると、妙に阿部サダヲを思い出してしまった。シャーリー・マクレーンは、十年後の『真昼の死闘』['70]の胡散臭い尼僧のサラが一番のお気に入りなのだが、本作のフランも好いなと改めて思った。そして、僕が僅か一歳だった1959年のマンハッタンを舞台とした映画のなかに冷凍ピザをガスレンジで温める場面があって、バドのアパートがエアコン付きであることに感心した。もっとも、それゆえに重宝がられて「鍵貸します」という“成行き”が生じたのだろうけれど。


 合評会では、小津の『晩春』『浮草』のときと違って、全員一致で『アパートの鍵貸します』に支持が集まったが、いかんせん同じ年配の男ばかりで女性メンバーの参加が欠けていたのが惜しまれる。もっとも『あなただけ今晩は』には、パトゥがイルマに手を出す場面があるので、彼女の支持が得られたとは思いにくい。

 同じメンバーで撮った両作のどこでそれほどの大きな違いが現われたのかという点については、『あなただけ今晩は』の元になったものが舞台劇のミュージカルだったからではないかということで、意見が一致した。物語の自然な流れよりも場面を見せることを重視し、むしろ場面の飛躍のほうに力点が置かれがちなミュージカル劇の映画化に際して、ミュージカル形式を踏襲しなかったことによって、その飛躍がそのまま画面に現れたのではないかというわけだ。そのうえで、だからと言って失敗作とまでは言えないのではないかとの意見が添えられた。




*『あなただけ今晩は』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/6051078188325047/
by ヤマ

'23. 9.14. DVD観賞



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