『アパッチ』(Apache)['54]
監督 ロバート・アルドリッチ

 同じくアルドリッチ&ランカスターによるワイルド・アパッチ'72]を観たのは、一年ほど前だが、1880年のアリゾナでのアパッチ族戦士ウルザナを描いた同作に十八年先駆ける本作は、六年後になる1886年のジェロニモの降伏から始まっていた。

 アパッチ族の弱体化を図ったフロリダへの戦士移送から、独り脱出した誇り高きアパッチ族戦士マサイ(バート・ランカスター)と、『ワイルド・アパッチ』でバート・ランカスターが演じていたマッキントッシュと同じような立ち位置の軍属と思しきアル・シーバー(ジョン・マッキンタイア)の闘いを描いた映画だったが、マサイとシーバーよりも、帰還してきたマサイを白人に売り渡した族長サントスの娘(ジーン・ピータース)とマサイの拗れた恋愛模様のほうが印象深い作品だったような気がする。アルバカーキからの移送中、脱出したマサイがセントルイスで出会ったチェロキー族の男が重要で、農業により食糧確保の出来ている白人社会に抗しても敵わないから、弓矢を棄てて彼らを真似て農耕に転じ、共存を図るべきだと渡したタラクワ(トウモロコシ)の種がマサイに与えた葛藤が見どころになっていたように思う。

 チェロキー族の男が言っていた戦士は用済みだという社会の実現は、白人たちも今に至るまで成し得ていないわけだけれども、あるべき姿はそこだと僕も思う。貰った種を食い潰すことなく、チェロキーよりもうまくやって見せるとの意気込みで帰還した居留地だったが、族長サントスの裏切りで叶わなかったけれども、最後には、マサイの生き方の転向が認められて、捕縛も処刑も免れていたのが印象深い。白人のもたらした酒に溺れて指導力を失っている父親サントスを嘆く娘の姿に、中国侵略に阿片を使ったイギリスとそれを真似た日本による満州国支配を想起した。

 そして、狩猟から農耕に転じて白人と共存しようとし始めるマサイと、アメリカ軍騎兵隊に加わって先住民討伐の片棒を担ぐことで伍長に昇進するホンド(チャールズ・ブチンスキー【ブロンソン】)との間で、白人に阿る父親への反発も手伝って、マサイと生きていく道を選ぶ女性を演じていたジーン・ピーターズがなかなか魅力的で、マサイが苦労を共にしている彼女の腹の上に頭を乗せて寛いでいる場面の幸福感が印象深かった。川辺で縛られて引き摺り廻されたり、岩場で殴り倒されたり、岩壁を這って登ったりといった大奮闘をどの程度まで本人が演じていたか判らないけれども、マサイが激しく駆る馬の背でしがみ付きつつ昂揚した表情を見せていた場面や、眠り込んでいると思ったマサイに水を掛けようとする悪戯から縺れ合って棒で打ち据える場面に宿っていた荒々しい官能性に大いに感心した。

 そして、心ならずも最後の戦闘に臨もうとするマサイが、臨月の妻からここで死ぬ気なのと問われて戦士だけが死に場所を選ぶ 俺はもう違うと答えたことに対して、私のために、戦士の血が戦いたがっていると指摘したうえでマサイに自分と子供は大丈夫だから逃げるよう説いてももう遅いと拒まれると、では戦士らしく死んで あなたは気高き戦士よと送り出す気丈さが目を惹いた。白人からの迫害と仲間たちの裏切りによって憎悪に駆られた孤闘の道からマサイに目を覚まさせていたのも彼女だったように思う。なかなか大した女性だった。そのようななか、絶妙のタイミングで赤ん坊を産み落とし、その産声によって戦闘を停止させたのも彼女だった。ガザ地区にもウクライナにも、本作のように産声を耳にして戦闘停止を指令する指揮官は、いないことが悲しい。
by ヤマ

'23.12.17. DVD観賞



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