『目撃』(Absolute Power)['97]
『トゥルー・クライム』(True Crime)['99]
監督 クリント・イーストウッド

 先に観た『目撃』は、思い掛けないほどに、なんじゃこりゃ映画だった。

 オープニングの美術館での宗教絵画の模写をしている人々の場面で、なぜか模写とは異なるデッサンをしていたルーサー・ホイットニー(クリント・イーストウッド)に腕がいいのねと声を掛けていた、画学生と思しき女性が娘のアリソン・イーストウッドだと思うが、いや全く画力に留まらぬ何もかもに、余りに腕のいいルーサーに唖然とするほかなかった。

 四作前になる許されざる者の保安官以上というか以下というべきかの外道ぶりを発揮していた下衆大統領アラン・リッチモンドを演じていたジーン・ハックマンの最低ぶりはよかったけれども、腕利きというよりは、情報漏洩と決めつけの刑事セス・フランク(エド・ハリス)が長年マークしている大泥棒ルーサーの娘で、なぜか検事になっているケイト・ホイットニー(ローラ・リニー)を、秘密を知られているに違いないから始末しろという指示を出す一連の顛末を以て「Absolute Power(絶対的権力)」とするのも、妙にチマチマした保身だけというスケール感の乏しさで、更に唖然とした。

 アラン大統領の性的暴行趣味というのは、原作小説でも施されていた設定なのだろうか。そうであったとして、何も政治的パトロンの若い再婚夫人に手を出さずとも「Absolute Power」をもってすれば、餌食にできる相手はいくらでもいるだろうにと、たとえ深酒で自分が挿入し射精したかどうかも覚えていない程に酔っていたとしても、その余りの見境の無さには、全く唖然とするほかない。

 それにしても、開始早々に殺害された大富豪サリヴァン夫人クリスティ(メロラ・ハーディン)の遺留品となる血塗れのペーパーナイフに、女性補佐官グロリア(ジュディ・デイヴィス)は何故あれほど拘ったのだろう。クリスティは銃弾に倒れたのだし、ナイフに付着している指紋は彼女のものであって、泥棒でも大統領でもないはずだ。血は大統領のものだが、仮に指紋も残っていたとして大統領のDNAや指紋情報が捜査当局のデータベースに登録されているとは思えない。もしそうだったら、それこそ「Absolute Power」でもって、データベースのほうを改竄すればいいだけの話ではないか。補佐官にしても、果てには自害してしまうビル警護官(スコット・グレン)にしても、いったい何やってんだと唖然とするほかなかった。目撃者ルーサーを密かに始末しさえすればいい話なのに、ひたすら事を大きくしていっていたように思う。

 演出・演技で120分を持たせていたようには思うが、話はかなり壊れているような気がした。聞くところによると原作は全米ベストセラーとなった上下2巻の長編ベストセラー小説、…イーストウッドの意見によってかなり変更されたらしいとのことだが、脚本家も難儀したのだろう。監督兼製作者の「Absolute Power」が求める場面やキャラクター設定を繋ぐのに四苦八苦した挙句の展開のように感じた。


 二年後の作品となる『トゥルー・クライム』も前作ほどではないにしても、かなりの破調が目を惹く映画だったように思う。この作品からほぼ四半世紀が経過したカリフォルニア州では、今もなお死刑制度が存続しているものの、執行停止になっているらしい。おそらくタイトルの指している真の犯罪とは、死刑制度そのもののことなのだろう。カリフォルニア州立サンクエンティン刑務所のプランキット所長(バーナード・ヒル)が、札付きの“鼻利き”新聞記者スティーブ・エベレット(クリント・イーストウッド)に、自分は何人もの人間を殺してきたが幸い殺人鬼とは言われていないというような自嘲めいた言葉を漏らしていたことが印象に残った。

 今時であれば本作の焦点は、死刑制度問題以上に差別的不当裁判たるBLM(ブラック・ライブズ・マター)問題として描かれたのではないかと思われるが、いくら何でも夜中に知事公邸にあれほど簡単に乗り付けられるはずがないだろうなどと思いながらも、そうでなければ、ハリウッド映画じゃないよなぁという結末に苦笑した。上述場面以上に本作の主題を明示していた、もう間に合わないの声を無視して自ら対応するプランキット所長の姿が見せ場だったように思う。バーナード・ヒルがなかなか味のある人物造形を果たしている気がした。

 それにしても、二十三歳のインターンと思しき女学生記者のミシェル(メアリー・マコーマック)に酒場でお仕置きは大好きだなどと言いながらくちづけるは、上司である編集者ボブ・フィンドレイ(デニス・リアリー)の妻(ライラ・ロビンズ)を寝盗るはと、スクープネタへの鼻利き以上に、身をもって下ネタに勤しむ陽根利きのスティーブの、女たらしの妻子泣かせぶりを殊更に描き込んでいるあたりに、イーストウッド自身の手口公開のような自嘲が韜晦とともに現れているように感じて可笑しかった。

 不当裁判ものとしては、事件当時の十七歳少年への面接場面や犯人とされたフランク・ビーチャム(イザイア・ワシントン)自身が望んだというポリグラフ検査の顛末について、スティーブの下ネタなどよりももっと丁寧に描くべきところだろうが、敢えてそうしていないのは、不当裁判よりも死刑制度存続のほうに焦点があることを明確にしたかったからなのだろう。だが、あまり奏功していない構成のような気がしてならなかった。
by ヤマ

'23. 5.11. DVD観賞
'23. 5.16. DVD観賞



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