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『ダウンタウンヒーローズ』['88] | |||||
監督 山田洋次
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かねてより気になっていた早坂暁原作の『ダウンタウンヒーローズ』はこれかとの思いとともに、オープニングのみならず随所で鳴るトランペットの響きを聴きながら、実にトランペットは青春に似合っていると思った。また、旧制松山高校の寮生による学園祭での芝居「理髪師チッタァライン」でアガーテを演じる中原房子を演じていた薬師丸ひろ子がキラキラしていて観惚れた。 当時、高校生だったとの愛媛出身の映友が「とてもとてもとても懐かしいです。…ファンだった薬師丸ひろ子に会えるのを楽しみに現場に行きました。」とコメントを寄せてくれたが、その歳で実物の彼女を視野に置いたなら「とても」三連発では足りないくらいの思いがあるだろうし、もし房子が志麻洪介(中村橋之助)に言う「そんな大事なことを他人に頼むオンケルさんの気が知れない。(私の気も知らずに)そんな頼み事を引き受ける貴男なんか、大っ嫌い!」を直に目撃していたら、十連発でも足りないだろうなと思った。 作品タイトルの上段に「日本がジャパンになったとき、ぼくらは“バンカラ”だった。」と副えられている手元にある公開時のチラシには「原作の背景となっている時代に、早坂氏が旧制松山高校生、山田監督が旧制山口高校生で、互いに顔を合わせたこともあり(といっても後年わかったことだが)、早坂氏の「時代の気分を描いた」という作品だけに「山田監督以外にない」と早坂氏がこだわり続けた。」と記されていた。だから、松高・山高の卓球対抗戦の場面があったのかと納得。 酒と徒党が付き物のバンカラ文化というのは、どうも苦手なのだが、四十余年前の大学卒業時分に、僕もデカンショ呼ばわりされた覚えがあって、三十四年前にその四十年前の旧制高校を描いた作品で高歌放吟されるデカンショ節を実に久しぶりに聞いた気がした。また、寮生一丸となって遊郭を足抜けした咲子(石田えり)を匿ったり、彼女との出会いによって無医村での医療活動を志すようになるアルルこと高井(尾美としのり)が高知との県境にある山奥の彼女の実家に送っていく心意気や、学園祭での仮装展示として生身で挑んでいた「考える人」やら「夫唱婦随」と題したマッカーサー家に嫁いだ吉田家の寄り添う姿には、いかにも当時の旧制高校的な気風が窺えて面白かった。そして、ドイツ語教師(米倉斉加年)が授業のなかでリアリズムとアイデアリズムを語り、国文学教師(すまけい)が大学進学を控えた教え子たちに、フリーダムではなくリバティを求めて学ぶことを説く学び舎の様子に感慨を覚えた。1948年から1949年にかけての学制改革期の青春を描いて、なかなか魅力的な作品だと思う。 ところが、別の映友によれば「公開当時はコテンパンに叩かれ、興行も不発だった」とのこと。もっとも僕にしても、房子への失恋を機に松高を退学してナロードニキを実践したオンケルこと檜圭吾(柳葉敏郎)が、インテリ学生向けか一般大衆向けかでラストの演出が違ってくるとしていた点で言えば、彼が和物に翻案したうえで演出を変えていた“情に訴える舞台”よりも、「理髪師チッタァライン」の台本を書いたチョビンスキー(坂上忍)が主張していたような“観念的裏付け”のほうを好む傾向があったから、確信的に前者に立っている山田洋次作品を積極的に観ることが少なかった。だが、さればこそ、そのことに対して明確な回答を示している本作には、思い掛けない潔さを感じて大いに感心した。 世評的には、そのようなことよりも本作が公開された当時がバブル景気真っ盛りだったこともあって、いかにも貧乏くさく懐古的で古臭い映画だと思われたのだろう。しかし、“山田洋次的真善美”といった批判に対して真っ向から挑むように、春さん(渥美清)の働く寮生たちの食堂に大きく「真善美」と書いた額が掛けられていたことにも窺える、山田洋次の心意気に大いに感心したのだった。オンケルとチョビンスキーに託して、ここまで明確に己が立ち位置を主張していたのかと吃驚した。そして、公開当時『キネマの天地』は観賞しながらも、本作を観逃がしていたことを残念に思った。 その点からも、件の映友が「渥美清もこの頃の『男はつらいよ』より遥かに生き生きしてましたね」とコメントしていたように、稽古時の春さんの得意気とそれがすっ飛んでしまう本番の対照が、渥美清十八番の達者さで披露され、場内が爆笑の渦に包まれるばかりか出演者までもが失笑し、芝居としては壊れつつも、大いに楽しませ、ウケている様子を描き出していた点が、とても興味深い。朝間義隆と共同で脚本も担っていた山田洋次の内なる想いが非常に籠った作品だったような気がする。 | |||||
by ヤマ '22.10. 9. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 | |||||
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